01



甘いわだかまりがひとつ


あの後三郎は一刻もしない内に目を覚まし、自室に帰る支度を済ませた。
雷蔵を模した面は新たに用意しなければならないし、忍務帰りという事もあって誰にも会わずにおきたいようだった。
しかし障子の前まで行くと、その動きが止まる。
躊躇う様子で、障子に手を掛ける事が出来ないようだった。
それもそうだろうと思う。
この五年間素顔を晒した事がないというのだから、自室までのほん少しの距離とは言え、一式纏わぬ姿で絶壁から極寒の荒波に飛び込む様なものだと思う。
大げさに聞こえるかもしれないが、寝食を共にしている中で五年間も守り通すという事は、それ程までの恐怖を抱かせる事だと俺は思った。

「三郎、これをあげるよ。着けてお行き。」
俺は先日学園長のお遣いの褒美に貰った狐の面を渡す。
町で豊作祈願の祭りがあるから屋台の食べ物と面が欲しいという学園長の命を受け、望みの物を買って帰還した際に、新しい面と交換で古い狐の面を俺にくれた。
その狐の面を見つめ、三郎が懐かしそうに一瞬目を細めた。
「今だけ、借りる。」
ぽつりとそう呟くと、面を着けて部屋を後にした。
その仕草をぼんやりと見つめ、そういえば雷蔵の顔を拝借する前は面を着けていたと、前に雷蔵から聞いた事があったと思い出した。
(―――もしかしたら、学園長は三郎がこうなると知ってて俺に面を持たせたのだろうか。)
いつもの気まぐれで寄越した物かと思っていたが、計り知れない大川学園長の力量を思い「ふぅ…。」と、そっと溜息を吐いた。




甘いわだかまりがひとつ

(―――俺の知らない三郎の過去があるというのは、何だか、)





[ 104/184 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]



- ナノ -