02




過去を思い起こし首を捻る久々知は、湿気を滞らせない為に開け放ち、通気性を良くしていた扉を閉めようと持ち手を握る。
すると、微かに誰かが話す声が届いてきた。
(誰だろう。)
中から窺い見るように顔を覗かせれば、角から土井の姿が現れた。
「あっ、土井せんせ…」
丁度確認作業も終わり、終了報告をしてしまおうと呼び止めた声は最後まで出なかった。
土井のすぐ後ろから、近江の声も続いたからだった。
久々知は咄嗟に身を隠し気配を消す。

「いつも、すみません。」
申し訳なさそうに詫びる近江に、土井は無言でひとつ頭を撫でる。
「…そこで待っていなさい。」
そう言うと、土井は煙硝蔵に向かって足を進める。
カタッと蔵内に入った土井は、迷わず久々知の潜む方へと視線を寄越した。
「――ッ。」
流石教師と言うべきか、気付いた素振りを一切見せず、いつから気付かれていたのかも分からなかった。
「…そのままで居なさい。」
ひっそりと、空気に溶ける程小さく久々知に告げた。
「…土井先生?どうかされましたか?」
微かな変化に気付いたのか、近江が土井の背に問い掛ける。
ぎくり、と久々知の背に冷や汗が伝った。しかしすぐに意識を集中させ、気配を漏らす事だけは免れた。
「いや、何でもないよ。」
土井は素知らぬ振りをして答えると、火薬を袋に計り、棚に置きっぱなしになっていた帳簿に記入をする。
そのまま何事も無かったかのように踵を返して近江の元へと戻って行った。
「ありがとうございます。では、失礼します。」
少々いぶかしんだものの、近江は礼を述べると長屋へと戻っていった。
その姿を見送った後「兵助、出てきて大丈夫だよ。」と土井が声を掛けた。

「…。」
出て来た久々知は、くしゃりと何とも言い表し難い形に顔を歪める。
唇が切れてしまうんじゃないかと思う程強く噛み締め、引き結んでいた。
「…土井先生の署名は、鴻の為のものだったんですね。」
土井は肯定も否定もせず、酷く弱々しく微笑んだ。
それはまるで泣いているかのように。


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