01



反論さえ呑み込んで

水中から水面へと浮上するように、ふわり、と近江の意識が覚醒する。
ゆっくりと、それでいてハッキリとした意識で目を開けた。
時刻は水を打ったように静まり返った、暁七つに入った頃。
近江は自室の前に近づいてくる気配に意識をやった。それは殺気を含んだ、けれどそれを抑えようと、不安定に揺れ動くものだった。
障子の前で気配が留まる。逡巡しているかのように、消そうとして消しきれない気配が蠢いた。

「…三郎、入っておいで。」
近江は、そのよく知った気配の主の名前を呼ぶ。
びくり、と気配が尚更不安定に漂った。
近江はゆっくりと布団から身体を起こすと、障子の方へと歩みを進めた。
ぶわり、と殺気が一層濃くなる。しかし近江はそれに怯むことなく障子を開けた。

そこに佇んでいたのは、漆黒の装束に身を包んだ鉢屋三郎だった。
見るも無残な程ベッタリと鮮血を含んだ装束は、元々の黒さを更に濃くしているのが見て取れる程どす黒かった。
幸い、その多くは鉢屋のものでは無さそうだと、巡視していた近江はほんの少し胸を撫で下ろした。

「入っておいでよ。三郎」
近江は鉢屋の手を緩く引いた。警戒されないように、脅えさせないようにと。
「…っ!!」
瞬間、鉢屋の身体が強張った。バッと身を弾こうと込められた力に気付いた近江は、更に掴んでいる手の力を緩くした。
「大丈夫だ。ここには俺しか居ない。」
理解させるように、ゆっくりゆっくりと近江が言葉を紡ぐ。
鉢屋の瞳は朧げで、身を守ろうと反射的に動かそうとしたものの、正確には状況を把握出来ていないようだった。しかし、近江の言葉に幾ばくかの安心を覚えたのか、緩慢な動きで引かれるままに室内へと足を踏み入れた。
室内にふわっと充満する土埃と火薬の臭いと、錆びた鉄の、悪臭が漂った。
「俺は水を汲んで来るから、ここに、居るんだよ?」
桶を取りだした近江は、まるで人形の様に立ち尽くしたままの鉢屋に優しく声を掛けて部屋を後にした。

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