QLOOKアクセス解析創作 | ナノ


 私は学校が嫌いで嫌いでたまらなかった。学校というよりは、人間が嫌いだったといったほうが正しいかもしれない。
 相手の顔色を窺いながら自分の意見を飲みこんだり、愛想笑いを顔に浮かべなければならないのが苦痛で苦痛で仕方がないのだ。
 世間的に見れば、私は問題児というくくりの中にいるらしく、度々教師が私に色々と話をしに来る。
 私は教室に登校せず、図書室に登校していたから主にその話ばっかり。協調性を養うために教室に来いだの、そんなので将来どうするんだ、だの。同じ話ばかりしにくるもんだから、いつも右から左へ聞き流して時間が過ぎるのを待つ。
 教師の側からすれば、私みたいなのがいると学校の評判にかかわるから困るんだろうね。公立高校なのに評判なんて気にしてどうするんだろう。そんなに評判を気にしたいなら私立学校にでも転勤すればいいのに。
 私には本さえあればいいし、今のご時世人と会わなくとも仕事はできる。プログラマーになったりしたら家でパソコンとにらめっこしてればいいんだから。どうも教師という人間は頭が固いらしい。
 自分を変えようとしない私にもきっと問題はあるだろうけど、教師の押し付ける学生像は息苦しくってどうもそんな風になりたいとは思えない。だから私は図書室登校を繰り返して、本を読んだり小説を書いたりする。その方がうるさい教室で授業を受けるより何倍も有意義だと思う。
 入学から半年が経ち、暦が十月に進んだ時だった。私に何を言っても無駄だと思ったのか、教師が図書室に出向かなくなってきた頃。一人の教師がしつこく私に話しかけ始めた。
 ……教師、というのは少し間違いかもしれない。見覚えのない、メガネをかけた黒髪の男。首から下げている名札には教育実習生と印刷されていた。
「君が図書室登校をやめない伊吹薫さんかな」
「……だったらなんですか」
「僕はね、今月この学校でお世話になる瀬島正孝。よろしくね」
「……よろしくする気とかないんで」
 瀬島とかいう教育実習生は、私が目も合わせずに言ってもへこむ気配がない。にこにこ笑って私に話しかけ続ける。
 今日の昼は何を食べたの? 本好きなの? おすすめの本とか教えてくれたらうれしいな。好きな食べ物は何?
 とにかく思いつくままひたすら質問してくる。正直に言おう、うざい。人と関わりたくないから図書室にいるのになんでこんなに話しかけてくるわけ。暇人かよコイツ。
 教育実習生なんだから、担当のクラスの生徒と仲良くなればいいのに。私なんかと話す時間を当てれば誰とでも仲良くなれるんじゃないの。
 こんなこと繰り返したって双方時間の無駄だと思うんだけど。瀬島先生がいるときは小説読むのに集中できないし。もちろん、読むのに集中できないんだから書くのにだって集中できるわけがない。瀬島先生はただただ私の現実逃避を邪魔する存在でしかないわけで。
 仲良くなれないなあ。眉を寄せて残念そうにつぶやく瀬島先生。私は最初に仲良くなる気なんてないって言ってるはずだけど。この人、一方的に話すだけで人の話聞いてないんだな……。私のもっとも嫌いなタイプの人間だ。
 私が本で顔を隠せば、瀬島先生は不思議そうな顔をして私を見つめる。私が関わりたくないって意思表示をしているのがこの人には分からないんだろうか。
 家族や親戚意外と関わる気がないからここにいるのに、どうしてこの人は私に構うんだ。教育実習生だから問題児をどうにかしようとか思ってるわけ?
 だったら本当に関わらないでほしい。私は今の自分を変える気はないし、今のままで十分満足してる。他人が評価されるための道具になるなんてまっぴらごめんだ。
 どうせこの人だって、私を教室に登校させてポイントを稼ぐつもりなんだ。隠してたって分かるし、それくらい。
 ……本当に気分が悪い。本を読む気にもなれないし、もうここにいたって仕方ないか。授業はもう終わってる時間だし帰ってしまおう。
 足元に置いていた鞄に本と筆記用具を入れて、私は何も言わずに立ち上がった。なんやかんやと話しかけてくる瀬島先生を無視して図書室から出る。
 まだ生徒が廊下を歩いてるけど仕方ない、さっさと帰ってしまおう。鞄を抱きしめて、私を好奇の目で見る生徒をかき分けるようにして、私はただただ昇降口へと急いだ。

――*
 あれから一週間たっても、瀬島先生は図書室に現れ続ける。飲食禁止なのにお菓子やジュース持ってきて、みんなには内緒だよといたずらっ子のように笑ってみたかと思えば、今度は授業のプリントを持ってきて一緒にやろうだとか。
 行動に一貫性がないし、何よりネタ切れ感が否めない。無理にここに来なくともいいのに。私は活字を追って、ノートに文字を書いている方が楽しいし。それで満足なんだから、わざわざこんな問題児のために時間割かなくてもいいのに。
 瀬島先生って本当に暇人なんですね。皮肉のつもりで言ったのに、返ってきたのはこんな言葉で。
「そう見えるかな? 仕事早く終わらせたかいがあったなあ」
 嬉しそうにへらへら笑う瀬島先生に、私は激しい脱力感を感じた。この人に皮肉を言っても無駄だ。この人の頭はどうも自分に都合のいいようにしか言葉を理解しないらしい。幸せな頭してるなあ……。
 私がそんな風に思っているのを知らない先生は、休み時間になるごとに私の元にやってくる。お昼休みには必ずご丁寧に惣菜パンを持って、お昼にしよう、なんて呑気に笑う。
「私にだけこんなことしてたら特別扱いなんじゃないの」
「あれ、敬語なくなったね! やっと仲良くなれたかな?」
「そういうこと言ってないし。私が言ってるのは、明らかに私に構いすぎだってこと。これ以上ここに来なくていいし、担当のクラスの生徒とお友達ごっこすれば?」
「ん? 僕の担当してるクラスは伊吹さんのクラスだよ。僕は伊吹さんと仲良くなりたいと思ってるし、お友達ごっこをしてるつもりもないよ」
 だから、ここに来るのをやめるつもりはないよ。
 真っ直ぐな目をして言った瀬島先生に、私は軽い頭痛を感じた。先生がどう思っていようと、ここに来られるのは私からしたら迷惑でしかない。
 馬鹿じゃないの。つい吐き捨てるように言った言葉に、瀬島先生は少し驚いたような顔をした。
 怒られるかな。まあ別に怒られてもいいけど。怒られるだろうと思って構えてたのに、瀬島先生は怒るどころかそうかもしれないなあ、なんてへらへら笑う。
 ……何というか、言葉が出ない。本当にこの人の頭は幸せにできてて、きっと人生が楽しいんだろう。
 自分とは真逆の能天気な瀬島先生といると、調子が狂ってイライラする。イライラをおさめるために手元にあったするめを齧れば、瀬島先生も一緒に齧り始める。もう文句を言う元気も残ってない。勝手にしろ。
 それが伝わったのか、瀬島先生は嬉しそうに笑いながらするめを齧る。口の端からするめの足が覗いてるのを私以外の生徒が見たらきっとショック受けるだろうな、先生無駄に顔がいいから。
 そんなレアな顔見てんのか私。全然ありがたみなんかないけど。そう思いながら、ただひたすらするめを噛み続けた。
 その数日後、トイレから図書室へ戻ると瀬島先生が机に座って、何かノートを熱心に読んでいた。何を読んでるんだろう。研修ノートとかそんなんかな。
 近付いてよくよく見てみれば、それは研修ノートでもなんでもなく、私が小説を書きなぐっているノートで。慌てて取り上げれば不満そうな顔をした先生が私に抗議をぶつける。
「なんで読ませてくれないの、せっかくいいところだったのに!」
「勝手に人のノート見るとか何やってんの!? 仮にも教師目指してる人間がなに堂々と人のもの見てんのさ!?」
「だって置いてあったし」
 反省してないのかけろっと言った瀬島先生。小学生みたいに開き直らないでほしいんだけど。
 ノートを抱きしめて睨めば、瀬島先生は残念そうな顔をして唇を尖らせる。……そんな顔をしたって無駄だ、絶対にノートの中身は見せない。
 抵抗の意を見せるためにノートをさらに抱きしめれば、やっと諦めたのか先生がため息をついた。ため息をつきたいのはこっちだ。毎回毎回先生のせいで私の予定は狂いまくってるんだから。
「伊吹さん小説書くの上手だね。僕国語の先生になりたいからたくさん本読んだりするけど、プロと同じくらい上手だと思うよ」
「そんなお世辞いらないし」
「お世辞じゃないって。この学校文芸部あるんだし、せっかくだから入ってみたら? 文芸コンクールも定期的にあるし、実力を知れると思うけど」
 にこにこ笑いながら言う先生に私は何も返さなかった。人と関わりたくないからここにいるってのがまだ分かんないのかな。部活なんて入るわけないじゃん、自分から他人と関わろうとするとでも思ったわけ?
 私のことが分かってるんだか分かってないんだか。……部活を勧めるあたり後者だとは思うけど、他の教師みたいに嫌だとは思わないんだよね。
 本人には絶対に言うつもりはないけど、一緒にいてもそんなに嫌だとは思ってない。きっと他の人みたいに私を変人扱いしないから、だと思うけどよくわからない。
 なんとなく、胸の奥が暖かいようなむず痒いような。今まで体験したことのない感覚。これが一般的に言う友達といるときの感覚に近いのかな。……瀬島先生と友達になったつもりはないけど。
 私がもう喋らないってことを感じ取ったのか、先生は自分のノートに向かう。私もそれに倣って自分のノートを開いて続きを書き始める。
 まだ暖房の入らない、少し肌寒い図書室の中。充満する本独特の匂いと、遠くで聞こえる運動部の掛け声、それから吹奏楽部の楽器の音。
 どこか学校から切り離されたような、他の教室や生徒から何とも言えない距離を保つそこに響くのは、私と先生が文字を書く微かな音と、二人分の呼吸音だけ。
 静かすぎると言われるかもしれない空間だけど、私はたまらなくこの空間が好きだった。もうすぐ冬になって弱まってしまうだろう陽射しと、窓から覗く朱に染まった木の葉も。
 私の隣で教材とにらめっこして眉を寄せる先生と、先生のノートに刻まれた男性にしては小さな、でも読みやすい文字も。
 誰も気にしない、そんな些細なものを感じ取れる図書室が。私は大好きなんだ。誰かと顔を合わせなくたって、ここで学べることはたくさんある。私はここで色々な変化を見るだけで精いっぱい、だから。
 他人のために神経をすり減らしていたら、きっとこんな些細なことに気がつけない。自分以外の人間のために神経をすり減らしたくなんかない。私は私のことで精いっぱいなんだ。
 おでんが食べたいね。コンビニによって帰ったら?
 時折つぶやく先生。そのつぶやきに何か返して、また黙る。多くを喋る必要はない。沈黙がおりても苦痛でない。
 そんなつかず離れずなこの関係を、私はひそかに気に入っていた。だから先生にもう帰れなんて思わないし、来るなとも言わない。
 ……先生が来ない時間が、前より長く感じる、なんてさ。先生に言ったら馬鹿みたいに喜んで、仲良くなれたねなんて言って笑うだろうから。
 もう少しだけ、私が独占していたい、から。絶対に言ってやりはしない。

――*
「明日で僕、教育実習終わるんだ。五限目の授業、僕が授業するから教室においでよ」
「……は」
 またいつものように先生と放課後を過ごして、最終下校時刻を知らせるチャイムが鳴った頃だった。先生はいきなりそんな爆弾を落とした。
 明日で、教育実習が終わり。その言葉が頭に、胸に突き刺さって急に息苦しくなった。
 ああ、そうだ、忘れてた。瀬島先生は教育実習生だった。ずっと、この学校にいるわけじゃなかった。
 それを思い出して、私は何とも言えない気持ちになった。なんだろう、頭の中がぐちゃぐちゃで、胸の中に何かがつっかえて。何も言えないし、何も考えられなかった。
 何も言えない私を放っておいて、先生は続ける。
「伊吹さんに僕の授業を受けてもらって、感想を聞きたいんだ。伊吹さんは小説を書くのが上手だから。僕が教える登場人物の感情とか、間違ってるかもしれないから、それを教えてほしくて」
 にこにこ笑う先生。いつもはなんとなく落ち着くなあと思ってた表情だけど、今はその顔を見るのがただただ辛かった。
 そんな顔、向けないで。どうしようもなく悲しくて、辛くて、苦しい。先生が知らない間に教えたこの感情の名前は、この寂しさの、辛さの、苦しさの意味は、理由は何?
 気を抜けば、泣いてしまいそうだった。何か理由があるわけではない、多分。それでも、少しでも油断したら目からぼろぼろと涙が零れ落ちてしまいそうなんだ。
 震えそうになる声と、こぼれそうな涙を抑えて、私は何とかいつもの通りにふるまった。
 ――気が向けば、ね。
 偉そうな私に、先生は困ったなあと笑うばかり。困ったなら突き放せばいいのに。私と関わらなければいいのに。
 先生は本当にお人よしだ。いつか詐欺にでも引っかかるんじゃないの。そう思いながら、ノートと本、筆箱に財布だけが入った軽い鞄を持ち上げた。
 先生、肉まんとおでん食べに行こうよ。お腹すいた。いつもより冷え込んだ廊下。もうすぐ冬が来る。
 会議が終わったら帰れるから、ちょっと待ってて。いつもと変わらない笑顔で先生は言う。
 こんな寒い中、待てるかっつーの。早くしてよ。我儘を言えば努力はするよ、と怒りもせず階段を下りていく。
 冬が、こんなにも近い。寒い。冬なんて、来なければいいのに。照明の消えた、暗い、寒い廊下。ただただ突っ立って、おぼろげな月をぼんやり見ていた。
 ……本当に、冬なんて来なければいいのに。
 呟いた言葉は誰もいない廊下で掻き消えた。私のつぶやきに反応してくれる人は、もうすぐいなくなってしまう。私をまた独りぼっちにしようとする冬が心底憎かった。


 結局、私は教育実習最終日に学校に行くことはなかった。瀬島先生の授業も、受けることはなくって。
 一人になった図書室の中、私はいつもと変わらずノートに文字を書きなぐっていた。
 きっと、これでよかったんだ。最後に会わない方がきっと私のためにも、先生のためにもなる。だから、私のしたことは間違ってない。
 ……間違っていないはずなのに、どうしてこんなに悲しいんだろう。いつの間にか文字を書く手も止まっていて。気持ちを紛らわせるために無理矢理言葉を刻み込もうとすると、ひじに当たって消しゴムが床に落ちた。
 かがみこんで消しゴムを拾うと、伊吹さんへと書かれた紙袋を見つけた。その文字は見慣れた先生の文字で。
 驚いて中を見てみれば、大学ノートとピンクのパーカー、薄い水色の封筒、それから紫色のシュシュが入っていた。
 手紙を開けば、書いてあったのは授業を受けてもらえなくて寂しかったこと、図書室でのやり取りが楽しかったこと、私の小説をまた読みたかったということ、寒いだろうから袋の中のパーカーを着てほしいということ、髪をまとめればきっと可愛くなるということ。それから、また会って話をして肉まんやおでんを食べたいということ。
 ……馬鹿。瀬島先生は、本当に馬鹿だ。私の好きな色知らないくせにわざわざパーカーとシュシュを買ってきて。こんな面白みもない私といて楽しかっただとか、また会って話がしたいだとか。本当に、先生は、馬鹿だ。
 パーカーを羽織って、紫のシュシュで髪を結んで。ボロボロこぼれる涙には気付かないふりをした。この涙の意味に、気付きたくなんかなかったから。見てみぬふりを、したかったから。だから、私は知らないふりをした。
 大学ノートを開いてみれば、それは教育実習中の日記で。私と会った日から私のことに関することが多い。
 どうしたら話してくれるだろうか、何が好きなんだろう、あの小説の続きはどんな展開なんだろう。
 ……瀬島先生は、私のことばかり気にかけていたみたいだった。私の専属カウンセラーでもないのに、何をやってるんだろうね。
 泣いているはずなのに、私の顔には知らず知らずに笑顔が浮かんでいて。ああ、もう本当に先生には敵わないなあ。私が笑うのなんていつ振りか分からないよ。
 冬が来なければいいと思った。冬が来るから、先生が行ってしまうんだと思った。でも、冬が来なければ、私はまた先生に会えやしないんだ。
 春にならないと、先生には会えない。冬の間に、この小説を書き終わらないと先生に見せるものがないや。でも春が来たら肉まんとおでん、コンビニでは売ってないけど。
 ……少し、頑張ってみようか。まず先生に勧められた文芸部に入部してみようかな。少しずつ慣れていけば、先生に会う頃にはきっと私はちゃんと一人で歩いていけるようになっているはずだから。
 ねえ先生。先生のせいで図書室で飲食するの癖になっちゃったじゃんか。特にするめ齧るのやめられなくなっちゃった。そう言ったら、先生はまた困ったなあって笑うのかな。
 今度会う時はするめも用意してほしいな、なんて。いつ会えるかもわからないのにね。それでも近いうちには会えるだろうから。
 それまで少し頑張ってみるよ。止まらない涙を放っておいて、私は小説の続きを書き始めた。先生の愛読書になれるような、そんな小説を書くために。


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