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 僕は、図書室が好きだ。図書室は僕にとっての聖域で、僕が学校の中で唯一気を休めることが出来る場所だった。
 場所だったのに、だ。最近妙な人がカウンターにいる。セーラー服の上に、ピンク色のパーカーを羽織った女の人。
 カウンターにいることが出来るのは、図書委員だけだ。そこから考えるに彼女は図書委員なんだろうけれど、僕はそんなこと認めたくなかった。
 なぜなら、いつもいつもスルメをくわえているからだ。これは図書委員、いや、本を愛するものには言語道断な行為なのだ。
 本を読むときに何かを食べながら本を読むなんて、邪道中の邪道。ページの間に食べこぼしなんかが挟まってみろ、僕はそれだけで死ねる。
 本は筆者の世界そのものだ。その世界に食べこぼしを挟むようなことをするなんて……。そんなことが出来る奴は、本当に本を愛するものじゃない。本を愛しているつもりになっている奴だ。
 そしてカウンターの女の人はそれに当てはまるわけで。そんな人が図書委員? 笑わせないでくれ、僕は認めないんだからな。
 それに図書室という狭い空間でスルメみたいな臭いのきついものを食べると、部屋の中に臭いが充満する。
 食べている本人は気にならないだろう。でもそれ以外の人にすると、臭いが気になって仕方ないのだ。
 僕も気になって仕方がない部類の人間だ。せっかく本の世界に浸って、小説の中の花の香りだったり料理の匂いだったりを想像しながら読んでいるのに、スルメの臭いがそれをぶち壊すのだから。
 現に今読んでいる小説内でにおいの描写を想像するたびに、スルメが僕の脳内に入ってきて、想像を塗りつぶしてしまう。スルメの臭いに。
 数日我慢してきたが、もう我慢の限界だ。僕はここに本を読みに来ているんだ。決して小説内の臭いをスルメの臭いだと認識するために、図書室に足を運んでいるわけではない。
 今日はガツンと言ってやる。返却本と、新しく借りる本、それから読んでいた本を閉じ、それらを手に僕はカウンターへと歩みを進めた。
 図書委員らしき人は僕に気付いていない。いつもと変わらずスルメをくわえて、もごもごとゆっくり租借しながら本を読んでいる。
 ああ、イライラする。そのイライラが無意識のうちに声色に溶け込んでいた。

「あの、あなた何なんですか。図書室内は飲食厳禁、そうでなくとも周りの利用者に気を使うべきではないんですか」
「……お? 君毎日ここで本読んでる子だよね。何、友達いないからここに来てんの?」
「僕はそんな話をしているんじゃありません。勝手に話をすり替えないでください」
「おー、なんか君絵に描いたような真面目君だね。面白みがないっちゃない、でも部分的には腹筋を崩壊させるほどの面白さを持つタイプの人間だね」
「……日本語通じてます?」

 ダメだ、この人話が通じない。キャッチボールなんか出来たもんじゃない。これは会話のドッジボールだ。
 しかも僕は仲間へパスをする程度の力加減で投げているのに、相手は敵を沈めるために投げる剛速球みたいな感じ。まあ実際僕は敵になるんだろうけど。
 でもこれはあまりにひどい。なんか会話する気が失せてくる。毎日語彙力がなくて話が通じない人を相手に話したりするけど、それよりひどい。語彙力の問題じゃなくて、多分この人僕と話のベクトルをあわせる気がない。
 僕が内心で失望に酷似した感情に浸っているのも知らず、返却貸し出しー? と、彼女は何事もなかったように僕の手にあった本をむしりとった。え、ちょっと何するんですか。

「あ、これ君の本か、ごめんごめんむしりとっちゃった。でも君センスいいね、私この作家の小説読んでる高校生、初めて見たわ」
「え? この作家さん知ってるんですか」
「知ってるも何も、私大ファンだよ。最新刊はまだ買えてないけど、今までに出た小説は全部持ってるよ」

 驚いた。僕が読んでいる小説の作家を知ってる人がいるなんて。マイナーというか、書く内容が明るくないから、高校生が読むには向かない小説が多いのに。
 ちょっとこの人に親近感が沸いた。この人がやってる行為を認めるわけではないけど、この人となら普通に会話できるかもしれない。
 首からさげられている名札には、三年伊吹薫という明朝体が印刷されていた。なるほど、伊吹先輩か。
 名前を頭の中で反復させていると、下で先輩の声がした。へー、宮野真くんっていうのか、へー、という気の抜けたような声が耳を通っていった。
 返却本の中にある貸し出しカードを見たのだろう。この学校は今の時代に珍しいカード式をとっている。
 生徒からは不評のようだが、司書室の先生がバーコード式にするのを頑なに拒むらしい。僕としてはバーコードよりカードのほうが好きだから、全く不満はないんだけども。

「君後輩だったのか。言葉があまりにもしっかりしてるから同い年かと思ったよ」
「そうですか。僕は多分先輩だろうとは思っていましたけど、スルメくわえながらなので確信はもってなかったです」
「え、宮野くんスルメ嫌いな人なの? 人生の七割損してるね」
「いえ、そういうわけではなく、図書室で食べるのをやめて欲しいんです。それからスルメで人生七割埋まるのもどうかと思いますけど」

 僕の言葉に伊吹先輩はあはは、一理あるねと笑った。まったくである、僕は人生の九割を本で埋めたい人間だ、スルメなんか眼中にない。

「久しぶりに面白い人と出会ったよ。話のあう人がいなくてね、ずっと退屈してたんだ。宮野くんに命令しよう、私の話し相手になれ」
「……」
「いや、冗談だからさ、そんな生ゴミを見るような目で私を見ないでくれるかな、私一応君の先輩だからね?」
「すいません、最近の生ゴミは人語を話すのかと感心していました」
「それ笑えない冗談だね、私人間だから。君いつも放課後ここに来るでしょ、君が帰るまでの間でいいんだ。私の話し相手になってくれない?」

 伊吹先輩が下手に出た。そのことに僕は少し驚いて一瞬思考が止まりかけた。
 まあ、別にこの人ならいいかもしれない。本の好みも合うし、語彙力がないわけではないみたいだし。多少バカだけど。

「いいですよ。スルメをくわえないならという条件付で、ですがね」
「私の好物とっちゃうの? まあいいけどさ、飲食厳禁だしねここ。出来るだけ気をつけるよ」

 伊吹先輩はくわえていたスルメを口の中に押し込んで、もごもごと数回租借してから飲み込んだ。のどに詰まりそうな食べ方だった。僕は絶対にやりたくない。
 よろしくね宮野くんと出された手を、僕は仕方なしにとった。そしてこちらもよろしくおねがいしますと感情をこめずに言った。
 なんだよ冷たいな宮野くんはーとなにやらうるさい先輩を放って、僕はカウンターの上の貸し出し処理の終わった本を手にし、いそいそと図書室を後にする。
 僕が図書室から出る前に、また明日ねーという、やけに嬉しそうな伊吹先輩の声がした。あの人はMなんだろうか。それともただの変人なのだろうか。
 両方という可能性もあるが、気にしないことにしよう。どうせ口だけだろう。そう頭の中で考えながら、僕は帰路をたどり始めた。


 誰か昨日の僕を殴ってくれやしないだろうか。どうせいないだろうと、先輩を見くびっていた僕を、全力で殴ってほしい。

「宮野くん、私は君を待っていたのだよ! 早く入ってきて入ってきて!」
「……丁重にお断りしたいんですけど」
「だめだめ、君にはこっちにくる義務がある! はい、今すぐ来る!」

 正直面倒くさい。昨日の僕はどうかしていたんだろう。こんな人と話が合うかも、なんて本気で思ったのだから。僕は病院に行ったほうがいいかもしれない。無論、頭の。
 見つかってしまった以上、逃げるのは不可能だろう。諦めて図書室へ足を踏み入れた。そのときに先輩に見えるように、大げさにため息をつくことも忘れない。決め細やかな嫌がらせって、結構来るものがあると思う。僕の考えでは。
 そんな僕の考えとは裏腹に、伊吹先輩は僕をカウンターの中へ引っ張り込んで、一冊の本を押し付けてきた。
 それは昨日話題に上がった作家の本だった。それも、今では入手が困難なデビュー当時の短編集。僕が唯一もっていない本だった。

「先輩、これどうしたんですか!」
「昨日古書店に行ったらさ、普通に売ってたんだよ。一冊しかなかったから、衝動買いしちゃった」
「でも先輩全部持ってるって言ってませんでした? 当然、この本も一冊は持ってるんでしょう?」
「当たり前でしょ、私を誰だと思ってるの」
「ならなんで、この本買ったんですか。持ってるなら買う必要ないんじゃないですか?」
「その本買ったのは、宮野くんにあげるためだよ」
「え?」

 僕は先輩の言葉に、一瞬自分の耳を疑った。僕にあげるため……? それはいったいどういうこと?
 僕は珍しく口をあけて、ぽかんとしてしまった。日本語は理解できるんだけど、その意図が分からない。
 僕の考えていることを察したのか、伊吹先輩がふっと笑って僕の頭をなでた。

「これは私からの純粋なプレゼントだよ。なんだろ、新しい友達が出来たその記念、かな」
「記念、ですか……? なら、僕も何か先輩に差し上げるべきですよね、すいません僕何も用意してなくて」
「気にしないでいいから、君は放課後になったらここにきて私と話をするだけでいいの! 私にはプレゼントとかより、そっちのほうが嬉しいから」

 先輩は、ぐしゃぐしゃと僕の頭を数回かき回してから、椅子に座ってノートに何か書き始めた。
 邪魔しないようにそれを覗き込んでみると、それは小説だった。遠目に見るとノートが真っ黒に見えるくらい、小さな文字がびっしりと言葉をつむいでいた。
 小説を書く先輩の顔は、僕と話しているときのような笑顔はなくて。ただ真剣にノートの上に視線を注いで、つらつらと文字を書いていく。
 別人のような先輩に、声をかけることなんかとても出来なかった。先輩の世界をつむぐ時間を邪魔することなんて、僕には到底出来ることじゃない。
 出来るだけ音を立てないように隣の椅子を引いて、ゆっくりとそれに座った。先輩は僕が横にいることなんか気付いていないようだ。
 さっそく先輩にもらった本を読もうと表紙を開いたとき、先輩がふと顔をあげて僕のほうを見た。

「金木犀が香るころ、僕は君と出会いました」
「え?」
「あの作家の本が好きなら分かるでしょ、察しなよ」

 先輩はむっと眉を引き寄せてから、僕を一睨みした。それから、ぷいっと顔をそらしまたノートに文字を綴っていく。
 一瞬何を言っているのか分からなかった。だってその話は読んだことがなかったから。先輩は僕がこの短編集を読んでいないことを、さっきの今で忘れたんだろうか。
 先輩のいう話は、この短編集にしか載っていない話なんだから、僕が今の時点で知ってるわけがないじゃないか。
 はあとため息をついてからページをめくる。一番初めにある小説が、さっき先輩が冒頭を言った小説だ。冒頭だけは、何故だか知っていた。おそらく父か誰かに聞いていたんだろう。
 冒頭の続きを読むと、僕は自然と笑ってしまった。これぐらい、口で言えばいいのに。
 先輩に視線を向けると、恥ずかしそうに目線をそらし、口を尖らせていた。返答を待っているのか。なら、先輩にさっきの返答をしようじゃないか。

「僕は喜んで、先輩の隣にいますよ」

 その言葉を聞いた瞬間、先輩はがばっと顔を上げて、また嬉しそうに笑った。僕が笑い返すと、小さくありがとうとだけつぶやいて、またノートの小説に戻る。
 僕はやっぱりちょっとおかしいのかもしれない。昨日から考えることがあっちこっち、間逆の方向に向きすぎだ。
 それでも、たった今思った。この人といるのは、悪くないかもしれない。変人だけど、一緒にいて楽しいしね。
 窓から入った風に乗った金木犀の香りが、僕の鼻を掠めた。もう秋だ、読書の秋だ。今年はここで、新しく出来た友達と気持ちよく読書が出来そうだ。
 そう、僕は本に目を落としながら思った。

『 金木犀が香るころ、僕は君と出会いました。君は僕に言うのです。
「私の永遠に続きそうなぐらい長い長い小説が書き終わるまで一緒にいてくれますか。最初の読者になってくれますか。最初の読書になったあとも、私と一緒にいてくれますか。もっと長い小説を書き上げて、あなたが読んで。また何回もそんなことを繰り返せるぐらい、一緒にいてくれますか」
 僕の答えは一つでした。僕は君に、「僕は喜んで、君の隣にいますよ」とだけ言いました。君は嬉しそうに笑って、ありがとうとつぶやきました。僕は君の新しい友達ですよ。』


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