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 彼女は魚だ。彼女の泳ぐ速さは尋常じゃないから、私は置いていかれるばかりだ。きっとどれだけ足掻いて手を伸ばしたって、彼女になんか届くわけ、ない。
 それゆえ、私は彼女に焦がれ、そして惹かれていくのだろう。
 私は、彼女が好きだった。



プールサイドの魚
                              
 

コールタールをこぼしたような水面。ゴミも波紋も何もない、静かなプールを前に私はなぜこうなったのかを考えていた。
 隣では私の親友である、原田沙夜が張り切ったように服を脱いでいた。服の下からは競泳用の水着が出てきて、彼女は準備運動もそこそこに鏡のような水面に飛び込んだ。
 現在午後十時過ぎ。夏休みの学校に私と沙夜が忍び込んだのは、沙夜の単なる思い付きからだった。
 私が家で課題をしていたとき、いきなりメールが届いたのだ。誰からだろうと思えば沙夜からで。本文はたった一行、夜プールに行こう。たったそれだけ。
 意味が分からなかったため、どこへ泳ぎに行くのと返せば、迎えに行くから秘密、と帰ってきた。その時点で私は諦めていたと思う。沙夜は一度言い出したら、誰の言う事も聞かず、わが道を進む性格だから。
 夜彼女が来るのを待って、案内されるままについたのが学校だったのだ。こんな夜に生徒は来ない。ましてもや怪談が流行っている今、好き好んで学校に来ようと思う物好きはいないだろう。
 まあ、その好き好んでくる生徒に私と沙夜がいるのだけれど。来てしまったからには仕方ない。怒られないように沙夜が泳ぐのを見ていよう。

「明日香もおいでよ、気持ちいいよ!」
「私はいいの。それより、大きな声を出してると、先生に見つかるよ」
「うわ、それはやだー!」

 私の警告に、沙夜は短く返答してからまた水中に姿を消した。そしてまた音もなく静かに泳ぎ始めるのだ。
 私はそれを見ながらただプールサイドに腰かけて、足首から先を水につけているだけだった。泳ぐのは好きじゃない。むしろ嫌い。
 体育は嫌いじゃないけど、記録はあんまりよくない。その中でも水泳は最悪。水泳なんかなければいいのに。そう思ったのは一度や二度じゃない。
 私は勉強が得意で、運動はあまり得意じゃない。典型的な優等生タイプの人間だと思う。少女マンガとかによく出てくる、三つ編みメガネの委員長みたいなタイプだってことは、とっくの昔に自負している。
 成績は常にトップ。それが当たり前だと感じられるようになってきた。嫌味に聞こえてしまうだろうが、成績の悪い人がなぜ成績が悪いのかわからない。
 成績は積み重ねの成果だと、私は思う。積み重ねさえすれば、誰だって一位をとれる。簡単な話だと思っているのだけど、そう簡単な話ではないらしい。
 だからなのかもしれない。私の周りには“友達”と呼べる人がいなかった。いたとしても、委員会関係の人だったり先生だったり。
 それがさみしいなんて思ってない。一人のほうが楽だから。高校生にしては冷めた考えだとは思うけれど、考えをかえようとは思わない。
 でもそんな私とずっと一緒にいてくれたのが沙夜だった。

「沙夜、いい加減に帰ろうよ。明日大会なんじゃないの」
「大会……、ねえ……」
「何、出たくないの? 泳ぐの、好きでしょ」
「……別に」

 沙夜は言葉を濁して、また潜ってしまった。彼女は気分屋だから、仕方ないといえば仕方ないのだけれど、泳ぐことであんな風に不機嫌になったことはない。
 沙夜は、水泳しか取り柄がないような子だった。成績はいつも平均三とか、お世辞にもいいとは言えない。
 でもそのかわり、泳ぐことだけはとびぬけて成績が良い。高校生記録をいくつも塗り替え、出る大会全てで優勝していた。そのおかげで表彰伝達で名前を呼ばれる常連なのだ。
 その上、沙夜は社交的で、友達が多い。クラスの人とすぐに打ち解けられる、気さくさと明るさを持ち合わせていた。
 私にないものを、沙夜は持っている。ほしくて手を伸ばしても、絶対に手に入らないものを、沙夜は全部持っていた。
 沙夜は成績がいいことがうらやましいと私に言うけれど、私は沙夜の持っているものがうらやましくて仕方がない。
 沙夜は才能を持っているのだ。水泳の才能と、人をひきつけ打ち解けられる才能。彼女の才能は持って生まれたものだから。私がどれだけうらやましがり、ほしがり、駄々をこね、泣き叫んだって手に入るものではない。
 私の手の中にあるのは、才能がもたらした産物じゃない。努力の賜物というやつだ。私に才能なんてものはない。だから私が普通以上のものを手に入れようと思ったら、努力をするしかないのだ。
 周りの人には私が努力をしているようには見えないだろう。他人の努力というのは、目に見えないものだ。
 だから私が好成績を修めれば修めるほど、周りから人がいなくなった。勝手なイメージで私が嫌味な女だと思ったのだろう。私は自慢なんてしたことないのに。
 それに引き換え沙夜は、水泳成績を残すとどんどん人が集まってくる。すごいと称賛され、周りに人が集まる。本当に、才能だと思う。
 成績を残せば残すほど嫌われる私と、誰からも称賛される沙夜。どうしてこんなに差ができてしまうのだろう。やっぱり、才能だからなのだろうか?
 努力も人に知られなければ才能に見えそうなものなのに、世の中はそう甘くないらしい。やっぱり才能がある人が認められて、才能に見える努力は嫌われる。
 努力って、なんのためにやるのだろう。努力が認められないなら、努力なんて無駄じゃないか。そう考えだしたときだった。
 水につけていた足がいきなり引っ張られて、派手な音を立てて私は水中へ落ちた。息を吸っていなかった私だから、すぐ息が苦しくなってもがくけれど、私の足をつかむ手は私の足を離さなかった。
 もうこれ以上はやばいと思ったとき、私の足から手が離れて水面へ顔が出た。酸素を吸い込む私に、沙夜が私と同じように浮かんできていう。

「危なかったね、明日香」
「何が……。いきなり何、すんの……!」
「先生の巡回。服は明日香が畳んでくれてたから、忘れ物だと思われたみたい。そのまま置いてあるから問題ないよ」
「だからって、引っ張らなくったっていいでしょ……!」
「ごめんごめん、気が動転しちゃった」

 沙夜は悪びれた様子なくいった。内心怒ってはいるのだけど、なぜだか怒る気になれなくて、怒るかわりに深いため息をついた。
 いつだってそうだ。沙夜は私の怒る気をなくしてしまう。それが沙夜だといえば沙夜なのだけど。
 水面に浮かんだまま、ぼーっと空を見ていた。薄い雲に隠された月が、弱い光を降らせていた。

「ねえ、明日香」
「何?」
「私、水泳嫌いになりそう」

 沙夜の言葉に、私は驚いてとっさに横を向いた。水に浮かんでいるということを忘れていたため、横を向いた瞬間に目に水が入った。あわててまた上を向けば、沙夜はまた口を開いた。

「なんで水泳してるのか、わかんなくなっちゃった」
「なんでって、好きだからでしょ。何言ってんの」
「泳ぐのは好きだよ。でも、記録ばっかり求められて、記録が良くて優勝したら周りにもてはやされて……。私の水泳って、そんなことのためにやってたんだっけ」
「沙夜……」
「私、明日香になりたかったなあ……」

 沙夜はそう言ってプールサイドまで泳いでいき、プールサイドにあがった。その動作が少し悲しそうに見えて、私はかける言葉をなくした。
 でもそれと同時になんだか自分がみじめになった。沙夜の悩みに乗ってあげられない自分が、ひどくしょうもない人間のように思えたから。
 水中を魚のように泳ぐ沙夜が、私は好きだ。どんなにひどいことを言っても、私のそばにいてくれる沙夜が好きだ。私の好きは、恋愛的な意味じゃない。でも友人に向ける好きでもない。形容しがたい好きという感情があるのに、私はそれを押し出せず、ただ当たり障りのないことしか言えない。
 私にも才能があれば、沙夜の悩みになにか言ってあげられたのかもしれないのに。どれだけ彼女のことが好きでも、何かしてあげられないなら意味はない。
 水面に浮かびながら、私は動くこともせずただ思った。プールで飼われる魚は、どれだけ周りに蝕まれてきたのだろう。プールサイドで放置される魚は、どれぐらいプールの中の魚に焦がれ、惹かれて、その体を蝕まれたのだろう。
 私にプールの中で飼われている魚の心情は、まったくわからない。それと同じで、彼女にプールサイドの魚の心情はわからない。
 持ってる才能と、取り巻く環境に気付かず、もっともっととほしがる魚に、私はどうすればいいんだろう。私には、まったくわからない。
 自由に泳ぐ魚になれたら、なんて。自由に泳ぐ魚になれたら、彼女の悩みだってわかってあげられたのかもしれないって。プールサイドの魚は、ただ干からびてその身と命が朽ち果てるのを待つしかできないのに。
 いつか私も朽ち果てて、ぼろぼろと崩れていくのだろうか。なんてすでに答えが出ているも同然な問いを、ぼんやりと考えていた。
 月の光は、もう降り注いでいなかった。


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