QLOOKアクセス解析戦火の花嫁 | ナノ
――…――…。
ノイズが聴こえる。どこか聞き覚えのあるそれがなんであるかを確かめる前に、そのノイズはぷちりと切れた。

不可逆な憧憬

――まどろみの中、名前が呼ばれた気がした。
ゆらりと浮上しかけた意識を引っ張りあげるかのように、何度も名前を呼ぶ声。沈んだり浮かんだりしていた意識が覚醒へと引っ張りあげられると、彼――花宮は夕焼けの中にいた。
花宮の目の前に突き出された手はまだ幼く、それでも肉刺がたくさんできた戦う人間の手だった。
腕をたどって手の持ち主を見てみると、髪を短く切った女だった。その顔は真っ赤な夕焼けに目がくらんで見えない。
早く手を取りなよ。そういわんばかりに何度か上下に振られた手を慌てて掴めば、女の口元がゆるりと弧を描き、ぐいっと引き上げられた。
浮遊感にぎゅっと目を閉じた花宮を、その女が笑う。笑われても、何故だか不快だとは思わなかった。何故だろう。どこか心地良くて、懐かしくて、頼もしく感じた。
なぜだろう。この感覚を、この感情を、彼はは知ってる気がした。こんなの初めてのはずなのに、どうしてだか懐かしくて悲しくて、胸の奥がきゅっと痛む。
苦しくはない。でも、本当に悲しくて辛くて。女が誰なのか。花宮と彼女がどんな関係だったのか。
花宮が脳内で何回問いを繰り返しても、答えなどでない。彼の薄いもやがかかったような不鮮明な視界と頭でははっきりとした判断などできるわけもなく、腕を引く女についていくしかなかった。
夕焼けと茂った植物が視界を流れていく。花宮の手を引いて弾むように走る女の短く切られた髪が、その持ち主の動きに従って跳ねる。乾いた軽い音を立てて弾むそれを、彼はどうしてだか走りながらずっと見つめていた。
このまま走り続けていられたら。早くも息が上がりかけている花宮と、まだ息の乱れない女。彼は必死についていきながら、そんなことをただぼんやり思った。
どうしてだか幸せな気分で、息が上がっていても辛くない。このまま走ればどこにつくんだろう。
見覚えのあるようで見覚えのない風景の中を走りながら、頭の片隅でそんなことを考えた。この女となら、どこへ行ってもいいような気がした。冷静に考えてみればバカみたいな考えだが、その時花宮は本気でそう思ったのだ。
だがそんな思いとは裏腹に、彼が右足を踏み出した瞬間、ずぶりと沈む足。左足を踏み出してなんとか体勢を持ちなおそうとするが、それも無駄に終わりどんどん体は沈んていく。
するりとつないでいた手がほどけて、振り返る女。もう一度伸ばされた手を掴もうにも、俺は底なし沼に飲まれているかのようにずぶずぶと沈んでいく。伸ばされた手は、彼女の中指にかするだけだった。

「花宮、花宮」
「…んだよ、うっせえ…」
「唸されてたよ。よくない夢でも見た?」

どこからか聞こえた瀬戸の声で目を開けると、そこは司令室で。周りを見渡して自分が居眠りをしていたのだと、まだぼんやりしている頭で思った。
……そうだ、今は戦争中だ。あんな夕焼けの中を走れるわけがない。花宮はもう子供ではないのだから。
それにしても、リアルな夢だったな。花宮は自分の手を何度か開いたり握ったりしてからぼんやりと思った。
まるで本当に経験したかのようなリアルさ。握った手の感触も、走った時の胸の痛みも、地面を蹴る感覚も。全部、自分が本当にその動作をしていたようだった。
そんな風に夢を思い返してから、花宮は頭をぐしゃぐしゃとかき回した。居眠りなんかしていたら、仕事が片付かない。
目の前につまれた紙の束を見て、彼の口からはあと溜息がこぼれた。憂鬱だ、作戦を考え指示することなど、楽しくもなんともない。
花宮が指揮をとる国は小さく、資源に乏しい国だ。今まで争いを避けるために他国とのかかわりを一切もってこなかった。
そんな小さな、忘れ去られたような国が戦争など出来るわけがない。大人しく侵略されてしまえば良かったんだ。その方が死者の数も少なくて済んだだろうに。花宮は口に出しはしないが、内心そう軍部に悪態をついていた。
国力の差を、資源の差を考えない政府に、軍部に。花宮は怒るどころか呆れて何も言えなかった。軍に招集され、こんな地位についてしまっても特に何も感じることなく、死と隣り合わせに生きる。彼が自分のためにすることなんてそれだけでしかない。

「飛行師団が弱いな。山崎がいる第一師団はまだましだけど、他の師団は話にならないね。どうする、花宮」
「どうするといわれても、有能な奴から入れてそれだろうが。今更どうしようもねえよ。空で勝てねえのは痛いが、そこは高射師団に頑張ってもらうしかねえ」
「……。花宮、一人心当たりがあるんだけど、そいつを迎えにいくのに何人か割けない?」
「あ? ……まあ、割けねえことはないが……。有能なんだろうな?」
「うん。こんなときに無能な操縦士を入れてどうすんの。早いところ蹴りをつけないとこの戦争負けるよ」

分かっている。そんなこと言われなくても分かっている。
この国に勝ち目がないことも、負ければ国が、俺がどうなるかってことも全部。そんなの、考えれば分かることだろう。
呟かずに飲み込んだ言葉は、花宮の胸を傷つけて消えていった。思っても口に出さなければ存在しない。言葉は便利なようで不便だ。
花宮は軍部に招集されたときのことを思い出し、さらに顔をゆがめる。
あの時、愛想笑いなんてしなきゃ良かった。軍服の左腕で光る勲章が恨めしい。後悔してるのに、この勲章で今まで必要とされてこなかったのに、軍部で必要とされている。
なんて滑稽な皮肉だろうか。誰へ向けたわけでもない嘲笑は、瀬戸の心配そうな目にしか映ることはなかった。
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