06
昼下がりに、部屋で考える。手には彼からの手紙があって、私はその返事を考えているところだ。
名前がない。だから、君に考えてほしい。
優しくて知的な彼にぴったりな名前。それでいて、不吉でない名前。ネーミングセンスもボキャブラリーもない私が、彼に似合う名前を考えるのは難しい。
もし私の考えた名前を彼が気に入らなかったら。彼は幻滅するのかな。わざわざ私に頼んでるんだ、私が変な名前をつけたら彼は私を見損なうかもしれない。
そんなの、嫌だ。幻滅されたくない。もし幻滅されたら、嫌われたら。考えるだけで冷や汗が出てくる。嫌われるのが、怖い。
インクをつけた羽ペンを持つ手が震える。ダメだ、かけそうにない。
「どうしよう……。名前、なんて……」
呟いてみても、私に知恵を貸してくれる人なんていない。お母さんも、お父さんももういないんだもの。この部屋の中には私と少しの本だけ。
両親は、私が幼い頃人間に殺された。純血のメデューサだったから、人間に害をなす存在だとして。
純血のメデューサの両親から生まれた私は、もちろん純血のメデューサだ。私がまだ生きているのは、当時幼かったため、教育すれば人間の命令に従うだろうという考えからだ。
もちろん、野放しにするわけにはいかないからここに幽閉されているけれど。人間はつくづく馬鹿だ。私が人間に従うはずないのにね。
部屋の外にいる人に話しかけたって、彼らは返事なんてしない。私を見張るのだけが役目で、私と話すのが役目じゃないから。
もし彼らの仕事が私の話し相手になることだったなら、私と話したかもしれない。それでもきっといやいや、だ。仕事という逃れられないものだから、仕方なく話すだけ。だって、私が化け物だから。
はあ。小さくついたため息は部屋の中で消えた。待ってって手紙に書いてしまったけれど、いくら考えてもいい名前を考えられる気がしない。本当にどうしよう。
またため息が口から出そうになったとき、ふと幼い頃お母さんが言っていたことが頭をよぎった。
――知ってる? 私達の苗字は、案外簡単に出来ているのよ。珍しい苗字以外は、私達が生活していた場所や、距離から苗字が出来ているのよ。
そうだ、苗字は案外単純なんだ。大丈夫、きっとうまく名前になる。
私の部屋にある本は、わがままを言って幽閉されるときに家から持ってきたもの。
その本の中には漢字辞典もある。ゆっくり辞典を引きながら考えよう。辞典を持ってきて、一ページずつめくって書いてある漢字に目を通す。
そんな作業を繰り返して数時間。やっと彼の名前ができた。彼が私にくれたものから作った名前。大丈夫、不吉な名前じゃない……はず。
『ハロー、CQ。待たせてしまってごめんなさい。名前を考えてみました。花宮というのはどうでしょう。気に入らなかったらごめんなさい。それから私の名前ですが、黒木百合といいます。白い花の押し花をありがとう。とても綺麗で気に入りました。栞にして大切にしますね』
そこまで書いて、インクを乾かしていたときだった。部屋の外から話し声が聞こえてきた。それは信じたくないような話で。
冷水を浴びせられたかのように、体の中の血液が引いた。そんなの信じられない……いや、信じたくない。
これが嘘でも、彼に知らせたほうがいいだろう。彼らの話すことが本当ならば、真っ先に彼に危険が及ぶ。
片付けた羽ペンとインクを出してきて、追伸を書き加える。
『追伸 近日中に町が戦場になるかもしれないという話を聞きました。私は特殊な状況にあるので殺される可能性は低いと思いますが、あなたはそうではないでしょう。町の人があなたを殺しにいくかもしれません。早く逃げてください。』
私のこの手紙で彼が逃げてしまったら。私はまたなんの楽しみもない退屈な毎日を送ることになる。
だけど、彼が死んでしまうことを考えたら耐えられる。私だって逃げようと思えば逃げられる。
運が良ければまた会えるかもしれないから。確率は低いけれど、希望に縋らない手はない。また会えると信じて、彼には逃げてほしいと思った。
もうすぐ夜になる。深夜になったら手紙を出しにいって、今までありがとうともう一通手紙を出そう。
戦争が始まったら、私は兵器にされるかもしれない。もしかしたら、この部屋を自由に動くことも出来なくなるかもしれない。
少ない自由が保障されるのがいつまでなのか、分からないから。だから伝えられるときに伝えておこう。
だって、私、彼に生きていてほしいんだもの。
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