ざあざあ、ざあざあ、
身体はとうに冷えているはずなのに、冷たいと感じない。感覚がおかしくなってしまったようだ。ふう、と息を吐いたキイはポツリと呟いた。どうしよう、と。

「君のそれは、八つ当たりっていうんだよ」

それを言ったときのエドワードの顔といったらなかった。
顔を一度くしゃりと歪ませて、力任せに掴んでいた胸倉を離した。もちろん、突然のことにキイは反応できず、流れるがまま尻餅をついてしまった。

「いたっ」

小さく声をあげて、ハッと顔をあげると、そこにエドワードはいなかった。急に消ええた。というわけではなく、この場から退散していた。キイから見えるのは、遠くにいてさらに小さく見える金髪と、その後を追いかける鎧だった。


ふう。と息を吐いた。

「どうしようかなー…」

「悩むのは構わないが、そんなとこにいては風邪をひいてしまうよ」

雨が止んだ。
顔を上げると、青い軍服を纏った男が傘をこちらに翳している。雨が止んだのではなく、男が傘を差し出してくれていたのだと気づいた。
男はキイを見下ろして、にっこりと笑う。驚いているのか硬直しているのか、あるいはどちらでもないのかは定かではないが、キイはしばらく男を見上げてから目を離さずに「こんにちは」とだけ言った。
男も穏やかに笑い、挨拶を返すのだった。


かちゃん。

「まあ座りたまえ。おっと、その前にタオルかな」

「……」

夕方頃・キイがいる場所は、豪邸だった。

「ああ貴方、おかえりなさい」

「お父さん!おかえりなさい!」

「おおセリム。ただいま」

彼らを迎えたのは年増の女性と、5〜6才ほどの少年だった。
少し歳が離れすぎているが、親子なのだとすぐにわかった。
女性はキイを見た途端少し慌てたように、少年は心なしか嬉しそうに彼女に駆け寄った。

「おねえちゃんは誰ですか?」

「あらあら、ずぶ濡れじゃない」

「いやなに、迷子のようなものだよ。今日だけ置いてやってくれ」

「ええ、わかりました」

「…お邪魔します。」

「気にしないで。さ、風邪を引いてしまうわ。お風呂に入りましょう」

「……。」

某田舎に泊まる番組を思い出した。
とは言っても、ここは大統領の自宅なのだが。





「くらえっ、水手っ砲」

「わあ!」

びゅっ、ばしゃんっ、
そんな和気藹々とした音がただっ広い浴槽に響いた。

「すごいですねっ!どうやるんですか?」

「これはだね、こうやって手ぇ組んで…」

ぱしゃぱしゃ、と嬉しそうに手を組んでお湯を跳ねらせる少年を、キイは生暖かい目で見届けて、バスタブの縁に肘かけ、ふう。と息をついた。

「まさか大統領の息子とお風呂入るとは思わなかったなあ」

そう。少年もといキング・ブラットレイ大統領の養子、セリムとただいま入浴中である。

「…ごめんなさい。」

「んーなんで?」

「イヤ、でしたよね…」

「んなこたないよ。こんな経験めったに無いからねえっていうか誘ったのうちだし」

その通り、ずぶ濡れのキイが浴槽に案内された時、夕方だったためセリム少年もまだ入ってないとのことだったため、

「一緒に入るかい?少年」

そんなことを言ってみたのだ。最初はかなり驚いた様子で、(ブラットレイ婦人も「あらまぁ」なんて笑うだけである)だったため冗談だと言おうとしたのだが、セリムはもじもじと頬を赤らめつつ、

「……じゃあ、いいですか?」

――そんなわけで、今に至る。

とはいえ所詮10才も離れているので、キイ自身にそっちの気が無い限りは兄弟のような戯れである。(ぶっちゃけ初対面にしてありえない対応ではあったが、まあ置いておくとして。)

「…あの、聞いてもいいですか?」

「なに?」

「その…眼は、病気ですか?」

「ん?これ?」

セリムが差すは、今は無い眼帯で露になった右目。瞳はまるでルビーのように紅くそして怪しく輝いている。
カッコよく言えばオッドアイというやつで、いちいち聞かれるのが面倒くさいなんて理由で眼帯で隠していた。他人とお風呂に入るなど、家にいる二尾狐だけだ。

「んー病気とは違う気がするかなあ」

絶対に見られたくないというわけでもなく、キイ自身、見られたら見られたでどうでもよかった。
ただなんて答えればいいのかが少し迷うだけで。

「もしかして、お化けに呪われちゃったんですか?」

だからセリムがそんなことを言うなんて、思いもしなかった。


「…なに、そういう本でも読んだの?」

まさかこんな少年が、ましてや大統領の息子がそんなオカルトな発言をするなんて普通思うまい。

まさに純粋無垢な少年のオニキスの瞳がキイをじっと射抜く。
お風呂の湯気がイヤに少年の瞳を揺らがせた。

「すごい!?なんでわかったんですか??」

「へ。」

「じつはこの前図書館へ行ったときに絵本で読んだんです!
見たものを石にさせるという呪いの邪眼なるものが…」

「……」

「?キイさん?」

「なんでもない…それもう読んじゃだめだよセリム。きみの将来のために」

「ええーどうしてですか?」

「どうしても。ね、お願い」

「…はーい」

「…うん、よし。」



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