夕飯を済まし、セリムと一緒に本を読んだりとそれなりの団欒に入れさせてもらった後、キイは早めの就寝についた。客人用に設けられた部屋は広く、ベランダまであるのだから流石大総統である。けれど実際には、キイは部屋には入ったが眠ってはいなかった。ついでに言うとそのベランダの柵に座って黄昏いた。否、見方によってはただ呆けてるだけだろうか。そして彼女が何を呆けてるかと言われたら、あの凸凹兄弟のことだろうか。はたまた元の世界に住む仲間たちのことだろうか。もしくは、

なんにせよ、この世界に1ヶ月はたった。そして、この1ヶ月にいろいろありすぎた。非日常なんて彼女には日常の一つのようだけれど、驚きや悲しみ、怒り、そして虚しさ。言葉で並べるだけなら簡単な言葉たちは、ジワジワと、そして確実にキイにこの世界を魅せつけた。現代ではなかなか見られることのない夜空に広がる沢山の星もその一つである。

「………帰りたいなあ」

――結局の所、ただのホームシックなだけだったりするかもしれないが。

と、そこで、コンコンとリズムよく発せられた音がドアから響いた。キイはゆったりと振り向き「どうぞー」と訪問者を招く。無気力が本質の彼女だが、若干失礼な気がするのは仕様だ。

「そんな所にいてはまた濡れてしまうぞ」

「既に手遅れですけどねー」

入ってきたのは大総統、キング・ブラットレイだった。先ほどのカッチリした軍服ではなく、Yシャツとズボンと言うラフな姿。そしてキイのいるベランダまで足を運んで行った彼が言ったことも当然で、夜になっても未だに止まない雨の中。「足だけですけど」なんて付け足しているが、柵に座っているのだ。雨を凌ぐはずの屋根から素足が飛び出て(服は捲ってあった)そこだけ濡れてしまっている。

「もともと風邪はひかないからだいじよーぶですよ大そーとー」

「はっは、丈夫なんだな」

大総統相手に気だるげに話すキイとそれに笑顔で答える大総統。たった数時間前に出会ったばかりだというのに、その姿はまるで生意気な孫娘といつも笑っている祖父が縁側で団欒の時間を過ごしているかのようだった。二人は沈黙と外の雨を眺めていたが、暫くしてブラットレイは会話を切り出すことにした。

「夕飯は口にあったかな?」

「んーはい。おいしかったですよ」

躊躇無く答えられたその返事にブラットレイはまたニコリと微笑んだ。やさしそうとは違うけれど、安心する笑顔だった。それを見て、キイはその夕食の回想を思い出す。



「ご家族はどうしてなさるの?」

ブラットレイ夫人は何気なく聞いたつもりだった。キイの素性を知らないからこそ、交流を深めようとした彼女らしい気遣いだ。キイも、恐らくそれを理解しているからこそそれを答えたのだから。

「両親は小さいころに死んでて、兄が一人います。」

「そうなの…そのお兄さんは?」

「同じく小さいころから行方不明で、あったことないです」

そう、と夫人が静かに相槌をうったとき、セリムが驚きの表情でいった。

「キイさん一人でここまで来たんですか!?」

「んーん」

驚きと同時に尊敬の篭った彼の目を受けるキイは、皿にのっかっている肉をフォークで口に運びつつ答えた。

「助けてくれた人がいたから」



「助けてくれた者と、喧嘩でもしたのかな?」

だからあそこにいたのだろう?そんな意味合いで少女を見れば、「そんな感じです」と返された。

雨に打たれてずぶ濡れな少女を見たとき、なんて小さな背中だろうと思った。それでいて態度は堂々として、気の抜けた瞳。出会って間もないが、そこは若くしてこの国を治めた男は思った。
人間は集まる生き物である。そしてそこに混じった異質が見つかれば、それを取り除きたいと思うのはある意味生き物の本能だ。要するに、彼女は“異質”故誤解されやすいのかもしれないと。妻や息子のように穏やかなものと合いやすく、論理的な考えを持つ者に極端に誤解されやすい。そう、それこそあの最年少錬金術師のような者に。でなかったら彼は、本能で彼女を拒絶しているのかもしれない。下等な人間の本能であり、この世界を生き残ろうとする少年の本能が。

「君はこれから、どうするつもりかね?」

だから、試してみた。
揺るがない瞳を持つ彼女が今後どうなるか。

「どうって…とりあえず明日には御暇させてもらって」

「そうじゃない」

高橋キイと言う少女が、どれほどまで耐え生きぬいていけるか。

「これからずっと一人でこの世界を彷徨うのか?」

息子に続き、予想もしなかったのだろう言葉にキイは目を丸くさせていた。

「(さぁ、どうする)」

「…とりあえず、」


「帰ったら、そいつぶん殴ります」

今度はブラットレイが驚く番だった。そして、

「で、仲直りしたいです。いい子達だから」

自分のことより、他人の優先は彼女の性分か。否、最終的には自分のことになるのか。生に興味がない訳ではない。ましてや危機感が足りないと言う訳でもない。だが今彼女が気にしているのはもともと好かれてない人間との仲直りと言うのだから。

「…ふ、はっはっはっは!」

笑うしかないじゃないか、彼女は一人で生きていける術を十分備えているのに、わざわざ他人と関わるだなんて。
“人間じゃない”者が“人間”と仲直りがしたいだなんて。
清々しく笑ったことに目をパチパチさせたキイに向かって、ブラッドレイは言う。

「君のような小さきものがこの社会を生きていくには、少し難しいぞ」

「…あーそっち」

「ん?」

「いえなんでも」

「…キイ」

「はい?」


「生き残りなさい。君には、やるべき事があるのだから」

ブラッドレイは力の無い目でこちらを見る少女の肩に手を置いた。

「それと、今度また食事をしに来なさい。妻や息子も喜ぶ」

「………」

少女の返事は聞こえず、その片目は雨が止まない暗い外に向いていた。

次の日。また部屋を訪れた時に少女はおらず、ベッドに置かれたメモ用の紙には丁寧な字が綴られていた。


『Thank you.
I work hard in this world. 』


そう。彼女には今後、頑張って貰わねばならない。



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