ここは、とある公立高等学校。
そして年期がかった大きな日本式の建物。この学校の旧格技場である。
すでに校舎からここより近い場所に新しい格技場が出来ていて、それからはほぼ放置に近い状態で建っている。そのため外装がどう頑張ってもお化け屋敷のように見えてしまい、そんな建物を利用するものなど勿論いなかった。
ただ、二人を除いて。
その証拠に、そのだれも使うことのないはずだった場所から音が聞こえる。バスッ、バスン!と、何かを連続で叩きつける音だった。
怪しい音が聞こえてくるものだから、生徒からはここには幽霊がいるやら、落ち武者が住み着いているやらの噂が絶えない。
しかし、そこへ近づく物好きがいた。
ザリ、とシューズを踏みしめ、近づくたび激しくなっていく音に相変わらずだとその人物は薄く笑う。
どうやらその物好きは、ここを利用するもう一人だったようだ。
がらがらとボロい戸を引くと、ただっ広い空間の隅にリング場がある。
リング場のさらに隅、そこでは釣り下がるサンドバッグを、拳で一心に叩き込む人物がいた。音の正体は、彼女だったのだ。
音のせいなのか集中してるのか、入ってきた人物に気づくことは無く、ただただ拳を前に出す機械のようで。
・・
彼は、自分の荷物をベンチに下ろすと音を立てずにリングを潜り、そのまま彼女に近づいて――、
ばしんっ!!
「…!…家康。」
「熱心だな、名前」
いままでサンドバックに繰り出されていた拳は、先ほどまで己の背後、今は目の前にいる人物――家康の手の平に納まった。
テーピングが施された小さくも肉刺(まめ)だらけの手からは汗が滲み、家康の手のひらに付着する。
防御をしていない方の腕を上げて「おはよう」なんてさわやかに挨拶する学ランの男に、名前は思わずため息を吐いてしまった。
「・・・いきなり背後に立つなと、いつも言ってるじゃないか、家康」
「いやあスマンスマン。つい癖になってしまった」
「スマンですむかっつーか、癖になるなよ。当たったらどうするんだ」
「大丈夫さ。当たったことなんてないんだから」
「……厭味か」
「はは、まさか。」
名前は眉間に皺を寄せて家康を睨みつつ、額に、頬に滴る汗を離れた手をそのままにTシャツの裾で適当に拭った。短尺に切られた黒髪の毛先には汗の玉が落ちそうで落ちない具合に揺れている。
睨まれた家康は特に気にしてないようで、不意に伸ばした手は彼女の頬に当てられた。
「!」
「顔が赤いな。今までずっと打っていたのか?」
「……六時半に来たから、多分一時間くらい…」
「熱心なのは構わないが、休むことも考えてくれ。
大切な部員の一人なのだから」
「はっ。部員も何も、私たち二人しかいないってのに」
「部員が二人だろうが何人だろうが、ワシにとってお前は大切な部員だ」
そう、真剣な眼で言われてしまえば、聞かないわけにもいかないじゃないか。
「…ごめん。」と俯きがちにそういえば、家康は満足そうにやさしく笑って名前の汗で湿った汗をくしゃくしゃと撫ぜた。
たった一人(しかも女)しかいないボクシング部。
やっと許可をもらった部室は廃墟と化した旧格技場。
ときには不良が無断で上がりこみ根城にされるのを阻止することの繰り返し。
名前が何らかの問題を起こしたわけではなかった。ただ、ボクシングがしたかっただけで、
それだけで彼女は外野から不良扱いされ、成績はいいものの教師もどこか汚れ物を見るかのような眼で彼女を見ていた。蔑まれていた。
徳川家康が転校してきたのは、そんなときだった。
彼は突如部室に現れたかと思うと、太陽のような笑顔で名前にボクシング部の入部届けを出してきて、二人しかいない、500人は入るだろうこの旧格技場をピカピカに磨き上げ、教師達に反抗しない名前を叱り、格技場を根城しようと彼女を襲おうとした不良達をこってりと絞り上げ、幽霊部だったボクシング部を新たに復興してくれた人物だった。
名前を、救ってくれた男だった。
今では、彼がこの部の部長である。
「すこし休憩してくれ。ワシは着替えてくるから、そしたらまた再開しよう」
「わかった……って、オイ何脱いでんだ」
「ん?いや実はワシもさっき町を一周してきたから、熱くてな」
「だからってここで脱ぐな馬鹿部屋行ってから脱げ馬鹿半裸のままこっち来んな!!」
「なんだどうしたんだ名前、また顔が赤くなってるぞ?」
「ー――っ、さっさと行けこの露出狂!!」
ばすんっ!となんとも言えない音が家康の顔面で発される。名前は顔を洗うついでと乱暴に戸を引きこの場を後にした。
どうせそれもかわされたのだろうと思うと、こと更にむかっ腹を立てながら。
「…」
一人取り残された家康は、手でかわすことなくわざわざ顔面で受け止めてしまったそれを剥がして見る。たった今とりに行こうとした着替えのシャツと、気に入っていた黄色のパーカー。以前、不注意で裂けてしまった裾は綺麗に直されている。
「……変わったものだな、ワシも。」
ほのかに赤くなった頬をかいて言ったその胸のうちは。
@俺のユニフォームは特別だ
(家康のフードにみwなwぎwってwきwたw)
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