「え?」
空高く飛んだのはチビではなく、名塚だった。そのまま重力に従い、落ちていく彼の先に見えるのは、
大きな――――――獣。
「………チビ…?」
ドン
「グフッ!…ぐっ、がはっ
お゛ぉ゛え゛…!」
大量の胃液を嘔吐する名塚。
名倉と、獣を目を見開いて凝視する堂本。
「なっ…………がっ!?」
「!!?」
そして啓介をふみつけていた堂本が、消えた。否、獣に前脚で蹴飛ばされた。
「あ゛っ…ぐぅ!」
メキメキ
堂本をふみつけてる獣。骨が軋む音が、嫌に響いた。そして獣は、口を開いた。
確かに、口をきいたのだ。
『……ルナ
…スケ…ジメルナ…
ケイスケ イジメルナ
ケイスケヲ…イジメルナ!』
めき、めきめきぃっ
「ッ!!!」
「ああああああああああああああ」
「…………!」
野太い悲鳴、更に聞こえる骨の音。何も出来なくガタガタ体を震わせる啓介。彼を踏んでいない片方の前脚が、光る爪が、振り落とされる、瞬間――――
ドン
獣が、吹っ飛んだ。
「っ…!?」
「………!
った、高橋さん…!?」
吹っ飛ばした張本人はキイで、獣は壁に激突し砂煙で見えない――
――って、え?
・・・・・・
“吹っ飛ばした”?
自分よりふた周り大きい男の拳を止めた女の子も、あんなに大きな獣を見たのも初めてだが、その自分より何倍も大きい獣を吹っ飛ばした女の子も初めて見た。
(この人、一体―――!?)
そんな考えを巡らせている啓介を余所に、キイは細身とはいえ自分より一回り大きい堂本を「ヨイショ」なんて言って軽々担ぎ上げた。
「おま…え」
「まあ、これからは動物虐待すんなよってことで」
都合よく目立たない所へ吹っ飛ばされた名塚と同じ所へ運び、今度は啓介のもとへと駆けて行った。
「高橋さんなんで…!?」
「なんではこっちの台詞。なあにしてんの?
たまたま窓見たらなんか連れてかれてるし、ついてきたらついてきたでヤバそうだし――」
キイが化け物と化したチビを見上げた瞬間、啓介がキイの細い手首をつかんだ。見下ろすと、へたり込んで、でも縋るように彼女を見上げる啓介がいた。
「………チビは、どうなっちゃったの…?」
彼女ならなにか知ってるという確信、だけど知りたくないという矛盾が、彼の中をかき回した。
「―――――悪霊の、一歩手前」
「…え?」
「かなー、見た感じ。
生きてるんだから死んじゃえば幽霊になって天国にいくなりするけど、心残りってやつで思いを残したまま死ねば成仏できず浮遊霊としてこの世をさ迷い、思いが強くなれば強くなるほど思いは醜く化し、
悪霊へと成り下がるわけなんだが、まあ最悪は思いに身を任し人を殺しちゃうかもね」
「殺っ…」
「気づかないわけないよね。動物の体温が冷たいワケがないんだ。
その時点で死んでる」
「っ!」
「触れたのは…よくわかんない」
「わかんないの!?」
「知るかよ生きてる奴の脳内さえ無知不明なのに死んでるやつの心中なんて理解出来るわけ無いじゃん」
「そんなっあれだけ言っといて無責任なっ…!」
そのとき、ガラリと岩が崩れ砂煙から出てきたのは、先ほどキイに吹っ飛ばされた獣もといチビ。フーフーと息は荒く、瞳孔がかっ開き、今にも襲いかかるためか身をかがめている。
『ケイスケニ…』
そして同時にキイは啓介の体を掴み、飛んだ。
『サワルナアアアアアア!!!!』
キイ達がいた場所にチビが飛びかかり、地面が割れる音が辺り一面にさらされた。
「チビっ…!」
「あれ見てればなんとなく解ると思うけどなあ」
「え…?」
「きみが好きだからじゃないの」
「きみに、撫でてほしかったからじゃないの」
★
回想。
ポツポツと浅い雨。故に、肌寒かったその日。
もとが内気な啓介少年は、中学のイジメがトラウマで学校へ行くのに渋っていた。
そんなときだった。
その空き地でみたのがダンボールの中に座っている小さい猫。
独りぼっちでずぶ濡れなのに、その猫は目があった彼をただまっすぐ見ていた。
じっと、見ていた。
共感?同情?
少なくとも彼の心は、ひとつにまとめられるほどの善人の中の善人の心なんてものは持ち合わせていなかっただろう、
もっと自分勝手なものだったかもしれない。
それでも彼の足は動いてた。
惹かれてたんだ。
羨ましかったんだ。
ビー玉みたいなキラキラした眼に、純粋無垢がぴったりな感じの、真っ直ぐな、眼に。
それが、啓介とチビが出会った春の雨の日である。
★
啓介はぐっと力拳を作っていた。
自意識過剰なのだろうか。
こんな弱虫なぼくをチビが、ぼくを好いてくれていて、
少なくとも、チビがこんなことになったのが自分のせい、なのだとしたら、
「なんとか…、なんとかしなきゃ…このままじゃチビが…!」
「うん、だから、」
きいは安全圏へと啓介を下ろし、その巨大な獣へと立ち向かった。
「なんとかする。
―――ね、閃紅。」
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