越前くんは、帰国子女だ。今まで私の身近な人に帰国子女はいなかった。しかし、青春学園の男子硬式テニスマネージャーになってから二年目を迎えた日、顧問であるスミレ先生の知り合いとして彼はやってきた。

「越前くんって、ラムネは知ってる?」

そんな彼にそう聞いたのは、一昨日の話だ。「知ってるけど」と言った越前くんだったけど、話を聞くとどうやらそれはお菓子の方のようで。瓶に入っててビー玉で口が塞がれててね、と話したけれど、よく意味がわからないと首を捻られた。
越前くんが炭酸飲料を飲んでいるのは、練習中でも大会中でもよく見かける。帰国子女という事でまだ日本について知らない事が多い彼に、夏になったら各所で見かけるようになるラムネを飲ませたいと思うのは、きっと私だけでは無いと思う。



「越前くん」

ニ部練の本日、ようやく午前練習が終わってお昼休みになった。昼休憩は二時間。お昼ご飯を食べ終わり、私は保冷バッグを持って彼の元へと向かった。


「…なんすか」


ふふふと既に笑みを浮かべている私を見て、怪訝そうな顔で聞いてくる越前くん。

「いいもの持ってきたの」
「え?」
「でも一つだけだから、桃達には秘密にしたいからね、ちょっと外に行こう?」

コソッと彼の耳元へと口を寄せて話す。離れてから彼の顔を見てみたけれど、やっぱり変な顔で私を見ていた。


そうして私が越前くんを連れてやって来たのは、みんなが休憩をとっている視聴覚室からは少し離れた中庭だった。暑いからと木陰の石段に腰を下ろし、その横に保冷バッグを置いて。


「こんな所まで来て、しかも桃先輩達には秘密って…一体何なんすか?」


私の横の保冷バッグを見て、それを挟んで奥に座った越前くんは再度私に聞いてきた。低い石段故に立てた膝に肘を付いた彼は、少しばかり呆れた表情にも見える。ジイィ。音を立てて保冷バッグを開けた私は、中からキンキンに冷えたラムネを取り出した。


「この間越前くんに知ってるのか聞いたラムネって、これの事だよ」


私がそう言うと、大きな目を丸くして越前くんはラムネを見つめた。普段興味を示さない事の方が多い彼が、時々こうして、何かに興味を示す瞬間。それはまるで、猫がおもちゃを見つけた時の表情によく似ていた。


「何それ、初めて見た」
「あ、本当?」


変わらずラムネを見つめる越前くんに、瓶を見せて説明してあげる。このキャップシールを剥がしてね、ここにビー玉が入ってるから、これでビー玉を押し込んで……。沢山保冷剤を入れたバックから取り出したお陰で指先に触れる瓶はとても冷たくて、こうして越前くんへと説明をしている最中も外の気温との温度差であっという間に表面には水滴がついていく。


「じゃあ、ぬるくなったら勿体ないから開けちゃうね」


そう言って私はタオルを蓋の上に置いてから、ラムネを握る手にぐっと力をいれる。そしてコトンと音が鳴ってビー玉が下に落ち、気泡が勢い良く上がってくる。蓋を強く抑え、それから少しして気泡が下がっていくのを確認してから私は手を離した。

「はい、どうぞ」
「……え、いいの?」
「もちろん。越前くんに飲んで欲しくて持ってきたんだから」

溢れてこないのを確認してからタオルを外し、少し驚いた表情をしている彼へとラムネを手渡す。受け取った越前くんが蓋を外すと、ふわりとラムネの香りが漂って。「本当にビー玉、入ってる」。中を見てから不思議そうにそう呟いて、越前くんは瓶に口を付けた。


「……美味しい」
「わあ、本当に?良かった!」


まあ、毎年何処にでも売っているラムネが不味い訳が無い。そう分かってはいるけれど、いざ美味しいと言われれば嬉しいもので。


「でも、味はお菓子のラムネと一緒」


もう一口飲んで、越前くんは感想を漏らした。確かにそれはそうかもと私は笑って見せる。それを見た彼も小さく笑いを零した。


それから、半分程中身が減っただろうか。越前くんが突然、私の方へとラムネを向けてきた。


「真宮先輩も、飲む?」
「……えっ」


向けられた口を見て思わず声を漏らしてしまった。でも、だってそれ、越前くんが今まで飲んで…。
変な事を考えてしまい、どきんと高鳴った鼓動が俄然早くなる。しかしその瞬間、そう言えば彼が帰国子女だった事を思い出した。


「……」


そっか。アメリカで住んでいた越前くんにとって、こういうのは特別気になる事では無いんだ。


「先輩?」


何も言わない私を見て不思議そうに見てくる越前くん。そんな彼に、私は首を横に振り、「越前くんに飲んで欲しくて買ってきたものだから、私は大丈夫」と伝えた。



* * *

越前くんがラムネを飲み終わり、しかしまだ昼休憩が半分は残っていたから、私達は視聴覚室に戻る事にした。
視聴覚室へと近けば、ガヤガヤと部員達の声が聞こえてくる。

「じゃあ、ラムネありがとう」
「ううん、喜んで貰えて良かった」
「うん、今度買ってみる」


そう言って越前くんはドアノブに手をかける。


「あ、越前くん」


私が名前を呼ぶと、ピクリと震えて彼の手が止まった。私の方へ振り返って「ん?」と首を傾げる。


「…あのね、さっき越前くんは一口飲むって聞いてくれたんだけどね」

「越前くんはアメリカでそういうのを慣れているのかもしれないけど、日本ではあんまり男の子と同じ物は飲んだりしないから、その、簡単に言ったりはしない方がいいかも…」


……自分で話しながら、大きなお世話だなぁと思う。でも両親とも日本人だとは言え、どうしてもアメリカで育ったんだから生活感や感覚が日本人とは少しズレているのかもしれない。越前くんには普通でも、私みたいに変に気にしてしまう子もいるかもしれないから。


「ねえ」


黙っていた越前くんが、ドアノブから手を離してこちらへと身体を向ける。


「それって先輩、もしかして、俺の事男だって意識してるって事?」
「…えっ」


越前くんから発せられた予想外の言葉に、思わず聞き返してしまう。


「そ、それはまあ、うん」


だって越前くんは男の子でしょう?そう付け足して、でもなんだか恥ずかしくなって結局私は目を逸らした。
「ふーん」。少ししてから、普段からよく聞く越前くんの相槌が聞こえてきた。けれどそれは何処か嬉しそうな声色に思えて、再び視線を彼に戻す。


「先輩、忠告ありがとう」


そう言って越前くんは、もう一度ドアノブに手を掛ける。


「…でも俺、ああいう事は真宮先輩にしか言わないから」


口元に笑みを浮かべた彼の大きな猫目が、私の目を捕らえる。私にしか、言わない?ちょっと待って、それってどういう…。
カラン。先に視聴覚室へと入っていった越前くんが持つ瓶の中で、ビー玉が音を鳴らした。どきんどきんと高鳴る鼓動に負けないくらい、ビー玉と瓶の当たるその澄んだ音は、残された私の耳に響いていた。

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