(水着×切原の続編です)

電車から降りると、既にそこは潮の香りでいっぱいだった。
先輩とようやく来れた、念願の海。部活帰りだから、もはや夕方と言ってもいいような時間だ。でもまだ太陽は沈んでいないし、何より隣りに居るのは先輩。俺のテンションが上がらない訳が、無い!

「あ、やっぱり暑いね」
「そうっすね」
「でも海ー!って感じがして気持ちいいかも」


そう言って先輩は、ペットボトルに残っていたお茶を飲み干す。


「いやぁ、それにしても、まさか誰も来れないなんて思わなかったな」


「私だけでごめんね?」、困った様に俺に笑いかけてくれる先輩だけど、それに関しては本当は、俺が謝らなければいけない所だ。

何日か前に先輩が、この日ならいいと言ってくれたのが今日だった。ワックワクして、今日は無駄に早く部室に着いたんだけど、丁度先輩と部長が話していた所で。
入ってきた俺を見た先輩が「あ、今ね、今日の帰りに幸村くん達も一緒に来れないかって話してた所だよ」なんて笑って言うもんだからびっくりして思わず声を上げた俺は、部長の横にいた副部長に朝イチで「煩いぞ赤也!朝から素っ頓狂な声を出すな!」って怒られた。スットンキョーな声を出すのは副部長だろって思ったけど、今はそれなんかどうでも良かった。だって今日は先輩と二人っきりで海に行く予定だったのに、まさか他の人を誘うなんて!
しかしそこには、俺の救世主がいた。「真田は確か今日、甥の佐助くんが…」。柳先輩が持っていたノートを閉じて、副部長の今日の予定を話し始めた。突然副部長の予定を話し始めた柳先輩を見た部長は、そのまま俺を見て、そして最後に先輩を見て。
「すまない、そう言えば俺も今日は妹と一緒に買い物に行く約束をしていたんだ」。部長はそう話して先輩にもう一度謝ると、俺の方を見て、小さく頷いたのだった。


「や、それは全然!全く問題無いんす!だって俺、その…」


『マネジはホンットに鈍感だから、言い過ぎってくらい言わねーとわかんねえと思うぜぃ』
部長達と先輩が話をしている間に他の人達にも「先輩から誘われても上手く断って欲しい」と言いに行った時、丸井先輩から言われた言葉が脳裏を過ぎる。


「なつこ先輩と一緒に来れたらもう、それだけですっげー嬉しいんで!」


先輩が俺に気遣って他の先輩を誘ってくれたんだとは思う。
でも違うんす。先輩と一緒に海に行きたいってのも、二人きりでってのも、全部俺のワガママなんです。


「だから先輩は、本当に、気にしないで下さい」


先輩にとってはただの後輩なだけの、俺。でも俺にとって先輩は、ただマネージャーなだけじゃないんです。
横目を逸らして、そろりと先輩の方を見る。少し驚いた様な顔をしていた先輩は、俺と目が合うと慌てて顔を前に向けて「ありがとう」と呟いた。


「でも私も海に来たかったからね、赤也が誘ってくれたの、嬉しかったよ」


そう言って先輩が、目を細めて微笑む。笑った顔なんて何回も見てるはずなのに、今日は何時もよりもすっげー可愛く見えた。

* * *

夕方とは言え、まだまだ暑い。海へ行く前に駅の前の自販機で飲み物を買う事にした。俺はすぐにコーラに決めて、先に購入。先輩は少し悩んでいたけれど、決まったのか自販機のポケットに落ちてきた飲み物を取ろうと身を屈めた。
そして俺はそんな先輩の首筋に、キンキンに冷えたコーラの缶を近づける。俺だけじゃなくて丸井先輩や仁王先輩にも何度もされてるのに、なんて無防備なんだろうか。

『それもそうだな。お前やブン太が何しても基本的に怒らねえ分、そういう対象に見てないのかもしれないな』
でもジャッカル先輩の言葉がふと蘇った俺は、ギリギリの所で手を止めた。


「わ、冷たい!いいねー!」


ドリンクを取り出して、先輩は嬉しそうに声を上げる。


「それじゃ、念願の海へ行こう!」


目の前に広がる海を指差した先輩につられて俺も前を向く。練習をしていた時よりは随分と傾いた太陽が眩しい。


「そっすね!うっしゃ、待ってろうヒェッッ」


首の後ろに突然感じた冷たい感触に、俺は思わず叫び声を上げてそこを押さえた。


「あっはは!やったー!引っかかった!」


驚いて後ろを振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべて喜んでいる先輩がいた。「いつもみんなにやられるから、いつか絶対やり返そうと思ってたんだよね!」。手にしたMATCHの缶を俺に見せつける先輩。
丸井先輩とか仁王先輩にされたら絶対腹立つのに、相手が先輩だったらむしろにやけそうになる。……ああ、やっぱ俺、先輩の事好きなんだなぁ。

* * *

そしてついに、砂浜に着いた。頬を撫でる風は生温くて、俺の手にある缶の表面は、既に沢山の水滴で覆われていた。


「あー、海だー!」


思いっきり腕を伸ばして、先輩は全身で伸びをする。暑い。でも何処か気持ちがいい。どんなに暑くても人が海に集まる理由は、言葉では表せないけれどなんだかわかる気がした。

それから先輩と海の家を見つけて、何よりも先にそこに向かった。部活終わりは腹が減る。まだ注文は間に合ったらしくて、俺は焼きそばと先輩はかき氷を買った。
そして先輩が外で食べたいと言うから、俺達は受け取って再び砂浜に。キョロキョロと見渡す先輩を見ていたら、柳生先輩の言葉が舞い降りてきた。
『それでしたら、もし浜辺等の椅子以外に座ると言う事になった時にハンカチを敷いてみたら如何でしょうか?彼女自身はあまり気にしない方かもしれませんが、その様な心遣いは女性ならきっと喜ぶと思いますよ』


「……」


ウッワー!ハンカチ!柳生先輩に借りようと思ってたの忘れてた!
そう思いながら一応ポケットに手を突っ込むも当然ながら入っていない。そりゃあそうだ。記憶の限り、今まで一度だって入れた事が無いのだから当たり前だ。

「んー、赤也この辺りでもいい?」
「っあー!ちょちょ、ちょっと待って下さい!」
「えっ」

肩からカバンを下ろそうとした先輩が、俺の声に反応してピタリと動きを止めた。俺は急いでカバンの中に手を突っ込んで漁り、タオルを取り出す。


「これ俺、まだ使ってないんで!」


先輩の目の前に取り出したタオルを向けると、先輩は目を丸くして頷いた。それを見て、そのタオルを砂場の上に広げて敷く。「ちょっ」。先輩の声が聞こえてきて、俺は顔を上げてタオルの場所を手のひらで示し、そして。


「どうぞ、座って下さい!」
「……え?」


「何、え、どういう事?」と続けて狼狽える先輩は俺とタオルを交互に見る。本当に使ってないっす、と伝えると「そう言う事じゃない!」、そう言って勢い良く首を横に振った。

「なんで、そんな、別に私そのまま座れるよ!」
「……」
「……」
「先輩ならそう言うと思いましたけど……でも、せっかくなんで座って欲しいっす」

わかってる。先輩は、自分に砂埃がつくからと嫌がる様な人ではない。
合宿の時、先輩のジャージを一年が落としてしまった時は「叩けば落ちるから全然平気」と笑っていたのを見た事がある。それに泥水がよく跳ねる雨上がりの練習中、俺のほっぺに跳ねた泥を直接手で拭ってくれるような人だから。

じっと先輩の目を見る。まだ何か言いたそうに口を開けた先輩だったけど、俺の目を見て、その口はそっと閉じられた。


「……わかった。それじゃあ、お言葉に甘えて」


頭を下げた先輩がもう一度俺の事を見上げる。そしてタオルを少しの間眺めたかと思うと、何度か頷いて。そして何故か、タオルの右端の方に座りこんだのだ。


「それならさ、赤也も一緒に座ろ?」


体育座りをして小さくなった先輩は、足の下にカバンを入れた。そうやってスカートの中隠すんだ、なんて思って見てたら、今度は先輩からの爆弾発言。
……や、だってタオルって言ってもフェイスタオルだぜ?確かに先輩が端っこに座ったお陰で、一人分くらいの空きは出来ている。でもわかってます?場所は出来てますけどそれ、めっちゃ隣りに座ってギリ収まるくらいの幅なんすよ。俺が例えば少しでも動いたら、その瞬間肩とか腕とか触……待てよ俺今から焼きそば食うんだよな!?無理じゃん絶対当た


「あ、もしかしてまだ狭い?それなら私、もうちょっとずれれるよ!」
「大丈夫っす全然ヨユーで座れます!」


脳内で色々考えていたくせに、先輩の言葉に脳内反射レベルにそう叫んだ俺は、即座にカバンを下ろした。あー、なんで俺、焼きそば買ったんだろ。今だけ左利きにならねーかな。そんなどうしようもない事を思いながら、意を決して隣りに座る。
やばい。やっぱ無理だ。……すげえ、近い。


「……」


触れそうで触れない肩と肘に全神経が集中して、隣りなんて見れたもんじゃない。顔を一瞬でも向けたら、何処かしら触れてしまいそうだ。


「赤也、はみ出てない?大丈夫?」
「はい!はみ出てないっす……」


そう思っていたはずなのに、声を掛けられてつい振り返ってしまった。
その瞬間、まさに時が止まったのかと思った。
俺を見る先輩の顔が目の前にあったのだ。その距離の近さに、思わず息を飲む。近い、やばい、可愛い。そんな事を思う事すらも出来なかった。頭の中が真っ白で、俺はただ俺を見上げる先輩の顔を見つめた。
でも、それからすぐにハッとした先輩は、海の方へと顔を向けて。「それじゃ、食べようか」と言って自身のかき氷を覗き込んだ。


「はい」


俺は、そう答えるのがやっとだった。

……なんでだよ。こんだけ近くで見てもすげー可愛いなんて、一体どうなってんだよ。
先輩と同じ様に海へと顔を向ける。止まっていた時が動き始めたかのように、感情と一緒に心臓がバクバクと音を立て始めた。
この後、恐らく俺の人生で一番、最小限の動きで焼きそばを食べる事になる。そしてそれは、乾ききった口の中の水分との戦いの幕開けとも言えた。

* * *

緊張と動揺で味のよくわからない焼きそばをソッコーで食べ終わり、俺はすぐに立ち上がった。口の中がとにかくパッサパサだった。何か飲み物を飲みたい。まだかき氷を食べ続ける先輩に言って、海の家で飲み物を買ってくる事にした。
飲み物を買って戻ってくると、先輩もかき氷を食べ終わっていた。先輩から砂を払って貰ったタオルを受け取って空を見れば、少しだけオレンジ色に染まり始めていた。

「どうします?」
「そうだねぇ」
「……」
「……せっかくだし、海入る?」

先輩からそんな事を言われると思わず、驚いて振り返る。「足だけ、だけど」。スカートを少し持ち上げた先輩が、片足をフラフラと揺らした。



「気持ちいいー!」


先輩の嬉しそうな声が耳に届く。
俺が裾を捲っている隙に、靴下を脱ぐだけの先輩は海へと小さな一歩を踏み出していた。


「赤也も早くおいで!凄い気持ちいい!」
「行きます!」


急かされる様にして、膝下ぐらいまで無理やり裾を捲り上げる。あー、もういいだろ!お前ら下がってくんなよ!心の中でズボンの裾に気合いを入れて、俺も海へと向かった。

それから少し、先輩と歩き回ったり水の中の砂を見たりしながら話をした。部活の合宿で来る海とも違う。友達と遊びに来る海とも違う。先輩と来た海は、何にもしなくても、それだけですげー楽しかった。


「あ、そう言えば!」
「はい?」


少し前を歩いていた先輩から声が掛けられて、何となく空を見ていた俺も先輩へと目を移す。先輩は、濡れた手をプラプラ振って水を飛ばすと、そっと自分のスカートのポケットに指を入れた。


「さっき帰る時にね、仁王から赤也にって何か紙貰っ…あーっ!」


先輩のポケットから、何か白いものが落ちた。


「嘘!ちょっと、嘘でしょー!」


そう叫びながらも、目にも止まらぬ速さで海に浮かぶ紙を拾った先輩。
仁王先輩から俺宛にと貰ったというその紙は、濡らさないようにと指先だけを使ってポケットから出した瞬間に、そのまま海辺と落ちてしまったらしい。


「ごめん!赤也、本当にごめん!」


眉を八の字にして俺を見た先輩は、少しでも濡れが広がる前にと思ってくれたのか慌ててこちらへと駆け寄ってくる。でも水の抵抗で歩きずらそうにしている先輩を見て俺も一歩前へ踏み出して。


「わっ」


その瞬間、足を縺れさせた先輩が一気に体制を崩した。思わず手を伸ばすと紙を離さずにいる先輩の手を掴む事が出来て、俺はそのまま手を引っ張る。
バシャン!今日一で大きく水が跳ね、先輩の縺れた右足が地面に着いた。


「……」
「……」


足が縺れた事に驚いてなのか、倒れずに済んで安心したからなのか。俺の腕にしがみついた先輩は、顔を上げると目を見開いた。俺も先輩も何も言わずに、ただ見つめ合う。その距離なんと、約十五センチメートル。


「ご、ごめん!」


突然、先輩がそう言ったかと思うと、俺の腕から離れるようにして立ち上がった。その声に俺も我に返り、大丈夫すか?と返事をして。
「大丈夫!赤也のお陰で!」。笑顔を見せながら、更に一歩後ろに下がっていく先輩。先輩が離れて、それによってさっきまでの近さを実感して身体が熱くなる。


「……あ、そう!それとこれ、ちゃんと読めるかな」


何度目かの謝罪の言葉を小さく添えられながら、先輩が足が縺れても離さなかった小さな紙が、俺の前に差し出される。
その頬が赤くなっている様に思えるのは、きっと夕陽が染めているからだろう。


「あ、りがとうございます」


返事をする。でもこれは、反射行動だった。頭の中では何にも考えられていなかった。
……何だったんだ、さっきの。先輩が倒れそうになって、そしたら、目の前に先輩の顔があって。
まさに夢見心地。さっきのは夢だったんじゃないか。そう思うくらいにあまりに一瞬で、そのくせ先輩の顔が目に焼き付いて離れない。

正直言って、今はこんな紙切れどうでも良かった。しかし先輩が祈る様に見てくるから、その目に促されるまま、折られた紙を開く。
そこには仁王先輩の字で、たった一文だけが書かれていた。
『柳生のハンカチは後ろのポケットに入ってる』


「……は?」


ハンカチは、後ろのポケット……?
わけも分からず、とりあえずズボンの後ろのポケットへと手を伸ばす。
左のポケットに手を入れると、何か指先に触れた。な、なんだ?俺、何か入れたっけ?恐る恐る取り出すと、出てきたのはなんと、青いハンカチだった。なんでハンカチ?ハンカ……。


「ああ!ハンカチ……ってわかるかぁ!」
「ええっ」


ハンカチを見て盛大に一人で突っ込んだら、傍で見ていた先輩を驚かせてしまった。
仁王先輩の手紙。それから出てきた柳生先輩のハンカチ。そして、俺の一人ツッコミ。

どうやって誤魔化そうか。いっその事、全部言う?でもそれじゃあ、俺がなんで今日先輩を誘ったのかから話さなきゃいけなくなる。それはさすがにごめんだ。
なんて言おう。そう悩みながら目を落とすと、さっき先輩が掴んだ俺の腕が濡れていたのが目に入った。

「あー、なつこ先輩」
「ん?」
「とりあえずこれで、手、拭いて下さい」


ハンカチを受け取って笑う先輩の赤く染まっている頬を見て、思った。
やっぱりあれは、夢じゃなかった。そう思うだけで口元が緩みそうになる。今日だけで俺、先輩をもっと好きになった気がする。そしてたぶんもっと好きになる。

先輩、俺、絶対振り向かせてみせますから。だから、覚悟して下さいよ?

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