今日は、私の誕生日だ。

【昼休みの十三時、体育館の裏で待ってます】
それは今朝、学校に着いて靴箱を開けると中に入っていた手紙に書かれていた。上履きの上に置かれた茶色い封筒から出てきた、真っ白い紙。真ん中に一文だけ書かれたのを見て、嬉しさや緊張よりも先に私の心を覆ったのは悲しみだった。

大好きだった精市と別れて二週間。理由は本当に他愛もない事だった。でも私も彼も謝らなくて、謝れなくて、ごめんの一言をどうしても口にする事が出来なくて。一人になってぐっちゃぐちゃに泣いた日から、たった二週間しか経っていないのに。今だって他クラスの彼を見るだけで胸が疼く。寝る前には彼との思い出が甦る。私の気持ちは二週間前と全く変わっていないのに。
本当は今日、彼と付き合って初めての私の誕生日を過ごすはずだった。『何か欲しいものある?』と聞いてくれた彼に『精市から貰えるなら何でもいいよ』と答えた私の言葉は本心からで、でも今はもう、それすら叶わなくなったのだ。
私と彼が別れた事は既に学校に広まり、そして、こうやって私の靴箱に手紙が置かれるようにすらなってしまった。それは私が受け止められなかった事実が、周知の事実になってしまった事の証明に他ならない。私だけだ。立ち止まってしまっているのは。例え私が前に進めなくても、世界はお構い無しで回っている。そんな当たり前の事を、寄りにもよって今日という日に突きつけられた気分だった。
「……しんど」
誰も聞いていない。私が誕生日だという事も、私に手紙が届けられた事も、こんな気持ちになっているという事も知らない。周りから聞こえる楽しい話し声は、随分と遠くに聞こえた。

本当に、なんという誕生日プレゼントなんだろう。そもそもこの人は、私が誕生日だと言う事を知ってこれを私の靴箱へいれたのだろうか?もし知らないのだとしたら、申し訳無いけれどタイミングは最悪だ。どのように私と精市が別れたと聞いたのかはわからないけれど、そもそも二週間程度で無くなる気持ちなら彼とは付き合っていないのだ。彼と話せない、目も合わせない一日があんなにも重く長く感じるのは、彼を好きだから。明日こそは、明日こそはと辛い一日を乗り越えた末に二週間が経っていたに過ぎない。
知っていて、これを入れたとしたら。
「……はぁ…」
開いたままの自分の靴箱の中に、思い切りため息を吐き出す。こんな感情は、今日はいらないのだ。思い出せ。昨日の夜、寝る前に見たおめでとうのメッセージを。朝起きたら友達から来ていたメッセージの数々を。
パタン。両手で丁重に扉を閉める。
仕方ないから、この気持ちは帰りに持って行くから。だから学校の中くらい、楽しくさせて下さい。お願いします。
誰も知らない私の想いは、そっと靴箱の中に隠された。

教室に行く途中、昨年同じクラスだった子におめでとうと声を掛けられたのを皮切りに、次々と仲のいい子達や、まあその友達も、おめでとうと声くらいは掛けてくれる。ありがとうとお礼の声を出すと、それだけで気分が上がった。おめでとうと言われるのは嬉しかった。そうだ、今日は私の誕生日だ。嫌な事や悲しい事は忘れよう。そう思うと、ふと精市の顔が浮かんだ。……嫌な事でも悲しい事でも無いのに、無意識にぎゅうっと押し込められる。こんな時に押し込められるのが彼だという事が、私には堪らなく辛かった。
教室に着くと、先に来ていた友達からはプレゼントやお祝いの言葉がプレゼントされた。みんなの笑顔を見ると、やっぱり嬉しくなる。ああ、誕生日っていい日だな。私は自然と笑顔になっていた。

それから時は流れ、昼休み。いつもの様に友達とご飯を食べていた。そしてその後、プレゼントに入っていたお菓子も食べる。好きな物ばかりで悩んだけれど、その中でも特に好きな物を選んで口に運ぶと、チョコレートの甘さに思わず頬が緩んだ。幸せな味だった。
そうして色々話している内に、友達の一人がトイレに行きたいと言って席を立った。
「あ、私も行く!」
続けて席を立つ。もう一人増え、結局三人で向かう事になった。「それ、食べてていいよぉ」と席に着いたままの友達へと声を掛ける。幸せのお裾分けだ。その子達から掛けられるお礼を背負いながら廊下に出た、その時だった。
「……あ」
思い出してしまった。朝に、靴箱へと押し込めたあれを。慌てて出たばかりのドアから顔を出して時計を確認すると、十三時は既に過ぎていた。どうしたの?と声を掛ける友人の声が耳を通り過ぎる。
「……あー、ごめん。ちょっと行く所あったの思い出した!」
トイレは後で一人で行く事にする、と告げて、私は彼女達とは反対の方向に走り始めた。
なんで走ってるんだろう、私。誕生日の朝からすごく嫌な気持ちになったのに。そんな気持ちを、必死で押さえ込んだはずだったのになぁ。階段の一番下に降り立ち、それからまた私は走った。
でも、私だって誰かを好きな気持ちはわかるのだ。あの手紙を書いた彼がたまたま意を決した日が、私の誕生日だっただけだ。どういう気持ちであの手紙を書いたのだろうとか、私の靴箱に入れたんだろうとか。私には想像出来ない様な気持ちがあったのかもしれない。確かに今の私にはそれに応える事は出来ないし、いつまでこの気持ちが続くのかはわからない。けれどそれは、誰かの勇気を無言で拒絶する理由にはならないと思った。

彼と何度も一緒にお昼ご飯を食べた中庭を駆け抜け、いよいよこの角を曲がれば呼び出された体育館の裏だ。走っていた足はその動きを緩め、代わりに心臓が少しずつ音を立て始める。時計は持ち合わせていないから今が何時かはわからないけど、遅れてしまった事に変わりはない。そこは最初にちゃんと謝らなければ。
角を曲がると、一人の男子生徒がしゃがんでいるのが目に入った。うわ、もしかして私が来なくて落ち込んでるのかな。そう思って更に罪悪感が沸いた。走る事はしなくても早歩きで彼の所に向かう。その足音が聞こえたのか、俯いていた彼が顔を…。
「え?」
顔を上げた彼を見て、思わず足が止まった。彼は私の方を向くと、すくっと立ち上がる。
「……」
……どうして。歩みを進める事を忘れて周りを見渡すけれど、彼の他には誰もいない。意味がわからなかった。それでも立ち止まった私を見て歩いてくるのは、紛れもなく精市だった。
「久しぶり」
二週間ぶりだった。二週間ぶりに、彼から声を掛けられた。それだけで先程までとは比べ物にならないくらいに胸が高鳴る。
「ひ、久しぶり」
「ここに来たって事は、手紙読んだんだよね」
「え、うん…」
「あれ、書いたの俺なんだ」
困った様に眉を下げた彼が、はは、と笑いを零した。
「う、嘘。だって精市の字じゃなかったよ」
「態と違う様に書いたんだよ。だってお前、俺が書いたら来ないだろ?」
完全に受け取る用意のしていなかった、彼からの視線。手が震えそうになり、ギュッと手のひらを強く握り締める。
「なんで、ってか来るのに、言ってくれたら普通に」
「言ってくれたらって……流石に俺でも、あれから一度も目も合わないし、電話も拒否られてて、おまけに送ったメッセージに既読もつかなくて、それで一人待ちぼうけしたのを体験したら直接誘うのは無理だよ」
「……メッセージ?」
いつも携帯を入れているスカートのポケットをポンと叩く。……そうだ、トイレに行こうとしてたから置いてきてたんだった。でも言われてみれて思い出すは二週間前。腹が立って、一晩だけブロックした気がする。電話も、言われてみれば拒否した記憶がある。どちらも次の日の朝には解除したけれど。
「いや、でもそれはもういいんだ」
今日来てくれなかったら、もう諦めようと思ってたけど。そう言って彼は私を見据える。
「この間は、本当にごめん。一言言えばいいのをわかってたのに言えなくて、せめて別れたいって言われた時に止めれれば良かったのにそれも出来なくて、ごめん」
優しく風が吹いて彼の前髪を揺らす。
「でもやっぱり俺には、お前がいないなんて耐えれなかったからさ。だから……好きです。もう一回、俺と付き合って下さい」
真っ直ぐと私を見る彼の目に、声が上手く出なかった。その代わりに自然と身体が動く。気づいたら私は、彼を抱き締めていた。
「え…」
「……私もね、ずっと好きだったよ」
久しぶりの彼の匂いに、精市、と彼の名前を呼ぶ自分の声に涙が混じる。好きだった。ずっとずっと精市の事が大好きだった。その想いが溢れるように涙が出てきた。ごめんね、と言葉ならない声で謝罪を伝えると彼の手が背中に回り、キツく抱き締められる。
「泣く程俺の事好きなんじゃん」
「うん、好き」
「あーもう、本当にこの二週間…」
そこまで言って突然、彼の言葉が途切れた。頭をつけていた肩から離れて覗き込むと、ほんの少し目の潤んだ彼と目が合って驚く。
「見ないで、本当、なんであの日来なかったの」
「あ、あの日?」
「別れた日の夜中に、明日テニスコートの所に来てってメッセージ送ったのに既読つかなくて、でももしかしたら来るかもって思って二時間授業サボって…」
「サボったの?」
眉間に皺を寄せた彼が、キッと私を睨んだ。しかしそれは全く怖くなくて、むしろいつもの彼の表情に戻ってきた感じがして嬉しくて笑ってしまう。それを見て盛大なため息をついた彼に私の携帯事情を話すと、更にまた一つ、大きくため息を吐き出した。
「何それ、俺が既読付かないのにどれだけショック受けたかわかる?」
「ご、ごめん」
「…………もう
それに関しては申し訳がなくて素直に謝る。すると、唸るようにそう呟いた彼が更に腕に力を込めて抱き締めてきて。「まぁいいよ、今回だけは許すよ」ふわりと離れた彼が、そう言って笑う。そのまま近づいてきて、キスの予感を感じて目を閉じる。
「あ……誕生日、おめでとう」
思いがけない言葉に目を開けると、目の前にある彼の目が優しく細められる。
ああ、幸せだ。今日は必ず家に持って帰るから、もう少しそこで待っててね。靴箱に入ったままの手紙に心の中で呟きながら、私はもう一度目を閉じた。

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