(大学生設定です)
今日は、私の誕生日だ。
「せやなぁ、これでやっと同い年やんな」
はは、と笑いを零した時に目に浮かぶ彼の笑顔は、冬休み期間に彼のいる大阪へと行った時のものだ。少し遅めの初詣に並びながら鼻を赤らめて笑う彼の手は、白い息が出る程寒いのにポカポカと温かかった。
「友達とは今週末祝って貰うんやったよな?」
「うん!」
平日である今年の誕生日は、残念ながら予定は無い。今週末も最初は蔵ノ介が来てくれると言っていたけど、どうしても外せない用事が出来てしまったらしく来週末に来る事になっていた。
「でも普通に遊ぶだけだよ。今日もおめでとうって言ってプレゼントくれたし」
「あ、そうなんや。よかったなぁ」
それで、何貰たん?そう聞いてきてくれる彼の声が不意に愛おしくなる。私の事なのに、彼の声色はまるで自分の事かの様に嬉しさで染まったからだ。
私が友達の名前と貰ったものを答えるともう一度よかったなと付け加えてくれる彼の声もまた、優しさで溢れていた。
「てか、蔵ノ介はまだ家に着かないの?」
いつも彼がアパートに帰るまで歩いている時間は、大体五分程だ。なのに今日は既に20分は過ぎてしまっている。
「あと5分くらいやな」
……あと5分もかかるんだ。
遠回りして帰っているとでも言うのだろうか。まだ七時とは言え、この寒空の下で。
「今日はなんか、長いね」
「ん?」
「歩くの」
「あー、そうか?」
しかし、彼に不思議そうに聞き返されてしまっては何も言えない。何となく、とだけ返事をして私はソファから立ち上がった。
「あーあ、早く来週末にならないかなぁ」
そう呟きながら窓を開けると、空には一際目立つオリオン座が煌めいていた。
友達と過ごすのだって、楽しみだ。
だけど蔵ノ介に会いたい気持ちだって凄くあるんだもん。……そりゃあもう、いっぱい。
「俺もはよ会いたいわ」
ポロリと零す様な彼の言葉に、胸がキュンと疼く。
「本当に?」
「当たり前やろ」
「……えへへ」
嬉しいなあ。大好きな蔵ノ介が、私と同じ事を思ってくれている。きっとまだ外を歩いているであろう彼もまた、離れた大阪でこの夜空を見上げているのだと思うとそれだけでまた嬉しくなるのだから、恋心とはなんて幸せなのだろうか。
「今日はもうケーキ食った?」
「うん、帰りに友達とカフェに寄ってね」
「えっ」
それってもしかして、自分とこのアパートから歩いて行ける所のケーキ屋さん?
何故だか焦りを帯びた彼の話し方に、一瞬疑問を覚える。
「ううん、大学の近くのケーキ屋さんだよ」
でもそんな疑問は、ふわりと吹いた冷たい夜風に運ばれて何処かへ飛んでいってしまった。
ああ、寒い。そう思って私は窓に手を掛ける。締め切る前の窓の外からは、アパートの下にある踏切が音を立て始めていた。
「あ、そうなんや。それな……」
ガタンゴトン。今度は電話越しの蔵ノ介の後ろから、電車の走行音が聞こえてきた。それによって彼の言葉は遮られてしまい、最後の方まで私の耳に届く事は無くて。
少しして電車が通り過ぎ、また元の静かな通話音が戻ってきた。
「ごめん、さっき電車の音で聞こえなかった。何て言ってた?」
聞こえなかったけれど、何かを言っていたのはわかるから。
「あー、えっと」
「……」
「その、大学の近くのケーキは美味いん?」
やっぱり電話の向こうの彼は、なんだか焦った様な声に思える。……なんだろう。
「うん、美味しいよ」
「ええなぁ、でもそれやと結構混みそうやな」
「そうそう。いつも結構混んでるんだけど、今日はすぐ座れてラッキーだったよ」
「お、それもしかして今日誕生日やからやない?」
しかし、やはりあまり深く考える事もない内にその疑問は消えてしまった。
電話越しに聞こえてくる彼の声は、いつ聞いても心地良く私の鼓膜を震わせる。キラキラと眩しい笑顔も穏やかで蕩けるように優しい性格も持ち合わせているというのに、声すらも聞いているだけで幸せな気持ちにさせるというのは流石にずるいと思う。
「あはは、そうかもね。誕生日で良かったなぁ」
そう返して、少しだけ寂しくなった。
学校で友達にお祝いをして貰ったり、学校終わりに友達とケーキを食べに行ったり。楽しい事は沢山あったけれど、でももう家に帰ってきてしまったからそれも終わりだ。この蔵ノ介との電話も、彼が一度家に帰ってしまえば寝る前までは出来なくなってしまう。
頼めばきっと電話をしてくれる彼だけど、彼にだって勉強や家の事があるだろうと思うと自分からは言いづらいというのが本音だった。
「ええ誕生日で良かったな」
「うん、ありがとう」
「……そろそろ家に着きそうやで」
「……そっか」
本当に長かったな、今日の帰り道。でも沢山電話出来たと思うとそれはそれで良かったかもしれない。
なんて、寂しいと思ってしまうワガママな自分の心に言い聞かせてみたりして。
ピンポーン。不意に玄関のチャイムが鳴った。こんな時間?あれ、私何か頼んでたっけ。
「ごめん蔵ノ介、誰か来たみたい」
「こんな時間に?珍しいな」
「ね、宅急便とか頼んだ覚えない…」
蔵ノ介と話しながら、そっと玄関へと向かう。本当に身に覚えが無い。変な人とか何かの勧誘だったらどうしよう。……私、誕生日なのに。
恐る恐るドアホールを覗き込む。
「え……?」
ドアの向こうに信じられない物を見て、私は慌てて鍵を開ける。え、だって……嘘?
「誕生日、おめでとう」
耳に当たったままの携帯からと、ドアを開けた向こうに立っていた蔵ノ介からと全く同じ言葉が聞こえてきた。
「な、んで」
言葉が出てこない。どうなっていると言うのだ。
今の今まで電話をしていたはずなのに。彼は大阪にいて、学校から帰っていたはずなのに。
「来週まで待たれへんくなって来てしもたわ」
嬉しそうに目を細める彼の右手には、私のアパートから歩いて行けるケーキ屋さんの袋がある。
「ケーキ、もう一回俺と食べてくれるか?」
ふにゃりと頬が緩んだ。
ああ、さっき思い浮かべた顔とおんなじだ。本当に、蔵ノ介は来てくれたんだ。
「……うん!」
嬉しい。愛しい。沢山の幸せな感情が、私の胸から溢れ出ている。その全てが蔵ノ介に向けてのもので、その全てが彼のお陰によるものだ。
この感情が少しでも伝わる様に気持ちを込めて、何度も言葉にして伝えよう。
「蔵ノ介」
「ん?」
「ありがとう」
玄関に入った彼を、ぎゅっと抱き締める。
「どういたしまして」
鼻に当たる彼のコートからはれ冷たく外の匂いがしてくる。
「大好きだよ」
私の背中に回った彼の腕も本当は冷たいはずなのに、そんな事は少しだって気にならない。
「俺も、大好きやで」
蔵ノ介に出逢えたから、私はきっと、世界で一番幸せになれるよ。
自分の腕の中にいる私を見つめてはにかむ彼の頬にキスをしようと、そっと背伸びをした。