今日は、私の誕生日だ。
友人達からのおめでとうという言葉を背に、私は昨日の夜からずっと決めていた事を実行する為に廊下を走った。……本当は悩んだ。普通に考えればこんな事はお願いするのも変だし、図々しすぎるんじゃないか、と。でも、今日は私の誕生日。これくらいのワガママを言ったって、きっとバチは当たらないはずだ!
「丸井くん!」
目的の教室に入り、目的の人物を見つけて声をかける。丁度机に着こうとしていた彼は顔を上げた。
「丸井くん、今日ね、私誕生日なんだ」
「……おお」
「だから丸井くんに、おめでとうって言って欲しくて」
大きな目を更に丸くした彼が、一瞬言葉に詰まる。そりゃあそうだ。おめでとうと言って欲しい、なんて本人に言われるとは思わないだろう。
けれどもし何にも言えずに今日が終わってしまったら、明日の私が酷く後悔をする未来しか見えなかったから。
「あー……うん。誕生日、おめでとう」
少し困ったような感じもあるけれど、でも丸井くんは確かに言ってくれた。それでも嬉しくて、ありがとう!と身体の中から喜びが弾けるように声が出た。
「ごめんね、変な事言って。でも本当に嬉しい、ありがとう!」
「んーん」
「それじゃあね!」
いつもならもう少し長居するところだけど、今日の私はそつ告げてすぐに私は彼の元を去った。個人的に彼とは仲良くしているとは思うし、彼自身が私にとって自分がどのような存在であるのかは理解しているとも思う。でも、流石にこのお願いはちょっと恥ずかしくもあったのだ。もしかしたら何処かでそれを聞いた本人から言ってくれるかも、とも思った。けれどそれを待ってソワソワするのも嫌だったし、何より言われなかったらそれでは何の意味もないから。来た時と同様に走って教室に戻る。友達に丸井くんの事を話すと、良かったねと言ってくれた。ああ、今日はなんていい日なんだろう。
「あ、柳くんおはよう」
「おはよう。それと、誕生日おめでとう」
「……わ、ありがとう!」
前の席の柳くんが、来るなりそう言って私の好きなお菓子をファミリーパックでくれた。たぶん、彼の誕生日に彼がよく舐めている飴を一袋プレゼントしたお返しだろう。
「あ、聞いて柳くん、さっき丸井くんにおめでとうって言ってもらえたよ」
「そうか」
「……」
「……」
「……ん?」
良かったな、と言われると思って待っていたのに、何も言われなくて思わず首を傾げる。すると柳くんも同じく首を傾げる。そんな私達を見た友達に、どうしたのかと声を掛けられた。……そんなの、私が聞きたい。
「な、なに?」
「……いや、良かったな」
そう口元に笑みを浮かべた柳くんは私に言うと、身体を前に戻してカバンのものの整理を始めた。待っていたはずの言葉をやっと言われたものの、なんとなく変な感覚だ。けれどもそれは、その後に訪れた他クラスの友人のお陰ですぐに消えてしまったのだけど。
しかし誕生日とはいえ、友人達の朝のおめでとう祭りが終わればそれでほぼ終わりのようなものだ。それからは普通通りの授業や休み時間になる。私のような一般生徒の誕生日というのは、私にとってはダイタンな行動を取る理由になろうとも、この大きな立海の中では至極小さな出来事なのである。それこそ先程完璧とも言える問題集の模範解答と全く同じ答えを言ったテニス部の柳くんや、理科の実験で色んな意味で注目を集めてしまったバスケ部の進藤くんの誕生日ともなれば話は違うのだろうが。
そんな小さいながらもビッグなイベントである誕生日も、もう三分の二程が終わった。残るところは夕ご飯のみとなる。もらったお菓子も食べて、いつもより豪華な夕ご飯とケーキも食べて……となると若干お腹の辺りが気になるところだけれど、まあ今日はいいだろう。
「……あ」
帰る準備をしている途中、不意に視界に入った姿に慌てて目を伏せた。丸井くんを見てこんな行動に出るなんて自分らしくない。でも、やっぱり朝に聞いたのが効いてる。おめでとうと言ってくれたのを思い出せば確かに嬉しくて堪らないんだけど、本人を見るとどことなく恥ずかしさが勝ってしまうのだ。とはいえ、明日になれば元通りになる。昨日はありがとう、と言えばいいだけなのだから。
「もう帰んの?」
「……」
掛けられた声に顔を上げ、咄嗟に声が出なかった。なんと、丸井くんが目の前に立っていたのだ。
「あ、うん」
「……すぐ?」
「え、いや、友達の掃除終わってからだけど」
「ふーん」
そう呟いて、更になんと既に居なくなった柳くんの席に座ってしまったのだから流石に焦る。な、なんだ。朝のやつ恥ずかしかった、とか言われたらどうしよう。でもそれはね、私もわかってたの。でもどうしても丸井くんに言ってもらいたくて、なんて勝手に脳内では言い訳を始めてしまう。……のだけど、目の前の丸井くんがかっこよくてそんなのは打ち消してしまった。凄いなあ、丸井くん。
「あー、あのさ」
ちろり、と視線が泳ぐ。気まずそうな表情に、思わずごめんなさいと出そうになる。
「ま、待って!」
確かに私がしたのは図々しくもあり、変な事だったかもしれない。けれどそれは私が誕生日を幸せに過ごす為にどうしても必要だったもので。
「それ、今言おうとしてるの、明日でもいいですか」
「え?」
明日がいい。苦情は明日受け付けたい。今日は嬉しくて幸せで、いい誕生日で、それで終わりたいんだもん。
「ええ、それは無理。今日じゃなきゃ意味ねえもん」
しかし私の切な願いは届かず。そう言って丸井くんは、カバンの中から何かを取り出した。それは可愛……くはないけど、明らかに手作り感のある透明な袋に入った二種類のクッキーとマフィン。
「朝も言ったけど、誕生日、おめでとう」
苦笑いを浮かべた彼からお菓子と一緒に向けられたのは、今日の朝も言われた言葉だった。
「え……」
ま、待ってこれは一体何が起きている?目の前に出されたお菓子達は、たぶん、彼の手作りだ。もう一度彼の顔を見る。
「私の誕生日、知ってたの?」
「うん」
「な、なんで?」
私の為に作ってくれたなんてそんな訳ない、きっとたまたま作ったのが昨日だっただけで。私が朝言ったばかりにあげようと思ったのだ。丸井くんは優しいから。
頭の中では言い訳のような言葉が並べられていたのに、彼はそれを一掃する。
「柳に聞いた」
「……」
「でもなんか、朝に自分からやってきたと思ったらおめでとうって言って欲しいとか言うから、渡しづらくなったんだよ」
ツン、とおでこが小突かれる。反射で瞑った目を開くと、丸井くんが呆れたように私を見ていた。でもそんな瞳ですら、簡単に私の心臓を射抜いてゆく。だって相手は丸井くんなのだから。
「ご、ごめん」
「……じゃなくて?」
そう、耳に手を当てた彼が促す。
「ありがとう!」
「うん、どういたしまして」
……おめでと、と続けてくれたお陰で本日三度目の言葉が聞けてしまい、嬉しいのと幸せなのと、でもそれも全部埋めつくしちゃうくらいのドキドキで胸がいっぱいになる。たぶん私、今世界一幸せだよと素直に伝えてしまう。「だから大袈裟だっつの」と照れたように笑った丸井くんを、絶対忘れないって誓った!