朝、教室へ来るとまず先に目が入ったのは、隣の席の机に掛けられているカバンだった。あ、具合、良くなったんだ。彼女の友達の席を見てもどちらも彼女はいないけど、そんな風に一昨日の事を思いながら席に向かうと、今度は俺の机の上に白い紙が置かれていた事に気づいた。

『一昨日はありがとうございました。お礼がしたいので、第3講義室で待ってます 佐野』

思いもよらない展開に驚き、主がいない隣の席を思わず見る。お礼がしたいので、って、ここじゃ出来ないって事?そう考えて一瞬ドキリとする心臓。しかしよくよく考えてみれば、俺のした行動を思えばなるべく表立って絡みたくないと思うのが普通だと思った。

直ぐに荷物を置いてそのメモと一緒に教室を出る。すれ違う友人達には空返事をしながら、頭の中は彼女の言う"お礼"の内容でいっぱいだった。柄にもなく緊張しているのがわかる。その証拠に、今さっき挨拶した友人の顔すら思い出せない。
もしかしたら、お礼と書いているけど怒られるかもしれない。なんて事をしてくれたんだ、と。恐らく彼女の友達もそこに一緒にいるのだろう。その友達から時折睨まれた事を考えると、むしろその線が濃厚の様に思い始める。
……でもそんな事言われても仕方ねーじゃん。これでも一応周りには絶対変な噂流すなって言ったし、お陰で何にも言われてねえし。

考えても仕方ない言い訳を脳内で呟きながらも、足は確実に前に進んでいた。第3講義室はもう目の前だ。昼休みにこそ弁当を食べる生徒がいるけど、朝からなんてほとんど人はいない。そこは煩かった教室前が嘘かのように静まっていた。
本当に、いるんだよな。もし友達と2人でいるのなら少しくらい話し声が聞こえてもいいと思うけど。目線を上げて教室の札を確認すれば、やはりメモにある第3講義室で。いなかったら笑える……

「や、笑えねえわ」

ぽろり、言葉が口から零れた。自分に溜息をつきたくなるのを堪え、ドアに手を掛ける。ガラガラと開いたドアの向こうには、携帯を片手に驚いた表情でこちらを見ていた。

「……おはよ」

反射的に室内を見渡す。そこには佐野さんしかいなかった。飲み込んだ息と一緒に言葉を吐き出した。大して大きな声でもないのに、周りの静けさのお陰でその声はよく通った。

「おはよう、ございます」

慌てて立ち上がった彼女の横には大きな紙袋がある。しかしその存在は今の俺にとって二の次だった。
準備が出来ていなかった。初めて彼女と2人きりになる事に対する準備が。クーラーも何も付いていない室内は、外からの陽射しで既に熱が篭りつつある。一歩、二歩と近付いていく。アホみたいに緊張していた。俺の皮膚に纒わり付く様な熱気より、たぶん、俺の身体は随分とその温度は高いだろう。

「ごめんね、わざわざこんな所まで呼んじゃって」
「ううん。具合、良くなった?」

隣りの席でいる時よりもだいぶ距離がある。彼女とこうして面と向かって、一対一で、二人きりで話すというのは初めてだった。隣の席って結構近いんだな。否応なしにあの距離を設定されていたから気が付かなかった。

「うん、昨日一日寝てたら元気になったよ。本当にごめんね、迷惑かけちゃって」
「ああいや、それはいいけど」

ごめん、という言葉が引っかかる。佐野さんが本当に申し訳なさそうに言葉にするから、それで尚更歯痒く思えて。
彼女に、あの行動を迷惑だと思う様な人間だと思われている。俺が勝手にした事なのに、彼女の方が嫌だと思っても可笑しくない事を俺がしたのに、彼女から何度も謝られる。それが俺にとって不満で、そしてどうしようもなく不安だった。そんな風に思われているだろうと思われている事が……そんな男だと思われている事が。

「あの、それで」

彼女が振り返り、机に上がっている紙袋に手をかけた。大きなその紙袋の中を覗き見る彼女。ちら、と俺の方を見るとその袋ごと俺に向けてきた。

「一応、丸井くんが好きだって言ってたお菓子とか、あと無難そうなお菓子とか買ってきたので、」

紙袋を持つ彼女の手が震えている。それが中に入っている物の重さのせいなのか、それとも他の理由なのか。俺に知る術は、……

「本当は本人にもちゃんと謝ればいいのかと思ったんだけど、それはそれで迷惑になるかと思ったから」

……ん?本人?
眉間に皺を寄せた彼女が俺から目を逸らした。

「こんな事で許されるなんて甘いとは思うんだけど、その……彼女さんと一緒に食べて貰えたら嬉しいです!」
「……は?」

俺の声を聞いた佐野さんは一層眉間の皺を深め、もはや今にも泣き出しそうになる。

「ごめん、本当にごめんね」
「や、違う違うちょっと待って」

放っておくとひたすら謝られてしまいそうになり、そういう事じゃなくて、と続ける。言われて口を噤んだ彼女だけど、やはり済まなそうに下げた頭を上げようとはしない。

「……俺、彼女いないけど」

ドクドクと脈打つ俺の心臓の音が良く聞こえる。

「……え?」

暫しの沈黙の後、顔を上げた彼女は俺の言葉をイマイチ理解していない様に思えた。俺はもう一度同じ事を告げる。するとその意味を理解したのか、えっ!と叫んだ彼女の頬はパッと紅く色付いた。

「嘘、だって1ヶ月くらい前に彼女が出来たって聞いて…」
「あーそれ、どっかから出た根も葉もねえ噂」
「……」
「……俺の事だろい?」

絶句している彼女に俺が問うと、未だ信じられない表情で頷いて見せる。

「それこそ俺も何でそんな噂が広まってんのかわかんねーくらいで」

そう言いながら彼女が差し出したままの紙袋を受け取った。一番上に見えたのは、白くてフワフワの、口に入れれば優しく溶けていくアレだ。

「これ、俺が前に好きだって言ってたマシュ…」

……1ヶ月くらい前?突然呼び戻された先程の佐野さんの声が、もう一度俺の脳内に響き渡る。なんだか突然、こんがらがっていたものが解けていく様な、そんな感覚に陥る。

「え、なあ、聞いてもいい?」
「……?」

言葉を出せずにいる彼女が、首を傾げてからそのまま頷いた。

「俺の事いきなり避け始めたのって、もしかしてそれが理由?」

期待で震えそうになる手を首の後ろに回す。

少しずつ縮めた距離だった。笑った顔が見たくて、それを俺だけに向けてくれるのが嬉しくて。
だからこそ、どれだけ考えても何をしたのかわからなかった。何も考えずに言葉を放ったつもりは無かったから。

「……うん」

俺の目を見つめながら、彼女は確かに頷いた。ゆるやかに解け始めていたものは、その返事によって綺麗な一本の赤い糸に戻る。

「んだよ……うわ、まじか」

言葉にならない気持ちが声になって現れる。
あの時、教室で友人に聞かれた時にそんなの嘘だってデカい声で言えば良かった。変な噂流すな、彼女はいないけど隣の席に気になる子がいるって言っときゃ良かったんだ。
でもこれはきっと、まだ遅くはない。

「えーっと…」

佐野さん、戸惑った様に視線を揺らす彼女を呼ぶ。視線が定まり、それが俺へと向けられる。

「俺と、交際を前提に友達になって下さい」

自然と頬が緩む。目を見開きながら、え?と聞き返す彼女がどうしようもなくキラキラと見えるのは、きっと俺だけだろう。

「……じゃあその第一段階って事で、一緒にお菓子食おうぜ」

彼女の返事を待たずに受け取った紙袋の中から、一番上にあったものを取り出す。真っ白なものが沢山つまった袋を開ければ、甘い砂糖の香りが鼻を擽った。

「はい」

先に俺がひとつ摘んで彼女に向けると、彼女も同じ様にひとつ摘む。
俺の視線に気づいた彼女と目が合う。
頬を赤らめたままの彼女と一緒に食べたマシュマロは、今まで食べたどのお菓子よりも甘かった。

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