夢/とあるわんこの恋模様 | ナノ

あなたという人の段


「今日から宜しくねー!」
「おう!」


その日の夜。
八左ヱ門が早々に先生に部屋変えを要求したこともあって、楓は新しい部屋へと引っ越すことができた。
同じ組みの友人で、今まで一人部屋だったこともあり、同室問題はない。


「私はどっちで寝たらいい?」
「あー…そうだな。お前どっちがいい?」
「じゃあ私………」
「どうした?」


一つの部屋を二つに分けるための、ついたてが部屋の真ん中にあり、部屋を縦に分けている。
八左ヱ門とのときは部屋を横に分けていたので、女ということを考慮して八左ヱ門が奥を使わせてくれていた。
今さらだが、ここでは自分が「男」だということを実感する。それと同時に、八左ヱ門の優しさに自然と涙が溢れそうになった。


「楓?」
「私、こっちでいいよ」
「じゃあ俺こっちな。悪いな、いきなりだったから掃除できてなくてよー」
「ううん、私こそいきなりでごめんなさい」
「それは別に構わないけど…。どうした、八左ヱ門と喧嘩でもしたのか?」
「…喧嘩じゃないと思う」
「喧嘩してないのに部屋替えしたのか?」
「何でもないの!ほら、もう夜遅いし寝ようよ!」


荷物を整理しながら八左ヱ門が何故怒ったのか考えていた楓だったが、やはり真意は解らなかった。
八左ヱ門に聞こうと思っても、彼は最後まで姿を現わしてくれることはなく、「お世話になりました」のお礼も言えず仕舞い。
仕方なく書き置きを残してここにやってきた。


「(あ、お風呂入ってないや…)」


持ってきた布団を敷いて、お風呂へ向かおうとしたのだが、身体が固まった。
もしここで、「お風呂入ってくる」なんて言えば、「俺も行く」と言ってくるかもしれない。
そうなったとしたら女だということがバレてしまう。
いや、もしかしたら彼は既にお風呂に入ったかもしれない。だったらまだ望みはある。


「ね、ねえ。お風呂入った?」
「あっ、そう言えば入るの忘れてたな…。楓も?」
「あ……」
「んじゃ、一緒に入ろうぜ」
「ううんッ!私は今日いいや!ちょっともう疲れちゃったし…」
「そっか?んー……じゃあ俺もいいや。昼間水浴びしたし」
「そう…」


解っていたが、やはり他人との共同生活はしんどい。
今まで自分がどれだけ八左ヱ門に甘えていたか、身を持って知った楓は結っていた髪を解き、いつもように櫛で髪の毛を梳く。
明日八左ヱ門に会ったらどうしよう。
そればかり考えていると後ろから視線を感じ、櫛に髪の毛を通したまま振り返る。


「ッ!な、…なに…?」
「いやー…。やっぱ女らしいなーって思ってよ…」


いつからか解らないが、ずっと見られていた。
油断していたのもあって、心臓が一瞬止まった楓だったが、取り乱さないように自分を落ちつかせる。


「そんなことないよ」
「いやいや、前の女装実習だってマジの女にしか見えなかったから!皆、騒いでるぜ?」
「そうなの…?うーん、私より勘ちゃんとか雷蔵のほうが可愛いよ?」
「んー……そうじゃなくて、…身体つきが?」


そう言って友人が楓の身体に目を向けた瞬間、楓の身体から血の気が引いていった。
今、自分はちゃんと寝間着を着ているだろうか。サラシはちゃんと強く巻いたままだろうか。女らしい仕草はしていないだろうか…。
ここに座っていることも怖くなって、手がカタカタと震えた。


「でも私…、男だよ?あんまり嬉しい言葉じゃないなぁ…」
「…そうだよな。悪い、楓!もうバカなこと言わないように寝るわ」
「うん、おやすみ」


ついたてから顔を引っ込め、ゴソゴソと音を立てたあと、息をする音だけが聞こえてきた。
楓も櫛を机に置き、布団へと入る。
バレなくてよかった。と安堵の息をもらす楓だったが、まだ手が震えていた。


「(明日からはもっと気をつけないと…)」


あまり眠くはなかったが、無理やり目を閉じていると自然と眠たくなってきた。
こんなに緊張しながら寝るのなんて今までにあっただろうか…。
今さっきも思ったが、自分で思っている以上に八左ヱ門に甘え、頼り、安心していた。
だが、そのせいで八左ヱ門に迷惑をかけていた。だから自分は部屋から出たのだ。
八左ヱ門に嫌われたくない。八左ヱ門に迷惑かけるぐらいなら、自分が苦しい思いをしたほうがいい。


「―――ッ!?」
「あ、悪い。起こしちまったな」


現実と夢の狭間で色々な想いを馳せていると誰かの気配を感じ、飛び起きた。
ぼやける視界にうつるのは同室の友人。
何故彼が自分のもとへ?それにその手はなに?
サラシを巻いていることを確認し、そのまま胸元を整えていると、彼は心配そうな顔で自分を見ていた。


「だ、大丈夫か?随分苦しそうだったけど…」
「…え?」
「すっげぇ唸ってたぞ。今だって汗すげぇし…。風邪か?」


言われて、自分が大量に汗をかいていることに気づいた。
それと同時に、彼に対してとても失礼なことをしてしまったことに気づてしまった。


「(襲うわけないのに…)」
「寒いなら布団分けてやろうか?」
「ううん、大丈夫…。あ、ちょっと厠行ってくるね」
「おう。じゃあ俺の羽織り貸してやるよ」
「ありがとう」


友人から羽織りを受け取り、背中にかけて外へ出る。
外は部屋より随分寒く、息を吐くとほんのり白い息が空に浮かんで、消えた。
部屋から少し離れたところで腰をおろし、空を見上げる。
今、部屋へと帰りたくない。きっと起きて自分の帰りを待っているだろう…。きっと優しく声をかけてきてくれるだろう。
それが辛い。言えない秘密を持っているから自分に声をかけないでほしい。


「そんなの……私の我儘じゃん…」


もしくは傲慢だ。
膝をかかえ、小さくなっている楓。
当分の間その場に座っていると、遠くから廊下が軋む音が聞こえ、顔をあげる。
もしかしたら心配して迎えに来たのかもしれない。
そう思って慌てて身なりを整える。女らしい仕草をしないようにと気を引き締めた。


「………八左ヱ門…」
「…」


しかし現れたのは八左ヱ門だった。
手に何かを持ったまま楓に近づき、すぐ横に八左ヱ門も腰を落として、持っていた羽織りを楓の背中にかけてあげる。


「少しならまだしも、長い時間こんなとこに座ってたら風邪引くだろうが」
「……ごめん…。……長い時間?何で知ってるの?」
「何でもいいだろ。それより早く部屋戻れよ」
「うん…、でも今はまだ戻れない…」
「何でだよ。俺がいなくて楽なんだろ」
「ハチがいないから楽じゃないんだよ」


ポツリ、ポツリと楓が先ほど感じたことを八左ヱ門に話した。
きっとこんなこと言っても八左ヱ門には関係ない。余計に「迷惑だ」と思われるかもしれない。都合のいい男だと解釈されるかもしれない。
だけど言いたかった。


「戻りたい。ハチと同じ部屋がいい…」


八左ヱ門の優しさが心地いい。
そのせいで彼は怒ったのだが、楓は戻りたいと何度か呟いた。


「お前さ、何で俺が怒ってるか解ってねぇだろ」
「解ってるよ。私が迷惑かけてるからでしょ?今日だって倒れちゃったし…」
「そこじゃねぇよ。抱きつくなって言うのに抱きついたり、布団に潜り込んでくるとこに怒ってんの!」
「あ…うん…。それも解ってる…。ごめん」
「まぁ一番は部屋変わりたいとか言ったことだけどな」
「え?」
「お前の我儘に付き合えるのは俺だけなんだよ」
「……」
「だ、だから…。ちゃんと俺の言うこと聞くなら戻ってこいよ…。もう怒ってねぇから」
「ハチっ…!」
「ばっ…抱きつくな!」


こうして、楓の短いお引っ越しは終了するのだった。


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