あなたという人の段 「ハーチー!」 寝間着姿の楓が甘えるように両手を広げ、八左ヱ門に抱きついた。 むにゅと女性にしかないものが自身の身体にあたり、身体がビクリと飛び跳ねる。 楓が抱きついてくるのは慣れたが、胸を当てられるのは慣れそうになく、顔を若干赤く染めながら、楓を引き離す。 「抱きつくなって何回言えば解るんだよ」 「それは外ででしょ?部屋だったらいいじゃん!ハチあったかいもーん!」 「そんなに抱きつきたいならサラシ巻け!」 「えー…ずっと巻いとくと苦しい…」 「いーや!今決めた。お前ずっとサラシ巻いてろ!だったら抱きついてもいい!」 「………うん、解った…」 いつもなら子供のように駄々をこねる楓だが、今日は暗い表情で素直に頷いた。 「どうかしたか?」と思った八左ヱ門だったが、素直に返事してもらえたのは嬉しかった。 胸さえ当たらなければ理性と戦う必要がない。 うんうん。と頷いている間に、楓はついたての向こうで脱いだばかりのサラシを巻き始める。 大きくないとは言え、胸を圧迫するのはとても苦しいもので、最近では慣れてきたがあまり好きではない。 「ハチ、苦しい…」 「知るか!俺だって苦しいんだ!」 「……」 八左ヱ門が何に対して苦しんでいるか楓には解らないが、解放したはずの胸を再び圧迫するのは辛かった。 「ハチー…、いつなら取っていい?」 「風呂のときだけにしろ」 「えー…これハチが思っている以上に苦しいんだよ?寝てるときも巻いとくなんてやだよ…」 「お前が俺の布団に潜りこんでこないなら取れよ。でも、いつ同級生が来るか解んねぇんだぞ?お前はもっと危機感を覚えろ」 「…うん…」 女性らしい身体つきになってきたせいもあり、落ちついていた噂が再び流れ始めた。 「楓女性説」。 遊び半分で楓を監視する人間が増えているため、警戒しろと八左ヱ門は真面目な顔で楓に注意を促した。 解っているけど、自由になりたい楓は眉を寄せている。 だけど八左ヱ門が言うんだ、大人しく言うことを聞いておこう。そう思って楓はサラシを解かない生活を送ることにした。 「(苦しい、しんどい、サラシとりたい…)」 八左ヱ門に言われた通り、楓はお風呂以外ではサラシを取ることはなくなったが、そのせいでストレスが溜まりに溜まって、顔色が悪い。 フラフラとした足取りで部屋へと戻ろうと、壁に手をつきながら歩いている。 「あ、楓。ちょうどよかった、八左ヱ門知らない?」 「雷蔵…、助けて…」 「え!?」 重たい足を無理やりあげ、ゆっくり歩いていると前から雷蔵がやってきた。 本を片手に小首を傾げる雷蔵に楓は震える手を伸ばし、そのまま前へと倒れてしまった。 雷蔵が慌てて近づくと、楓の額には脂汗が浮かんでおり、ただ事ではないと思った雷蔵は楓を担いで保健室へと向かう。 幸い、保険委員長である善法寺伊作は楓が女だということを知っているので、気兼ねなく相談することができた。 「いきなり倒れて…。あの、楓は大丈夫でしょうか?」 「息苦しそうだね。周囲に誰もいないか確認してきてくれる?」 「あ、はいっ」 「楓、ごめんね」 仰向けに寝転ぶ楓の上に布団をかけ、手を忍びこませる。 雷蔵が保健室の周辺に誰もいないことを確認して報告すると、伊作は楓からサラシを解いた。 すると荒かった呼吸もすぐに落ちつき、静かに寝息を立て始める。 「サラシがきつかったみたいだね。あ、僕見てないからね!」 「……そう言えば最近寝るときもしてるって言ってました…」 「そうなの?それは苦しいんじゃないかなぁ…。サラシは胸だけじゃなく、肺とか器官を圧迫するから定期的に解放しないとダメなんだよ?」 「僕もよく知らなくて…。ちょっと同室の八左ヱ門に事情を聞いてきます」 「宜しく。僕は楓を見ててるから安心して」 「はい!」 雷蔵が事情を知ってるであろう八左ヱ門を呼びに行き、伊作は楓の額を優しく拭いてあげる。 女として頑張っていることも知っている。伊作を含めた六年生全員に懐いていることも知っている。 だから色々と協力してあげてるし、あげたいと心から思う。 「失礼します」 「先輩、八左ヱ門連れてきました」 「あ、ありがとう。さっそくなんだけど、竹谷。何で楓はずっとサラシを巻いてるの?」 「えっと、私がずっと巻いておくよう言ったからです」 伊作の質問に、八左ヱ門は楓の様子をちら見しながら経緯を説明した。 男の子の事情が解る伊作は苦笑を浮かべたが、サラシのことをちゃんと説明してあげる。 八左ヱ門は複雑そうな顔をして聞いていたが、楓の額に浮かぶ汗を見て、一度目を伏せて「はい」と頷いた。 「―――……」 「あ、起きたみたいだね。どう、楓。胸はまだ苦しいかい?」 「い…さく……ぱい?」 重たそうな瞼をゆっくり開き、覗きこんできた人物の名前を呼んで、自分が今どんな状況にいるかを確認する。 途切れる前の記憶を思い出して繋ぎ合わせると、すぐに答えが出てきて苦笑しながら伊作に「すみません」と謝罪を述べる。 伊作は優しく微笑んで頭を撫で、立ち上がった。 「もうちょっと安静にしてていいからね。僕は用事があるから先に失礼するよ」 「あ、じゃあ僕も…。楓、ゆっくり休んでね」 「あ…うん…。ありがとう、雷蔵」 雷蔵に隣に座っていた八左ヱ門を見た楓はすぐに目を反らして、部屋から出て行く二人を見送った。 きっと迷惑をかけたに違いない。また怒られてしまう。 そう思うとまともに八左ヱ門の顔が見れないし、心臓がバクバクと音をたててうるさい。 「楓、ごめ「ごめんねハチ!また迷惑かけちゃった!迷惑かけないように頑張ったんだけど、私根性ないからさー…」 八左ヱ門が喋り出す前に楓が喋る隙を与えることなくベラベラと話し続ける。 勢いに負け、八左ヱ門は楓が喋るのを止めようと思ったころに、楓が眉根を寄せたまま笑顔でこんなこと言った。 「これ以上ハチに迷惑かけないように、部屋変えてもらおっか!」 「………は?」 「だってハチ、私と一緒にいると苦しいんだよね?だから部屋変えてもらったら楽になるよ!それに、ハチがいないと私も警戒心持つかもしれないじゃん!」 一石二鳥だねー。と笑う楓を見て、最初は呆けていた八左ヱ門だったが、次第に胸の底がムカムカしてきて思わず拳を強く握ってしまった。 誰もそこまでしろなんて言ってない。ただ、少しは警戒心を持てと言っただけだ。何で極端な選択肢かできないんだと思ったが、冷静さを失った今の自分では楓を説得できるはずがなかった。 「あー、そうかよ!勝手にしろッ」 「え…あ…っ、な、んで怒ってるの?だってハチは私がいると苦しいんでしょ?い、今も迷惑かけてるし…」 「そうだけど、そうじゃねぇだろ!それぐらいも解んねぇのかよ!」 「だって、…だって…っ!」 八左ヱ門が怒って立ち上がると、楓も慌てて上半身を起こす。 勢いをつけすぎて頭がクラリと揺らいだが、また倒れるわけにはいかないと八左ヱ門を見上げた。 楓は何で八左ヱ門が怒っているか全く解らない。 彼としては、楓が少しだけ自分に抱きついてくるのを自重してくれればいいんだ。それだけなんだ。 ちゃんと毎日忠告してくるのに、何で彼女は解ってくれないんだろうか。 解って欲しいところを解ってくれず、的外れなことを言う楓に腹が立つ。 「じゃあ俺が先生に言ってきてやる!お前は部屋帰って荷物まとめてろ!」 「ハチ、あの」 楓の声を聞きまいと、八左ヱ門は背中を向けて力強く戸を閉めた。 残された楓はすぐに八左ヱ門を追いかけて外に出たが、彼の姿は既になかった。 「うおっ、お前…何してんだ?」 「留三郎先輩…」 いきなり保健室から飛び出た楓と衝突しそうになった留三郎は楓にぶつかることなく手前で止まり、怒ることなく「どうした?」と優しく声をかけてくれた。 楓は毎日を笑顔で過ごしている。初めて人を殺めたときも、泣いたり凹んだりすることはなかった。 だから泣きそうな顔をしている楓を見て、声をかけたのだ。 楓は留三郎に振り返ったあと、先ほどのことを喋ろうかと思ったが、迷惑はかけまいとゆっくり口を閉じ、保健室へと戻って行く。 「話したくねぇのか?」 「……」 「なら聞かねぇけど、……辛くなったらいつでも声かけろよ。あとちゃんとサラシ巻いとけよな」 「…はい…」 何かあったのは一目瞭然。 しかし本人が話したくないのならと、留三郎は追求することなくその場をあとにする。 楓は八左ヱ門との口論で、自分のどこに非があったか考えながらサラシを巻いて、荷物をまとめるために部屋へと帰って行った。 ( TOPへ △ | ▽ ) |