夢/とある軍人の軌跡 | ナノ

運命


「ふえっ…くしゅん!」
「おい…。本当に大丈夫か?」
「…た、多分…」


全て目を通した書類を持って上司である留三郎の元へと持ってきた名前は、先ほどからくしゃみが止まらなかった。
疲れているのかな?と思ったが、そうでもない。確かに疲れてはいるが、先日は休みだったし…。と不思議そうに首を傾げる。
書類を受け取った留三郎はオロオロした様子で名前を見るが、名前は「平気です」と笑って答えた。


「疲れてるならちゃんと休めよ。無理はすんな」
「大丈夫ですよ、食満先輩は優しいですね」
「いや…。だってお前………」


名前はこの軍唯一の女だ。そして自分は男だ。
仙蔵ほど鋭いわけでも、文次郎ほど疎いわけでもないが、女性のことは解らない。
だから、どれだけ動けるのか、どれだけ頑張れるのか、どれだけ弱いのか皆目見当がつかない。
そのせいで「過保護だ」と仙蔵や文次郎、果てには小平太にまで言われるのだが、名前を傷つけたくない。
それが「差別」になるかもしれないが、彼女の根本は女だ。
もしかしたら軍を辞めて、一般女性に戻るかもしれない。子供を授かる身を乱暴になどできない。と、留三郎は思う。


「女性のほうが案外強かったりするんですよ」
「……名前が強いのは十分解ってんだけどな。でも何があるか解んねぇし、ちょっと休んでろ」
「しかし…」
「じゃあ俺も休むから付き合えよ」


席を立ち、名前を無理やり近くにあった椅子へと座らせ、自分も隣に座る。


「これ、町の子たちに貰ったお菓子」
「え?…あの、私も貰っていいんですか?」
「「お姉ちゃんにも」って言ってたからな」


黙っていると少しきつそうな顔を持つ留三郎だが、笑うと少年らしさが残っている。
そのギャップに思わず胸が高鳴り、恐る恐るお菓子を受け取り、包みを開いて口に入れると甘い味が舌いっぱいに広がった。


「美味しいです」
「うまいな」


ほのぼのと、軍内にも関わらず平和な時間が流れる。
だが、部屋の向こうから聞き慣れた声がして、平和な時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。
誰かが必死に止めようとする声や、何かが床に落ちた音、そして騒がしい足音…。
なんとなく誰がやって来たか解った留三郎はあからさまに嫌そうな表情を浮かべ、頭を抱えた。
名前は昔に感じた悪寒が背中に走り、扉に目を向けたまま留三郎に近づいて身を小さくさせる。


「留三郎ォ!」
「やっぱりお前か…」


文次郎のとき同様、バンッ!と勢いよく扉を開ける小平太と、大きく溜息を吐く留三郎。
小平太が入って来たあと、先ほどとは打って変わって機嫌が良くなっている八左ヱ門が入ってきて、留三郎も名前も疑問を抱いた。
八左ヱ門は扉を閉め、小平太の後ろに姿勢正しく立ってニコニコ笑って待機。
嫌な予感がした留三郎は立ち上がり、背中に名前を隠して「何の用だよ」と小平太に用件を聞く。
名前も嫌な予感がしたので留三郎の後ろに隠れ、何かを願うように両手を握りしめて目を瞑っている。


「名前を貰う!」
「ハァ?」


簡潔すぎる小平太の言葉に首を傾げる留三郎は、「訳せ」と言うように八左ヱ門に目を向ける。
すると八左ヱ門は生き生きとして小平太の前の出て、一枚の紙を見せた。


「今日から名前は準軍事組織から、七松先輩がおられる特務機関へと異動することになりました!」
「「ハァ!?」」


先ほどとは違い、驚きと戸惑いが込められた声を出す二人と、うんうんと頷いている小平太。八左ヱ門も小平太同様嬉しそうだ。
留三郎が確認のため八左ヱ門から紙を受け取るが、確かにちゃんと書かれおり、仙蔵の判子までも押されていた。


「名前…。お前「出してません!」


出したのか?と聞く前に名前が答え、首を左右に振る。
出してないし、出した覚えがない。というか、行きたくない!
名前の目はそう訴えていて、留三郎はそれを信じた。
名前が小平太を苦手としているのも知っているし、ここに不満を抱いているような素振りも見なかった。
色々考えている間に小平太が名前に近づいて、腕を掴む。
必死に抵抗する名前を見て、留三郎も小平太の腕を掴んで阻止する。


「小平太!名前から手を離せ!」
「え、何で?」
「何でって…。た、確かに仙蔵の判子まで押されてるけど、名前は異動願い出した覚えねぇって言ってんだぞ?名前だって行きたくねぇよな?」
「はいッ、勿論です!」
「でも仙蔵からちゃんと許可貰ったし…」
「そうっすよ。立花先輩の言うことは絶対っすよ!」
「竹谷はちょっと黙ってろ!」
「ういっす!」


腕を掴み合ったまま小平太と留三郎は口論を続ける。
涙目で何度も「いやいや」と首を左右に振り続ける名前だったが、視線を八左ヱ門に向けると、彼は「諦めろ」と言ってゆっくり頷いた。
その瞬間、全ての元凶は八左ヱ門だと解り、口パクで「最低!」と罵る。
しかし、自分だけ小平太の下につきたくない八左ヱ門は、名前になんと言われようと涼しい顔をしている。


「留三郎は甘すぎるからダメだ!仙蔵だって言ってる!」
「お前らがどう言おうとこれが俺の指導方法だ!つーかお前ら、特に小平太は扱いが酷過ぎるんだよ!」
「「もっと言ってやって下さい、食満先輩!」」
「竹谷、お前何か言ったか?」
「何でもないっす!食満先輩、諦めて名前から手を離して下さい。名前はもう特務なんすから」
「は、離さないで下さい、食満先輩!私、ここから離れたくないです!食満先輩の下にいたいです!食満先輩から離れたくないんですッ!」


涙目で必死に訴える名前に、留三郎は力強く頷く。
そんな二人を見て、八左ヱ門は「俺のときとは全然違うな」と文次郎のことを思い出した。
小平太も仲のよさそうな二人を見て眉間にシワを寄せる。
名前のことは学生時代から気に入ってるし、いつか絶対に特務に異動させる気だった。
二人を鍛え上げればきっと楽しくなる。もっと色んなところへ派遣され、戦うことこができる。だからどうしても名前も手に入れたい。
嫌がる名前を見て傷つきはせずとも、イライラしてきた小平太はギュッと掴んでいた手に力を込める。
名前が顔をしかめると、隣の留三郎が怒りを込めて呼んできたが、無視して自分に引き寄せ、名前の名前を呼んだ。


「私は竹谷も名前も欲しい。留三郎のとこではダメだ。強くなりたいなら私のところへ来い」


留三郎を見ることなく、名前を真っ直ぐ見つめて話す。
名前も解っていた。留三郎が自分に気を使ってくれていることを。
強くなりたいという願望があるのに、留三郎の優しさに甘えてしまい、その思いが薄らいでいることも。


「(でもっ…)」


小平太の相手をするのはかなり辛い。なんたって彼は人並み以上の体力と力を持つ。
もはや人ではないと何度八左ヱ門と愚痴ったか…。
昔のことを色々と思い出すたびに背筋が寒くなり、現実逃避するように目を伏せると乱暴に顎を掴まれた。
目を開けると小平太が顔を近づけていた。


「な、な松…先輩…」
「言っておくが拒否権はないぞ。これは決定事項だからな」


うっすら笑みを浮かべ、ハッキリ告げる小平太に、名前は諦めるように目を閉じた。
それを見た小平太は名前から離れ、背中を向けて部屋から出て行く。八左ヱ門もそれに続き、部屋には名前と留三郎の二人のみ。


「すみません、食満先輩…」
「いや、俺がちゃんと仙蔵に話つけるから!」
「いえ…。大丈夫です…」
「名前…っ…。すまねぇ…」
「あはは、何で食満先輩が謝るんですか。大丈夫ですよ、八左ヱ門もいますし」
「……っきしょう…!いいか名前、辛くなったらすぐ俺に言え!絶対に助けてやるから!」
「ありがとうございます、それだけで十分嬉しいです」


まるで自分のことのように悔しがり、そして大げさに名前を心配する。
大事な娘を嫁に出す心境なのか、何度も「やっぱダメだ!」と叫ぶ。
そのたびに名前が説得し、笑ってみせた。


「荷物はすぐにまとめます。簡単な引き継ぎもしておきますね」
「…名前…」
「もうお茶を淹れることはできませんが、私はここが好きです。だから……時々顔を出してもいいでしょうか?」
「当たり前だろ!寧ろ毎日出せ!」
「七松先輩が許してくれたら毎日来ます。……では、短い間でしたが、お世話になりました食満少佐」


笑って敬礼すると、留三郎もようやく諦めて敬礼をしてくれた。
後ろ髪引かれる思いで名前も慣れ親しんだ準軍事組織をあとにし、新しく異動した特務機関へと向かうのだった。
そう、これが地獄の始まりである…。



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