後半への繋ぎ 「……」 「な、七松先輩…?あの、どうかしましたか?珍しく落ち込んでるように見えますが…」 嫁の名前に冷たくあしらわれ、泣く泣く仕事場へとやってきた小平太は、この世の終わりを迎えるような絶望した顔をしていた。 現場で上司からの朝礼を聞き、準備体操をするのだが、いつも元気に体操をする小平太が静かだった。 同僚も、上司も、後輩も「天変地異の前触れか!?」と心配もとい驚き、高校時代から付き合いのある八左ヱ門が皆を代表して話しかけた。 つなぎ(作業服)にも関わらず上半身を脱いで仕事に励むのだが、今日はちゃんとつなぎを着ているまま。 あからさまに元気がない。八左ヱ門が話しかけても小平太は反応することなく、八左ヱ門に背中を向けて黙々と仕事をしている。 「あの…もしかして名前先輩と喧嘩でも…?」 小平太がこうなる理由はいくつか考えられる。 一つはお腹が減っている。だけどこれは違う。彼は腹が減ると機嫌が悪くなるか、さっさと仕事を終わらせようといつも以上に尋常な力を発揮する。 もう一つは機嫌が悪い。だけどこれも違う。機嫌が悪いと殺気を飛ばしまくってくる。そしてストレス発散するようにバレーに誘ってくるのだが、誘いはなかった。 だったらこれしかない。 八左ヱ門が聞くと小平太の身体がビクリと震え、ゆっくりと振り返る。 プルプルと今にも泣きだしそうな顔でジッと八左ヱ門を見上げる小平太。まるで子犬のように見えたが、中身は狂犬なのでこれからの言葉を慎重に選ばないといけない。 「名前が…!名前がっ…!」 「(やっぱり名前先輩絡みか…)昨日、誘ったのまずかったですか?」 「名前ーッ!」 「うぎゃああああ!」 泣くと思っていたが、まさか自分に抱きついて泣いてくるとは思わなかった八左ヱ門。 わんわんと泣きながら八左ヱ門を力強く抱き締め、八左ヱ門の骨がミシミシと鳴り響く。 周りに助けを求めようと手を伸ばすも、誰しもが顔を背けて各自の仕事に戻る。 「おおお落ちついて下さい七松先輩!俺は名前先輩ではありません!」 「何でだ!何で名前は怒ってるんだ!私なにかしたか!?何もしてないぞ!ちゃんとキスだって一日三回までにしてるし、ヤるときは嫌だけどゴムしてるし、外でヤろうなんて誘ってない!」 「うおおおお!そんなこと大声で言ったらダメっすよ!」 人んちの性事情なんて聞きたくなかったが、大声で喋る小平太。 八左ヱ門が慌てて大声を出すが、小平太のほうが大きいので遮ることができず、仕事仲間の耳に自然と届いていった。 「昔に比べて縛るのも減ったし、無理やりも減らしたのに…ッ!」 「名前先輩苦労してんな!つーか何で全部そっち系なんすか!?きっと昨日のことっすよ!」 「昨日?」 八左ヱ門の言葉に鼻を鳴らして泣きやむ。 その場に正座して八左ヱ門と向い合い、話の続きをジッと待つ。 今は仕事中なのだが、主戦力の小平太がこのままでは使いものにならないので、八左ヱ門も座って昨日別れたあとのことを聞いてみた。因みに上司からは「任せた」と視線を送られた。 だけど酔っていたのであまり覚えておらず、首を捻る。 「酔った勢いでしたとかは?」 「してない。したら覚えてる」 「(そういうのは覚えてるんだ…)では何か失礼なことを言ったとか?」 「んー…なんか喋ったのは覚えてるのだが、ハッキリとは覚えてない」 「そうですか…。因みに名前先輩、どんな感じだったんですか?」 「………怒ってる…」 シュンとまた子犬のように小さくなる小平太。 動物が大好きな八左ヱ門はそんな小平太を見て、「俺がどうにかしてあげなくては!」と勝手に責任感が芽生え、携帯を取り出す。 小平太には「ちょっと待ってて下さい」と声をかけ、その場から離れる。 小平太は素直に頷き、昨日のことを思い出してグスンと再び泣き始めた。 「―――あ、もしもし、名前先輩ですか?」 『竹谷くんから電話かけてくるなんて久しぶりだね。どうかした?もしかして小平太のこと?』 数回のコール音のあと、出たのは名前。 七松家と竹谷家はそれなりに交流があるので、八左ヱ門の携帯には七松家の電話番号が入っている。 名前の後ろでは留守番組の子供たちが遊んでる声がした。 「そうっす。七松先輩と喧嘩したって本当ですか?」 『喧嘩っていうか…。ちょっとムカついて無視してるだけ』 「(うわ、声怒ってんな…)あの、できれば理由とか教えてもらっていいですか?その…、先輩落ち込みすぎて仕事にならないんす…」 『へえ』 「…あの、電話越しに殺気飛ばしてくるの止めてもらえませんか?」 『飛ばせないよ、小平太じゃあるまい。そうだね、竹谷くんにも仕事場の人にも迷惑になるね…。小平太に「迷惑かけたら家に入れません」って伝えてくれる?』 「わ、解りました。…で、理由は?」 名前から電話越しに飛んでくる殺気に冷や汗を流しながらも、八左ヱ門は怒っている理由を聞いてみた。 すると殺気はなくなり、その代わり沈黙が流れる。 後ろでは「たけやー」とチビが自分の名前を呼んでいた。 「名前先輩?」 『嫉妬したから』 「はい?」 『昨日キャバクラ行ったんでしょ?律義に名刺貰って、感想まで教えてくれたよ。可愛かったんだってねー!ということは竹谷くんも行ったってことだよね?どう?楽しかった?』 「………す、すみません…」 『あはは、たまにはいいんじゃない?男の付き合いっていうのがあるって言うし。でもね、内緒で行くんなら最後まで内緒にしてほしかったかな?』 「あはは…、いや…ほんとそうですよね…」 『ところであの子は知ってるの?あの子がこのこと知ったらきっと竹谷家も大喧嘩だろうね』 「すみません名前先輩!このことはあいつには内緒に!」 『じゃあいらないことしないでね?』 「はい、解りました!」 『あ、買い物行く時間だから切るね。お仕事頑張って』 「っす!失礼します!」 何故、他人の夫婦喧嘩に介入しただけで、自分まで危ない目に合うのだろうか…。 冷や汗を流しながら電話をしまい、うるさい心臓を落ちつかせていると、後ろから影が差した。 嫁も強ければ旦那はもっと強い。暴君の登場である。 「名前と話しただろ」 「え?いや、……その…」 「話しました」と言えば、自分の嫁にキャバクラへ行ったことがバレてしまう。 「話していません」と言えば、暴君からリンチにあうだろう。 どっちにしろ自分の人生は終わりである。 ならば、殴られるならば嫁のほうが救いはある! 瞬時に「話す」を選択肢し、先ほどのことを事細かに小平太に話してしまった。 「きっと先輩は覚えてないでしょうが、名前先輩を怒らせるようなことを言ってしまったんだと思います!素直に謝られたらいいのでは?」 「……そうか……そうだったのか…」 真剣な顔でブツブツと呟く小平太を見て、八左ヱ門は溜息を吐いた。 これで暴君からのリンチはなくなり、仕事もスムーズに進むだろう。 それと同時に嫁になんて言い訳をするか考えるのだが、再び放つ小平太の言葉に、肩をガックリと落としたのだった。 「ようは嫉妬だな!名前が嫉妬したんだな!名前は私のことが大好きなんだな!よし、今日は可愛がるぞ!」 「やばい、確実に名前先輩怒らせたわ…」 ( TOPへ △ | ▽ ) |