後輩の記憶の段 「中在家先輩、すみません。ちょっといいですか?」 私の言葉に中在家先輩は本から目を離し、コクリと静かに頷いてくれた。 今日は図書室の当番で、中在家先輩と一緒に図書室で本の整理や、貸出の管理などをしていた。 一時間もすればそれも終わり、私は明日提出する課題をして、中在家先輩は分厚い本を読んでゆっくり流れる放課後を過ごしていた。 途中、課題の問題が解らなくて中在家先輩に質問すると、昔と変わらない声で丁寧に教えてくれ、思わず口元が緩んでしまう。 三郎たちの記憶は戻らないけど、先輩たちは私を覚えていてくれてる。それだけでも十分私は幸せ者だよね。 「ありがとうございます。よく解りました!」 「…また何かあったら聞いてくれ」 「はいっ」 中在家先輩のおかげで難しかった課題も終わり、私も読みかけの本に手を伸ばす。 記憶が戻る前は何とも思わなかった本の世界。だけど、記憶が戻ってからはどれも新鮮だ。あの時代では考えられない物語りばかりだもん! 「ところで不破」 「はい、何でしょう?」 「記憶は戻ったか…?」 「あ……いえ…」 先輩の言葉に開いていた本を閉じ、俯く。 あの日から、私は何度も記憶を思い出そうとしていた。 思い出そうとするたび、頭が割れるように痛むが、そんなの関係ない。 私が思い出さないと他の皆も思い出さない気がしたから…。 でも……私の中にいるもう一人の自分が、「思い出すな」と酷く拒絶する。 そのせいで何カ月経つ今でも思いだすことができずにいた。 「すみません…」 「いや…、大丈夫だ…」 謝るたびに先輩たちは笑って許してくれる…。 それが申し訳なくて頑張るんだけど、…どうして拒絶するんだ…! 「…中在家先輩」 「なんだ…?」 「また、昔のお話を聞かせてくれますか?」 「ああ…」 時々、こうやって先輩たちから昔の話を聞かせてもらう。 もしかしたら私も思い出すんじゃないかって…。 ………そう言えば、先輩たちは私の一人称を不思議に思ってたっけ? 物心ついたころから「私」を使っているから、私としては不思議じゃない。 そのせいで「お前女かよ」とからかわれていたが、笑って過ごしていた。 だってこれが私であり、三郎だから。 双忍としてとあるお城に就職した私たちは、二人で一人の人間を演じていた。 とは言っても、私が表で彼が裏。三郎は私の影になって動いていた。 敵だけじゃなく味方も欺き続き、いつしか私たちは本当に「二人で一人」になってしまった。 三郎の考えていることも、思っていることも、感じていることも。全てが解る。 「お前たちは本当に素晴らしい忍者だった…」 「はい…」 でもおかしいんだ。就職してからの記憶がほぼない。 ―――止めろ雷蔵! だって順風だっただろう?問題もなかっただろう?なのに何で?幸せなこと、楽しかった記憶しか私にはない。 ―――思い出すな! 私は……僕は――― 「いっ…!」 「大丈夫か?」 「ええ、…大した痛みでは…」 「―――長次、不破!ちょっと来てくれ!」 「虎徹先輩?」 「どうした?」 「兵助が倒れた!」 静かな図書室に虎徹先輩の焦り声が響いた。 図書室で勉強をしていた他の生徒たちもざわざわと騒ぎだし、僕と中在家先輩も焦りの声をもらして虎徹先輩に近寄る。 「とにかく保健室へ来い!」 「解った…」 「あ、でも委員会中で…」 「だー、真面目か!いいかテメェら、ルール破ったらこの俺が噛み殺してやるからな!ほら行くぞ!」 「う、わっ!」 まるで犬ように威嚇する虎徹先輩に、生徒たちは顔を真っ青にさせ、何度も頷いた。 中在家先輩はすでに走り出しており、僕も虎徹先輩に腕を掴まれて保健室へと走って行く。 な、何で兵助が…!?もしかして記憶が戻ったんだろうか…。 期待と不安を抱きながら保健室の戸を中在家先輩が開けると、中には善法寺先輩と勘右衛門がいた。 虎徹先輩と勘右衛門の話によると、兵助は突然倒れたらしい。 勘右衛門が兵助を担ぎ、保健室へ運ぼうとしたら虎徹先輩と遭遇し、すぐに善法寺先輩を手配してくれたとのこと。 何故、先生じゃなく善法寺先輩を呼んだのか、勘右衛門には不思議そうだった。…記憶はまだなんだね…。 「伊作…」 「善法寺先輩…」 「大丈夫、寝てるだけだよ」 善法寺先輩は兵助を見たあと、僕たちに微笑みかける。 先輩の笑顔で大したことではないと安心し、近くにあった椅子に座って兵助の顔を覗く。 少しだけ額に汗が滲んでいて、悪夢を見ているのか苦しそうだった。 「伊作、これって…」 「多分…、記憶が戻りそうになったんだと思う…」 「それを拒絶して気絶したように見えるな…」 「兵助はミステリー系が大嫌いだからなー…前世なんて信じたくねぇんだろ」 兵助のベットから離れ、三人の先輩たちは会話している。 その間僕は兵助の表情を見ていた。 「久々知、苦しそうだね…」 「勘右衛門…」 「……ごめん、不破。俺、久々知とちょっと喧嘩してたんだ…」 「え?」 「「無関心」だって…言っちゃってさ。……俺…久々知のことずっと嫌いだったんだ…!」 「ちょ、ちょっと待って勘右衛門…!君、」 思ってもなかった勘右衛門の告白に、慌てて椅子から立ち上がると、兵助が消えそうな声で僕の名前を呼んだ。 僕だけじゃなく、勘右衛門の名前も。 「い…かないで…くれ…、らいぞ…!」 「兵助?僕ならここにいるよ?」 「何で…勘右衛門まで…!嫌だ……もうっ…嫌だッ!」 どれも聞きとりづらい言葉だったけど、次第に強まり、最後にはハッキリと言った。 それと同時に目を覚まし、荒い息使いで呼吸を整えている。 「兵助!」 「久々知!」 すぐに兵助に近づくと、彼は不思議そうな顔で僕と勘右衛門を何度も交互に見る。 僕たちの声に先輩たちも戻ってきて、声をかけるが、兵助には聞こえてないようだった。 「……雷蔵…と勘右衛門…?」 「そうだよ!僕だよ!」 「雷蔵…ッ!」 兵助は僕を確認すると、泣きそうな顔で力強く抱きついてきた。 震える声で、「よかった」「死んでない」「助かった」と同じ単語を繰り返している。 そんな兵助に懐かしい感じがして、胸が苦しくなった。頭も痛い…! 『兵助、聞いて。三郎が死んだ』 『………どういう…ことだ…』 『たくさんの兵と忍びに囲まれて…。三郎は僕を逃がす為、「僕」になって…死んだ…!殺された!ぼ、僕のせいだっ…!』 『…悪い冗談だよな?……さてはお前、三郎だな?』 『冗談なんかじゃないよ!三郎が…僕のせいでッ…!………だから、ごめんね兵助』 『っ雷蔵!どこに行くつもりだ!』 『私は三郎だよ、兵助』 『俺たちがお前らを見分けられないわけないだろ!行くな雷蔵!逝かないでくれ!』 『何言ってんだ、兵助。不破雷蔵あるところ、鉢屋三郎ありだぞ。一緒にいないとおかしいだろう?』 『嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!友を失うのはもう嫌だ!』 『―――さようなら、兵助。じゃあな、兵助』 激しい頭痛に襲われる中、兵助との記憶が蘇えった。 …―――そうだ。三郎は僕になって死んで、僕は三郎になって死んだんだ。だから…「私」なんて言っていたのか…。 思い出すのを拒絶していたのは、あの時の三郎。僕たちは「二人で一人」だからね。 思い出しても辛いだけの記憶…。だから楽しいときの記憶しかなかったんだ。 どこまでも僕のことを考えてたんだな、三郎は。 そして僕もお前のことを大切にしてるから、思い出さないんだね。じゃあ三郎は簡単だ。 「へい、…すけ…。ごめんね、ごめんよ…!君を一人だけにしてしまった…」 「俺は、…自害するだけの勇気もなかった…。すまない…!」 「ううん、よかったよ…。よかったっ…!」 「ごめん」と「よかった」と何度も言って、今ここに僕たちがいることを実感した。 ( TOPへ △ | ▽ ) |