三郎VS兵助の段 三郎は、森の中を全速力で走っていた。 「(気配はない。尾行もされていない)」 小平太から奪った印を胸におさめ、落とさないよう手を添える。 不意打ちとはいえ、あの小平太から印を取ったのはなかなかなものだと、少しだけ笑みを浮かべた。 だがすぐに気持ちを切り替え、追ってくるだろう小平太に気をつけながら、ペアである文次郎との集合場所へと走り続ける。 文次郎・三郎組みの作戦は、こうだ。 開始と同時に、小平太と虎徹が別行動をとったのは気配で解った。 三郎は小平太を追いかけ、文次郎は虎徹を追いかける。 小平太からある程度の距離を保ち、気配を消して様子を窺っていた。 五年の中では三郎が一番気配を消すのがうまく、六年をも凌ぐ。 小平太は木の上でジッとしており、何をしているのか解らなかった。 待っている間、何度も集中力がかけそうになったりしたが、かけてしまうと気配がもれ、居場所がバレてしまう。 そのせいで八左ヱ門は小平太にバレてしまったのだ。 そのとき初めて、小平太が全神経を集中させ、獲物を探していたのだと気がついた。 八左ヱ門を追いかける小平太を、三郎も虎徹に変装して追いかける。 タイミングを見計らい、油断した小平太から印を奪うことができ、現在逃走中。 「―――っは…」 ここまで来れば大丈夫だろうと、大木に背中を預けて寄りかかる。 乱れた呼吸をゆっくり整え、胸にしまっている印を確認し、大きく深呼吸をひとつ。 「(集合場所まであと少し)」 追われている忍者は休憩なんてない。 せっかく整った呼吸を再び乱そうと、足に力を入れた。 「ッ誰だ!」 ガサッと草木を割りながら近づいてくる気配がした。 クナイを片手に身構え、思わず声を出してしまった三郎。 いつもなら声を出すことなく、己から身を引いて逃げるのに、今日は警戒してしまった。 しまった。と表情を歪めたが、声に出してしまったのならもはや戦うしかない。 もし小平太だったら自分のごと盗られてしまうだろう。 「三郎か?」 「……兵助?」 藪から姿を現わしたのは兵助だった。 仲のいい同級生の登場に、三郎はあからさまに身体から力を抜いて、再び大木に背中を預けた。 疲れた顔の三郎を見た兵助は「どうした?」と優しく声をかけ、三郎に近づく。 「七松先輩かと思って驚いただけだ」 「え、七松先輩近くにいるのか?」 「いや、多分いない」 「じゃあ何故?」 「七松先輩から印を奪ったから、私を探してるんだ」 「七松先輩から奪ったのか!?」 「兵助、声が大きい」 「あ、すっすまん!」 慌てて口を抑え、警戒するよう周囲を見渡す二人。 「七松先輩から奪ったって本当か?」 「嘘をついてどうする。本当だ」 「ちょっと見せてくれ」 兵助の言葉に三郎は少し警戒した。 もし印を出した瞬間、誰かに奪われたら? 兵助が奪うというのも考えたが、今までの経験や、性格を考え、それはないだろうと油断してしまった。 一歩身を引き、懐から小平太の印を取りだし見せると、兵助は驚いて目を見開く。 「す、凄いな三郎は…。素直に尊敬するよ…」 「いや、奪うのは簡単だったが、逃げるのが辛い…」 「あー…先輩速いからなぁ…」 「兵助はどうしたんだ?立花先輩は?」 「それが…、立花先輩とははぐれてしまったのだ…」 「それは残念だな」 印を懐にしまいながら苦笑すると、近くの草むらが音をたてて動いた。 兵助と出会い、気を緩ませていたから誰かの接近に近づかなかった。 兵助から視線を外し、草むらに身体を向けてクナイを構えるも、草むらからは誰も出て来ない。 よく見ると細い糸が伸びており、今のが囮だということに気がついた。 「ごめん、三郎」 再び兵助に視線を向けると、兵助は表情を暗くさせ、三郎から距離を取って離れていた。 兵助の手には七松と書かれた印が握られている。 「恨みがあるわけではないが、実習だから本気でいかせてもらった」 「…まさか、兵助がやるとはな」 「俺もこうやって雷蔵に盗られたんだ」 「雷蔵が?」 「ああ」 苦笑して、自分の印がないと言うように懐を見せた。 苦労して盗ったものをあっという間に、しかも同級生に奪われた三郎は、笑うことしかできなかった。 警戒しすぎていたのが敗因だろうか。 「よくやった、久々知。できれば鉢屋の印も盗っていればよかったのだがな」 「俺にはこれが限界でした。三郎、すっごい警戒してるし」 「警戒しすぎだったな。音に敏感すぎだ」 「先ほどのは立花先輩でしたか。気配を消すのが本当に上手ですね」 「まぁな。では行くぞ」 「はい。三郎ごめん」 「いいさ、油断した私が悪い。しかし、次はないぞ」 「ああ、楽しみに待ってる」 仙蔵とともに森の奥へ消えていく兵助を見て、三郎は大木にすがってズリズリと腰を落とした。 雷蔵も兵助もこの実習で何かを学習している。 自分たちの欠点である甘さを克服し、忍びとして必要な割り切る気持ちを持ちつつある。 それに比べて自分はどうだろうか。 小平太から奪い、余裕がないのに兵助とその場に留まって会話をした。 兵助だから大丈夫だろうと油断し、結果奪われた。奪われて当然だ。 兵助でなく、六年生相手だったらきっと会話をすることなく逃げていたと思う。 精神的疲労がなければもっと的確な判断と行動がとれたはず。 「(うるさい、それは言い訳だ)」 首を振って自分の甘さを捨て去る。 忍者になるには、友を見捨てるだけの冷徹さが必要だ。 解っているが、それができないのが五年生。 いや、今は自分と八左ヱ門と勘右衛門だけだろう。もしかしたら二人も割り切れるようになっているかもしれない。 「(………潮江先輩の元へ戻ろう)」 整理できない気持ちのままだが、ここにいつまでも留まっていたら小平太がやってくる。 再び周囲を警戒し、文次郎との集合場所へと走り出した。 「すみません」 文次郎との集合場所に辿り着いた三郎は、開口一番に謝罪した。 いきなりの謝罪に文次郎は眉をひそめたが、雰囲気でなんとなくを察する。 「俺はお前を高く評価しすぎたみたいだな」 怒られるとは思っていたが、あからさまに呆れられると心が痛んだ。 頭を下げたままグッと目を瞑り、「すみません」ともう一度謝罪すると、頭を強く殴られた。 あまりの痛みに叩かれた場所をおさえ、その場にしゃがみこむ。 「謝ったら返ってくるのか?」 「いいえ…」 「小平太から印を奪って慢心していたのか?集中力がかけてしまったのか?同級生だから油断していたのか?どちらにせよ貴様の不注意だ、このバカタレが!」 「……仰る通りです…」 その場でガミガミと厳しく叱る文次郎。三郎は俯きながらも全て大人しく聞いていた。 しかしおかしなことに不快感はない。 「(ああ、そうか…)」 文次郎は三郎のダメなところだけを叱っていた。 教師に叱られるときは、「真面目にやればちゃんとできるんだから」と流されることが多い。 同級生だった奴からは、「あの天才が失敗だってよ」と言って、自分たちとは違う人間だと差別され、笑われていた。 どれも不快だった。だから説教や陰口は大嫌いだ。 「貴様が久々知に警戒し、印を見せることなくここに帰ってくれば奪われずにすんだのだ!」 「はい」 真っ直ぐと、自分の目を見て叱ってくれるのはきっと六年生だけだろう。 特に文次郎は厳しいことで有名だが、逆を言えば後輩たちを思ってこそ。 だから説教の最後には必ず、 「ったく、次は騙されるな。全員を疑え」 「解りました」 「……しかし、小平太から印を奪えた件に関しては、よくやったと褒めてやる」 「…くっ」 「おい、何故そこで笑う」 「いえ、優しい潮江先輩が見れるとは思っていなかったので」 「ほう…、まだ説教が足りんようだな…」 「そんな、十分です。ありがとうございます」 「ふん」 よかったところを不器用に褒めてくれるのだ。 「次はどうしますか?」 「鉢屋、お前は小平太から逃げろ。あいつが終わりまでお前を追い続ければ他の奴らの印を奪われずにすむ」 「そんな無茶な…」 「無茶をやってこその忍びだ。それか、小平太を連れたまま誰かと遭遇すれば、三すくみができるだろう」 「できればそちらのほうが助かります。私一人では荷が重いです」 「では小平太は鉢屋に任せた」 「解りました、精々死なないよう気をつけます。で、潮江先輩のほうは?私と離れたあと、何をされていたのですか?」 「俺がジッとするわけねぇだろ。ちゃんと手は打ってある」 子供が悪戯を仕掛けるような笑みを三郎が浮かべると、文次郎も口端をあげて笑う。 「お前が小平太の注意を引いてくれるなら、俺はあいつらを狙う。簡単な罠も大量に仕掛けてきたから、あとは誘導するだけだ」 「潮江先輩も罠作りが得意なんですね」 「仙蔵や留三郎ほどじゃねぇよ。本当に簡単で大した威力はねぇが、足を止めて一瞬の隙を作るには十分な罠だ」 「ではお任せします」 「ああ、お前も頑張れよ。強くなりてぇんだろ」 「はい、七松先輩の相手をすればきっと強くなれます」 「だろうな。では、次に会うのは朝にしよう」 「解りました」 口布をして、静かに頷いて足音を立てずに二人は消えた。 ( TOPへ △ | ▽ ) |