可愛いんです!の段 「ねえ、皆。なんか六年長屋のほうが騒がしくない?」 一番後ろを歩いていた雷蔵の言葉に、三郎、八左ヱ門、兵助、勘右衛門が振りかえり、耳を澄ました。 五年長屋の自分たちの部屋に戻っている最中のことである。 五年長屋は六年長屋の一つ廊下を曲がったところにあるため、大きな音をたてれば五年長屋のほうにも自然と届く。 「鈍い音がするな…。どうせ七松先輩と国泰寺先輩がやりあってるんだろ」 興味無さそうに三郎が言うも、雷蔵と八左ヱ門が六年長屋へと向かう。 そのあとから勘右衛門が「楽しそー」と二人についていき、残った兵助と三郎は呆れながらも追いかけた。 廊下の角を曲がるとそこはもう六年長屋。 廊下には文次郎、仙蔵、小平太、留三郎、伊作が座っており、中庭で暴れている仲間を見ていた。 「中在家先輩と、」 「虎徹先輩?」 中庭では珍しい二人が組手をしていた。 長次の組み手相手は大体、小平太か文次郎。 虎徹の組み手相手は大体、小平太か留三郎。 仲がいいものの、あまり接点がない同士が組み手をしていた。 二人を見て、同じ委員会所属の雷蔵と八左ヱ門が首を傾げると、気配に気づいた仙蔵が五年生を手招きして、今の状況を説明してくれた。 説明と言っても、見ての通り武器なしの殴り合い。どっちかが「まいった」と言うまで先ほどからずっと戦っているらしい。 「これって組み手…ではありませんよね?」 八左ヱ門たちも六年生の横に座って、長次と虎徹を見ていた。 二人の顔はとても真剣かつ、不機嫌そう。 一発一発にはそれなりの殺気がこめられており、これが「組み手」だなんて思えない。 二人はお互い本気で殴り合っている。 「まぁ…双方譲れない理由があってな」 「くだらねぇ理由だが」 「あーあ、私も暴れたいなぁ…。乱入していいか?」 「止めとけ、小平太。長次も虎徹も真剣なんだからよ」 「二人ともー、治療できる範囲で殴り合ってねー」 長次と虎徹はとても真剣なのだが、廊下に座っている六年はのほほんとしたムードだった。 二つの温度差に五年生は疑問を抱いたが、特に口を出すことなく、再び長次と虎徹に目をやった。 虎徹が長次を殴って、長次が虎徹を蹴り返す。 二人とも口や鼻血が出ているにも関わらず、止めようとはしない。 「な、なんかヤバくないか?」 「うん…、あんな中在家先輩、初めて見たよ…」 雷蔵と八左ヱ門は焦り出す。 組み手なら別に焦ったりしないのだが、これはもはやただの喧嘩だ。 二人は正面衝突して、お互いの手をギリギリと握りしめ、頭突きを食らわせる。 額は真っ赤に染まりビリビリと痛んだが、二人は離れようとはせず、額を合わせたまま押しあった。 目は今にも殺しそうな勢いで相手を睨んでおり、 「いい加減負けを認めろ、長次!」 「虎徹が認めろ」 「いいや、認めねぇ!」 「「うちの五年のほうが可愛い!」」 と叫んだ。 険悪な雰囲気を止めようと、雷蔵と八左ヱ門が立ちあがった瞬間のことだった。 二人は動きを止め、「え?」と三郎たちを振りかえると、三郎たちもポカンとした表情を浮かべている。 六年生は先ほどと変わらない様子で見守っている。 「八左ヱ門のほうが可愛いに決まってるだろ!それにむちゃくちゃ男前じゃねぇか!」 「雷蔵だって男前だ。あと下級生たちの良き先輩として指導もしている」 「八左ヱ門もだし!俺が委員会出なくても下級生まとめてんだぜ?俺がいなくても全然余裕で委員会こなしちゃうんだぜ!?」 「それはお前がだらしないからだろう。竹谷が可哀想だと思わないのか」 「俺は八左ヱ門を信頼してるんですぅ!長次は雷蔵が優柔不断で頼りないから任せられないだけなんだろ?もっと雷蔵を信じてやれよ!」 「私はいつでも不破を信じている。だが、まだまだ教えたいことがあるから出ているだけだ。もう一年もないからな」 「それは盲点だった!俺も今日から真面目に委員会に出る!でも可愛いし頼りになる五年生は八左ヱ門!」 「いいや、不破だ」 「まだ足りねェのか!まだ殴られてぇのか!」 「言っておくが私のほうが虎徹より多く殴っている」 「テメェ!」 そう言って手を離し、お互いの顔に一発拳を食らわせた。 ふらつく二人だが、すぐに立て直し、再び戦闘開始。 「な、くだらない理由だろう?」 「不破、竹谷。悪いが二人を止めてくれるか。埒があかねぇ…」 仙蔵と文次郎の言葉に意識を取り戻した五年生は脱力の溜息を吐いた。 しかし雷蔵と八左ヱ門は二人に駆け寄って行く。 「虎徹先輩、ちょっと落ちついて下さい」 「中在家先輩も!血がたくさん出てるから先に手当てしましょうよ」 声をかけながら近づくと、すぐに二人が寄ってきて、それぞれ後輩の名前を呼んだ。 このときの長次は珍しく声が大きく、廊下に座っている六年と五年のところにまで届いた。 「八左ヱ門、俺はお前が一番可愛いと思うぞ!いっつも頼りにしてるし!」 「不破、お前が一番頼りになる。優柔不断だが、それがお前の可愛いところでもある」 「虎徹先輩、あの…」 「中在家先輩、それは嬉しいんですけど…」 「なのに長次ったら解っちゃいねぇんだ。いや、鉢屋も勘ちゃんも兵助も代理として頑張ってんのは知ってるよ。知ってるけど俺はお前が可愛いんだよ!」 「は、はぁ…」 「下級生の面倒見もよくて、頼りにされているのは見れば解る。いつだって委員長を譲れる準備はできている」 「えええ…」 「あの、とりあえず善法寺先輩に手当てしてもらいませんか?話しはそれからで…」 「そうそう。あまり心配かけさせないで下さい」 苦笑を浮かべる後輩を二人を見て、先輩二人はムッとしながらも口を閉じた。 まだ言い足らなさそうな顔でお互いを睨みつけ、素直に伊作の元へと向かった。 「あー…二人とも本気で殴り合ったでしょ。歯は折れてないけど、口の中切れてるよ」 「長次のアホが解らんからな」 「虎徹のバカが解らんからな」 「はいはい、治療中にまでケンカしない。はい、鼻かんでしっかり血出しておいてね。それと竹谷くん、不破くん」 「はい」 「はいっ」 「ダメな先輩を説教してやってくれる?」 治療を終えた伊作が救急箱を閉じ、心配そうに見守っている雷蔵と八左ヱ門に微笑む。 近くに座っていた留三郎も呆れながら何度か頷き、争いがなくなって暇になった小平太、文次郎、仙蔵はそれぞれ散って行く。 「じゃあ僕たちも部屋に戻るから」 「お前ら、後輩に心配かけたんだからしっかり謝れよ」 伊作と留三郎も部屋へ戻り、残ったのは虎徹と長次と五年生のみ。 雷蔵と八左ヱ門以外の五年生は座っている場所から四人の様子を見ていた。 伊作に「説教してくれ」と言われたものの、何をどう言っていいか解らない後輩二人。 だけど二人はこれだけはどうしても言いたかった。 「虎徹先輩が俺を頼りにしてくれるのはとても嬉しいです」 「僕も中在家先輩がそう思ってくれるのは凄く嬉しいです」 「だけど血が出るまで殴り合うのは止めて下さい!凄く心配しました!」 「そうですよ!僕たちだけならともかく、下級生たちが見たら泣いちゃうかもしれないんですよ?」 「そ、それは………ごめん…」 「…すまない」 「それじゃなくとも六年生はよくケガをしてるのですから」 「僕たちを理由にケガをされたら迷惑です」 きっぱりはっきりいい放った後輩に頭があがらない先輩二人。 「仰る通りです」と言うように正座をして俯いている。 異様な光景に三郎と勘右衛門は笑い、兵助は苦笑い。 「あと思ったのですが、俺が可愛いってなんすか。可愛いって言われても全然嬉しくないです」 「だ、だって犬みたいで可愛いだもん!」 「俺を犬として見ないで下さい!失礼です!」 「僕も可愛いなんて言われて心外です。優柔不断を克服したいのに…」 「……悩んで、解決したときの笑顔が…」 「止めて下さい」 「……」 火がついた後輩たちの説教は二人の足が痺れるまで続くのだった。 ( TOPへ △ | ▽ ) |