過去の雨の段 今日の天候は雨。 朝から振り続けているのに、夕方になっても止まない雨に、生物委員のメンバーは廊下に座って空を眺めていた。 こう雨が続いては菜園にも手がつけられないし、散歩にも行けない。 動物たちのストレスも溜まる一方だが、雨は生命にとって欠かせないもの。 雨が降ると喜ぶ動物だっている。 「雨早く止まないかなー…」 「ねー…」 解っているのだが、元気っ子は組の虎若、三治郎は重たい溜息を吐いた。 二人の間に座っている虎徹は笑って、二人の頭を撫でてやると、少しだけ笑顔が浮かんだ。 「俺は雨は好きだな」 「え、何でですか?だって外で遊べませんよ?」 「うん、それでも好きだ」 どんより曇っている空を仰いで、口角をあげる。 その言葉の意味は理解できても、理由が理解できない二人。 「虎徹先輩、お茶持ってきましたぁ…」 「あと竹谷先輩からお団子ももらいました」 「竹谷先輩はちょっと職員室に行ってから来るそうです」 「おー、孫次郎、一平ちゃん、孫兵、ありがとう。あと俺の隠しおやつも用意してあるから食べようぜ」 温かいお茶を運んできた孫次郎と、お団子を持ってきた一平を褒め、湯呑みを配る孫兵に「ありがとな」とお礼を言う。 こう雨が降っては満足な活動ができない。じゃあ休憩だ!と虎徹が言うと、一年生は賛成したが、孫兵と八左ヱ門は渋った。 だけど委員長の言うことは絶対。 八左ヱ門も孫兵が一年二人を連れてお茶とお団子を取りに行き、その間に虎徹は一年生のために用意していたお菓子を大量に取りだした。 学級委員長委員会にも負けないほどのお菓子の量に、一年生は目をキラキラさせ喜んでいる。 「ねえ、先輩。どうして雨が好きなんですか?」 「おや、三治郎。俺の過去が気になるのかい?」 「虎徹先輩の過去が関係あるんですか?俺も気になる!」 「なになに?なんの話?」 「ぼ、僕も気になる…」 一年生の食い付きはよく、甘えてくる四人に虎徹の鼻の下は伸びてしまう。 「情けない顔だな」なんて思う孫兵だったが、自分のことを滅多に喋らない虎徹の過去はちょっとだけ気になっていた。 「話してもいいけど、暗いしドロドロしてるし、面白い話じゃないよ?」 「忍者の話ですか?」 「うん、そうそう。それでもいいなら話すけど?」 『聞きたいです!』 「じゃあ話してあげるー!」 四人が声を揃えて言うと、虎徹は本当に情けない顔をして喜んだ。 ゴホン…。と咳払いをし、一口お茶を含む。 「これは俺が四年のときの話な。本来なら五年生で人を殺すための実習に入るんだが、俺と小平太だけは四年のときに殺ったんだ」 いきなり切り出した内容は、覚悟はしていたものの、やはり重たかった。 忍者なのだから、いつかは人を殺さないといけない。解っていたけど、少しばかり身体に緊張が走った。 「つーか昔から小平太だけ別格でさ。あいつだけ四年のときに実習にでかけて、それに俺もついて行ったんだよ。小平太の面倒を見るためもあるけどな」 この忍術学園の生徒なら誰しも知っている。学園で一番強いのは七松小平太。 驚異的な身体能力は昔からで、ムラがあるものの戦忍びとしての才能を四年のときにはすでに開花させていた。 「小平太は人を殺しても平気だった。いや、かもしれない。そんな変わらない小平太を見て、俺は覚悟も決めず人を殺して、泣いたよ」 「泣いた…?」 「うん、怖くて泣いた。人を初めて殺したその晩は疲れ果てるまで泣き続けて、起きたときにはポッカリ心に穴が開いた」 「七松先輩も?」 「見たことないなー…。長次には見せてたかもしれないけど。まあそれでさ、その日から悪夢を見るんだよ」 殺したときの感触が手に残っていて、気持ち悪い。 手だけじゃなく、身体が血で汚れているようで気持ち悪い。 「助けて」という敵の声が耳に残って離れない。 「もー、地獄も地獄。飯食ってるときも血の匂いがして吐き出すし、ともかくあの頃はヤバかったね」 『……』 「あ、これは俺の体験談ね。平気な奴は平気だし、慣れる奴はすぐに慣れるよ」 「でも怖いですぅ…」 「ごめんな、孫次郎。止めとく?」 「僕は聞きたいです!」 「俺も!」 「ぼ、僕だって…」 「きっ、聞きますぅ…!」 「って聞いておいてなんだけど。ほんと、大した話じゃないよ?」 それでも真剣な目で訴えてくる一年生に、虎徹は苦笑しながら話を続けた。 「それからさ、部屋に引きこもって、誰とも話さない日が続いた。留三郎や伊作は話しかけてこようとしたけど、俺がそれを避けた。話したい気分じゃないし、気を使わせるのもイヤだった。何より「人を殺した」って目で見られるのに耐えれなかった。忍者になるんだから気にしなくていいのに、自分から人を殺したいって言い出したのに、「差別」されるのがイヤだったんだ」 あの頃は若かった。と息をついて、お茶の飲む。 外はまだ雨が降り続いていて、止みそうにない。 「相談しようにも先輩たちと仲が悪かったからできないし、委員会にも頼れる人なんていなかった。一人でずっと悩んで、泣いて、吐いての繰り返しが続いたとき、今日みたいに雨が降った日が来た。その日もさ、朝からずっと降り続いてた。だから俺は何を思ったか寝間着のまま外に出て、ずっと雨に打たれ続けた」 「え!そ、そんな風邪引いちゃいますよ…?」 「一平ちゃん、凄いね。正解。その次の日風邪引いた」 「えーっ」 「でもそのときは雨に打たれたかったんだよ。雨が汚れを落としてくれそうで。泣いたってバレない。そのときばかりは雨に感謝したね」 だからと言って、今も人を殺すのは苦手だ。だけど容赦はしない。 慣れって怖いな。と思いながら、少し泣きそうな顔をしている一年生たちの頭を撫でてあげた。 「先輩にも、友達にも相談できない苦しい状態。自分が気持ち悪くて死にたくて仕方なかった。そこにさ、竹谷が来たんだ」 「え?竹谷先輩?」 「そうそう。四年長屋と三年長屋って近いだろ?授業が終わった竹谷が俺の近くに来て、傘差してくれたの」 目を細めて昔のことを思い出す。 人を殺したときとか、そのときの感情は明確に思いだせないけど、そのときの会話だけは鮮明に覚えていた。 『国泰寺先輩、傘どうぞ』 『何してんだよテメェ。おれから離れろよ。こんなのいらねぇし』 『でも先輩、朝からずっと打たれてますよね?』 『そんなのテメェに関係ねぇだろ。いいからあっち行けよ!』 『関係あります!おれ、国泰寺先輩と同じ委員会ですもん!』 『ハァ?それぐらいでおれに懐くな、鬱陶しい。どうせお前も先輩たちみたいにおれのことバカにしてんだろ!あいつら生物委員なのに満足に動物も操れねぇんだぞ。なのに何でおれが怒られないといけねぇんだよ、ちきしょー…!』 「え、虎徹先輩嫌われてたんですか!?」 「そーそー。小平太は先輩に可愛がられるけど、俺は逆に嫌われる性格。委員サボってばかりだったし、ガキのくせに動物の扱いが自分たちよりも上なの認めたくなかったみたい」 「えー…そんな理由で?」 「そんな理由で。まー、委員会での愚痴とかを竹谷に愚痴ったわけよ。今思うと恥ずかしい内容だよな。マジでガキだ」 『―――国泰寺先輩、おれは国泰寺先輩を一番尊敬しています!』 『……は?』 『だって犬と鷹の扱いはこの学園で一番すごいって知ってるし、委員会はサボっても、動物たちの餌やりとか散歩とか、訓練してるの見てますもん!』 『え、な、……お前…』 『だっ、だから国泰寺先輩に犬の扱い教えてもらいたかったんです…。でも最近来てくれないし……。何があったかわかりませんが、おれは国泰寺先輩の味方です!明日、待ってます!』 「もーさ、そんときは「何言ってんのこいつ」って状態だったんだけど、今思えば竹谷なりの励ましだったんだと思う。でもそれがすっげぇ嬉しくてさー!この俺に好意を向けてくれる人がいるって実感した途端、心が軽くなって、また泣いちゃった!」 「また泣いたんですか!?」 「ほんとガキだったからさ。誰も俺の気持ちなんて解ってくれない、俺は一人なんだー。って思ってたんだよ。笑っちゃうだろ!」 恥ずかしげもなく大笑いする虎徹。 ひとしきり笑って、孫次郎たちが持ってきたお団子を頬張り、そのまま喋り続けた。 「そっからだね、後輩が可愛いって思いだしたの。先輩があんなんだったからかもしれないけど、俺は後輩には優しい先輩になろうと思った。 で、竹谷の言葉にスッキリして晴れて奈落の底から脱出!単純な性格ってこういうとき便利だよねー。っていう理由で雨は好きだな。汚れも落としてくれるし、あのときの竹谷の言葉を鮮明に思い出す。初心に戻れたりもするしな!」 「七松先輩もすごいけど、虎徹先輩もすごいんですねー…」 「そんなことないよ、三治郎。獣の扱いは誰にも負けない自信はあるけど、武器を持たせたら文次郎や長次に負けるし、体術だと小平太や留三郎に負けることだってある。 頭の回転は仙蔵が一番だし、いざってときの冷静さを持っている伊作にも勝てないなー」 「でも俺、先輩の中では虎徹先輩が一番好きです!」 「僕も僕もー!」 「僕だって虎徹先輩が好きです!」 「ぼ、僕もー…」 「俺もお前らが好きだよー!孫兵だって大好きさ!」 「はあ、ありがとうございます」 「照れちゃってまぁ。んでもって……」 ギューッと一年生と孫兵を抱き締めたあと、ゆっくり立ち上がって角の廊下へと向かう。 不思議に思って全員が虎徹の後ろをついて行き、ひょっこり顔を出すと、 「竹谷も好きだぜ!」 「……虎徹先輩、いつの話してるんすか…」 「竹谷との馴れ初め」 「そんな可愛らしい声で言わないで下さい、気持ち悪い」 若干、顔が赤くなった八左ヱ門が廊下に座っていた。 顔を背ける八左ヱ門に飛びつき、首に腕を回して力をこめると、「痛い痛い」と悲鳴があがる。 「背もすっかり抜かされたし、あんまり可愛くなくなったけど…」 「虎徹先輩ッ、これ締まってますって!苦しいっす!」 「お前はいつまで経っても可愛い後輩だーっ!さあお前らも竹谷に飛びつけー!」 は組の二人を筆頭に、一年生四人が八左ヱ門に飛びつき、中庭へと転倒するまであと少し。 ( TOPへ △ | ▽ ) |