課題で遊ばれるの段 静寂な長屋の廊下を歩く。 木の板に足をつければ、絶対にギシリと鳴るはずなのに、お風呂あがりの八左ヱ門が歩いても鳴らなかった。 足音を消す。それが無意識のうちにも行われているのは、彼が五年生だから。 濡れた髪の毛のまま、部屋に戻っていくと何かの気配を感じて足を止める。 下級生は既に寝ている。四年生や五年生ならなんとなく誰かが解る。それすら解らないとなれば、それは教師か六年生の誰か。 さらに息を殺し、警戒しつつ部屋に向かっていると、自室前に誰かが立っていた。 「…虎徹先輩?あれ?なにしてんすか?」 月明かりが人物を照らす。 立っていたのは、同じく寝間着姿の虎徹だった。 相手が尊敬する先輩に気付いた八左ヱ門は、息を殺すのをやめ、とととっと近づく。 部屋に来るなんて珍しいことではないが、夜遅く来るのは珍しい。もしかして何かあったのかと思い、少しだけ緊張もした。 「八左ヱ門」 「はい」 虎徹に近づき、足を止めると、真っ直ぐと見つめられた。 月明かりのせいか、夜のせいか、もしくは忍びの性なのか解らないが、何だか怪しく見える。 無意識に腰を落として一歩後退すると、傷だらけの手がスッと伸びてきてビクリと反応する。 しかしその手からは殺意が見えない。この匂いも紛れもなく本物。 いつもはうるさい、否…明るくてムードメーカーの虎徹が、今夜は静かで落ち着いている。 「(静か。というより…これは…)」 「八左ヱ門」 色を含んでいた。 女装や色の授業もしくは実習をしたせいか。でも、彼がまとっている色は、女性と言うより「男の色香」だった。 男の自分にそんなことをしても、落ちるわけがない。それどころか恐怖してしまう。 目が怪しい。ジッと八左ヱ門を見つけ、離さないと言った強い意志が目から伝わってくる。それ以前に、虎徹の目は強い力を持っている。野生の獣が持つような強い目。 手も怪しい。伸ばしてきた手をどうするつもりだろうか。殺す、なんてことはないだろう。そういった雰囲気ではない。それが作戦かもしれないが、なんとなく勘でそんな気がした。 「あの…。虎徹先輩…?俺に何か用、でしょうか?」 「動かないでくれ」 「へ?」 伸ばした手をさらに伸ばし、八左ヱ門の鎖骨あたりでピタリと止める。 掴まれたわけではないのに緊張が走った。 「あ、あのっ…!」 「黙れ」 手だけでなく、顔も近づけ、強い口調で命令すると、八左ヱ門は硬直する。 突然の訪問。色を含む先輩。何がなんだかわからないが、先ほどから心臓はひっきりなしに動いている。 恥ずかしいからでも、怖いからでもない。いや、怖いのだが、敵と遭遇した恐怖ではない。そして戸惑い。 硬直している八左ヱ門をジッと見つめたまま、さらに顔を近づける。 男同士なのに、接吻できるぐらいまで近づき、慌てて目を瞑った。 視覚を奪っても、聴覚も優れている八左ヱ門は、虎徹の呼吸を聞いてしまい、さらに焦る。 「―――ごめん、何でねぇ。悪かったな、いきなり」 「…………へ…?」 「じゃあゆっくり休めよ。明日も委員会頑張ろうぜー」 「えっ…?あの、先輩!?」 クッと笑うと同時に八左ヱ門から離れ、六年長屋へと帰っていく虎徹。 疑問と困惑しか残らない八左ヱ門は、全身から力が抜け、その場に座り込んでしまった。 「お…俺の顔、赤くねぇよな…?何で男相手にドキドキしてんだよ…!しかも虎徹先輩にッ!だー!明日どんな顔して会えばいいんだちきしょー!」 「確かに「相手をドキドキさせろ」だったが、だからと言ってあれはいいのか?」 「なんだよ文次郎。負け惜しみかー?」 「違う!勘違いされるぞって話だ」 「勘違いしねぇだろ。数日はぎこちなくなるけど、まぁそれも楽しそうだしいいかなーって」 「竹谷可哀想に。ろくな先輩じゃないね。竹谷が心の傷を負う前に、保健委員で面倒見てあげるよ」 「うっせー!可愛い後輩やるわけねぇだろ!つか、長次と小平太と仙蔵どこ行ったんだよ。あいつらも課題まだ終わんねぇのか?」 「仙蔵と長次はもう終わって部屋だ。小平太なら一年長屋に行ったぜ。金吾がどうとかって言ってたけど…」 「…ねぇ留さん。なんで止めなかったの?それ確実に、「ぎゃああああああああ!!」 「え、なにあの悲鳴!」 「おいおい…もしかして…」 「金吾を虐めてんだよ!止めろよ留三郎!」 「俺がそんなこと知るか!」 「バカタレ!言い争ってるバヤイか!」 「ほら、金吾が死ぬ前に助けに行くよ!」 「え。相手をドキドキさせる課題?そ、そんなのがあったのか!」 「さいっあくだよ。私は立花先輩に拘束されて散々拷問させられた…」 「えー、いいじゃん!俺なんて潮江先輩にずっと追いかけまわされたんだよ?兵助は?」 「俺のところには来なかったな…。雷蔵はどうだった?」 「あはは…。中在家先輩に「好きだ」って告白された」 『はッ!?』 「いや、そのあと「本が」って言われたんだけどね。さすがにびっくりしたよー」 「だ、だろうな…。まだあんなことされるより、追いかけまわされたほうがよかったぜ…」 「はっちゃん」 「なんだよ、勘右衛門」 「男色に目覚めたら教えてね」 「目覚めねぇから!」 ( TOPへ △ | × ) |