もう一匹の獣の段 六年生に、「得意武器を使うことなく忍務を遂行せよ」という条件での実習が行われた。 その通達に何人かが言葉を失い、何人かがニヤリと笑う。 六年は組に所属する、国泰寺虎徹は前者のほうで、同じ組の留三郎、伊作とともに頭を抱えてしゃがみこんだ。 「(だから嫌だったんだよッ!)」 暗い森を駆けながら虎徹は思う。 忍び装束は破れ、破れた個所からは血が滲んでいる。 利き手で反対の肩を抑えたまま、後ろを振り返ると、暗闇の中に数名の忍者が虎徹を追いかけていた。 「(確かにこういう訓練も必要だけどよ!)」 虎徹の得意武器は、獣だ。 その獣を使うなと言われ、虎徹はどうやって忍務を遂行しようかと悩んだ。 忍務内容は、「とある屋敷に夜襲をしかけ、巻物を持って帰ること」。 いつもだったらたくさんの獣を使って夜襲し、騒ぎに乗じて巻物を奪うことができる。 だけど、その獣が使えない。己の身一つで全てを行わないといけない。おまけに作戦を立てるのが苦手。 獣がいなくても戦える虎徹だが、たくさんの武士や忍者などを相手にできるほど強くはない。なんたって相手はたくさんの経験を積んだ手練れの者だ。 忍者とは、最悪の状況に陥っても逃げ帰ること。そのための「得意武器、取り上げ命令」だ。 解ってはいるが、このままだと命が危ない。 「(つーか、どんどん増えてきてねぇか?)」 夜襲をしかけ、巻物を奪うまではなんとかできた。 しかし、最後の最後で敵に見つかってしまい、今こうやって追われている。 逃げている途中、打たれた手裏剣などで肩にケガを負ってしまい、まともに戦闘することも難しい。しかも体力も尽きはじめてきた。 体力もあり、ケガもしていなかったら楽勝で倒せるはず。何もできないまま逃げる自分に少し腹が立った。 「(あいつらがいればなー…)」 一瞬、甘えた考えをしたせいで、葉っぱに足を捕らわれ、派手に転んでしまった。 肩に鋭い痛みが走ったが、すぐに起き上がって利き手で腰に差していた短刀を取り出し、身構える。 背中は大木に預け、耳に全神経を集中させるも、追って来ていた敵は姿を見せない。 「長期戦、か…」 身構えたまま、大きく息を吸って、吐き出す。 自分の身を守るために、忍務を遂行するために、虎徹は集中モードに入る。おかげで肩の痛みも感じない。 暗闇から打ってくる苦無や手裏剣を短刀で弾きながら退路を探すも、逃げれるような隙を与えてくれない。 さて、どうしたものかと半歩足をずらすと、上から宝禄火矢が大量に落ちてきた。気配なんて感じなかった。 慌ててその場から飛び逃げると、逃げた先には既に敵忍者がおり、虎徹の脇腹に重たい蹴りを食らわせる。 虎徹の身体はいとも簡単に吹っ飛び、大木で背中を強打。 一瞬息がつまり、虎徹は地面へと倒れた。 「がはッ…!…く、…っそ…ッ!」 獣がいればこんなことにはならなかった。 指笛が使えるならこいつらなんてあっという間に倒せる。 こんなことにもならない。今すぐにでもこいつらを食い殺すことができる。 ケガなんてしてなければ、獣がいなくても倒せる。 キレた状態になればもっと楽勝だ。 「……それじゃあ…ダメだよな…」 最悪な状況を、最悪な体調で抜け出すことができたら、絶対に強くなれる。この経験がいつか役に立つ。戦場では体験できないことを今している。 口の中に溜まっていた血を吐き捨て、いつものように笑う虎徹。 だからと言って自分が強くなったわけではないし、逃げれる雰囲気でもない。 それでも最期まであがいてみせようと、野生の獣魂に火をつけた。 「―――っは…、…はぁ…!」 森の中での死闘は続いた。 あがいた成果もあって、敵をなんとか少なくすることができた。 それでも死地なのは変わらない。だからと言って、抵抗する力も体力も尽き始めていた。 呼吸を整えていると、クラリと軽い眩暈に襲われ、眉根を潜める。 刹那、銀色のものが己めがけて飛んできた。 「死ぬ」と思いはしたが、身体が反応することはできなかった。 「―――やっと見つけた!」 「……竹谷…?」 目を瞑ることなく武器の行方を見ていると、黒いものによって視界を塞がれた。 それは、キィン!と鉄で鉄を弾く音が森に響いたあと、周囲を警戒しながら少し前でしゃがみこみ、「虎徹先輩」と名前を呼んだ。 聞きなれた声と匂い。目の前には黒い忍び装束を着た一つ下の後輩、八左ヱ門がいた。 「おまっ…。な、何でここに…!」 「それはあとからです。とにかくあいつらを倒しましょう」 「そうしてぇけど……」 そこまで言って身体中にできたケガに目を向ける。 肩だけではなく、足にも手裏剣が刺さっており、血が流れていた。 八左ヱ門を見た虎徹は安堵してしまい、忘れていた痛みに襲われ、苦痛に表情を歪める。 もう逃げることも不可能。 「俺はいいからお前は逃げろ」 「いいえ、それはできません」 「何でだよ!」 「これが俺の忍務なんです」 口布をしてザッと立ち上がる。 「お借りします」と言って虎徹が持っていた短刀を自分の腰に差し、見えない敵に向かって構える。 「虎徹先輩、ご命令を下さい」 「は?…いや、お前が勝てる相手じゃねぇんだぞ!?いいから逃げろって!」 「だからです」 何で八左ヱ門がこんなにも落ちついているのか虎徹には理解できなかった。 助けに来てくれたのは嬉しいが、自分が勝てなかった相手に勝てるほど、八左ヱ門は強くないはず。 これは自惚れなんかではなく、真実だ。 それなのに八左ヱ門は余裕な雰囲気をまとっていた。 そして、背中を向けたまま言葉を続ける。 「俺は虎徹先輩のお側にずっといました。だから指笛の指示は犬と同じぐらい正確に覚えていますし、反応できます」 八左ヱ門は五年間、虎徹の背中を追い続けていた。 委員会も一緒だし、鍛錬にも付き合ってきたから、指笛の指示は理解している。反応もできる。 今の自分にはこの敵は倒せないけど、反応ができる虎徹が指示をくれるなら別だ。 なんたって今の自分には体力も反射神経も十分にある。 「ハルやナツほどではありませんが、ご期待通りに動いてみせます」 「竹谷…。お前……」 だから早く指示をくれ。と八左ヱ門は目をギラつかせた。 覚悟を見せ、既に戦う気満々な八左ヱ門を見た虎徹は目を細め、「解った」と返事をする。 利き手はかろうじて動く。指をくわえ、大きく息を吸って森に集中する。 八左ヱ門が助けに来てくれた。これほど心強いことなんてあるものか。 再び集中して、森中に虎徹の指笛を鳴り響かせた。 「(右、右、左…。次は左か…!)」 虎徹の指示は敵の位置を教えるだけの簡単なもの。 いつもだったらこんなに反応できないのに、その音のおかげで手練れの者相手でも自分の力が通用し、何人もの敵を倒していく。 たまに、「行け」や「遊べ」などといった指示もきて、その音を聞いた八左ヱ門は八重歯を見せて敵に殴りかかる。 最後の一人が木の上から落ちたあと、深呼吸をして虎徹の元へと飛び降りた。 木に寄りかかっていた虎徹は息が乱れており、しんどそうな表情をしていた。 もしかして攻撃を食らったのでは?と焦る八左ヱ門に、虎徹は「ただの酸欠…」と苦笑をもらす。 「ビックリさせないで下さいよ…」 「あんなに吹いたのは初めてだからよ。それよりありがとうな!お前のおかげで助かったわ」 「いえ。虎徹先輩の指示があったからです…。凄く心強かったっす!」 「それは俺もだよ」 お互い笑って、拳と拳をゴツンと合わせた。 ( TOPへ △ | ▽ ) |