夢/とある獣の生活 | ナノ

三年生と六年生の段


「遅くなっちまったなー…」
「虎徹先輩がいませんからね」


月が山から顔を出したころ、生物委員会所属の八左ヱ門と孫兵が肩を並べて廊下を歩いていた。
今日も委員会があったのだが、六年生であり委員長である虎徹が戦場実習でおらず、八左ヱ門を筆頭に下級生たちだけで仕事を終わらせた。
最近まで虎徹がいなかったので慣れた様子で問題なく進むことができたが、時間がかかってしまい、お風呂も一番最後になってしまった八左ヱ門と孫兵。
すっかり冷めてしまったお風呂からあがった八左ヱ門は、手のぐいを首にかけて孫兵と長屋へと戻っている途中、壁向こうに違和感を感じた。
足を止めてジッと壁向こうを見据えていると、先を進んだ孫兵が「竹谷先輩?」と不思議そうに振り返ったので、苦笑して歩きだす。


「何かありましたか?」
「いや、なんもねぇと思う。思うけど……なんか…」


よく解らないけど、気配を感じた。
その気配を探ろうと集中するのだが、煙のようにフワフワと動いて掴めない。
侵入者などといった嫌な気配ではないから大丈夫だろう。そう思って特に警戒することなくまた孫兵を話出す。


「きっと動物か何かですよ」
「虎徹先輩がいねぇからどっかの狼が寂しがってんのかもな」
「でも虎徹先輩がいないと本当にしんどいですね。前までこれが普通だったのに…」
「下級生も入って、最近頑張ってたからな。先輩方がいなくなったのも理由だろうけど」


生物委員の二人が揃えば必然的に下級生の話か、虎徹の話になり、今日は姿がない虎徹の話になった。
孫兵が「もっとしっかりしてほしい」と眉を八の字にして言うのを、八左ヱ門が笑って賛同する。
だけど二人とも「嫌い」とは言わない。だらしない先輩だと思っていても、やはり六年生。頼りになることには違いない。
特に前、虎徹と小平太に助けてもらった八左ヱ門は自慢するように虎徹のことを孫兵に話した。


「ちょっと怖いですが、僕も虎徹先輩の真面目に戦っているところ見てみたいです」
「あはは、そうだな。孫兵も見とくべきだよ。自分の勉強にもなるぞ」
「僕にはそういった戦い方は無理そうですが、竹谷先輩ならできそうですね」
「俺にも無理だよ」


あと一つ角を曲がれば長屋だ。
首に巻いていた手のぐいを手で持ち、孫兵に「おやすみ」と言おうとしたが、角の向こうから異様な殺気が漂ってきて慌てて息を潜めた。
孫兵も殺気に気づき、八左ヱ門と同じく息を潜めようとしたが、あまりの殺気に息が止まってしまった。
湯が冷めてしまっていたとは言え、お風呂に入って温まったはずなのに一気に身体が冷えてしまい、ガタガタと全身が震える。
息が止まってしまった孫兵を八左ヱ門が背中で隠し、矢羽音で「しっかりしろ」と伝えると、孫兵は不器用ながらに呼吸を始める。
見据える先からは未だ殺気が漂ってきている。この場から逃げたい八左ヱ門だが、動けない孫兵を置いてはいけない。
しかし、この殺気はどこかで感じたことがあった。
必死に脳みそを回転させ、この殺気が誰なのか探す。


「―――お、お前ら何してんだ?」


角から姿を出したのは戦場実習へ行ったはずの虎徹だった。
虎徹を見た瞬間、二人とも「敵じゃない」と安堵したのが、彼が喋るとともに殺気も飛んできて、また息をのむ。
ビリビリと殺気を直に感じ、思わず目を細める八左ヱ門と、呼吸が止まりそうになる孫兵。


「こんな夜遅くまで委員会か?出れなくて悪かったなー。明日は大丈夫だから今日の分まで頑張るよ」
「い、いえ…」
「つーか孫兵何してんだ?大丈夫か?」
「っ……!あ…ッ…」


喋りながら近づいてくる虎徹。
近づくたびに殺気が強まり、八左ヱ門も殺気に酔って気分が悪くなるが、平常心を保つ。
孫兵も耐えていたが、話しかけられると眩暈に襲われ、答えることも目を合わすこともできなくなってしまった。
怯える孫兵を見た虎徹は目を少し見開き、口元に笑みを浮かべる。
いつもと同じように笑っているが、今は意味が違う。恐怖に震える孫兵を見て興奮しているのだ。
戦場実習があったあと、虎徹は高ぶった気持ちを抑えるために静かな場所で落ちつかせ、時間を置いてから帰ってくる。
それなのに今日は違う。いや、時間を置いてから帰ってきたかもしれないが、殺気を隠しきれておらず、大事な後輩相手に興奮している。
言わなくても解る。「戦いたい」と。
孫兵を見る虎徹の目は、餌に飢えた狼にようにギラついており、今にも武器を取り出そうと指をピクピクと動かしていた。


「すみません、虎徹先輩。今日も忙しくて孫兵も俺もクッタクタなんすよー」
「……」


八左ヱ門がいつもより明るい声で虎徹に話しかけると、孫兵を見ていた虎徹はゆっくりと視線を八左ヱ門にうつす。
若干まだ口元が笑っていたが、八左ヱ門の無抵抗な声に少しだけ殺気を静めた。
虎徹に抵抗するために殺気を出せば、もっと興奮してしまう。きっとケガだけではすまない。
孫兵と一緒に怖がっても興奮させてしまう。彼は嗜虐的な性格を持っているからだ。
どうすればこの場から逃げ出せるか。いや、どうすれば虎徹をこの場から立ち去らすことができるか。(逃げだせば追いかけてくるだろう)
答えは簡単だ。彼の萎えることをすればいいだけの話。
この殺気に「気づいていない」とでも言うような声とトーンで無邪気に、そして無防備に話かける。
戦うことを知らない。とアピールすれば自分たちへの興味を失い、去って行くに違いない。
いつも以上にバカっぽく話し続ける八左ヱ門を、虎徹はジッと見据える。
その目を見るたびに身体の芯から震えあがりそうになるが、孫兵のため、自分のために耐え忍んだ。


「つーか俺宿題してねぇ!やべぇよ…、また怒らちまう…」
「……お前は…いつも怒られてるだろ」


はっ。と笑って、少しだけ身構えていたのを止めた。
八左ヱ門の話にすっかり毒気を抜かれた虎徹は一瞬だけつまらそうに目を細めたあと瞑り、二人の横を通り過ぎる。
背中に隠れていた孫兵の頭をポンと叩いたあと、音もなく廊下を歩いて行き、角を曲がって姿を消した。
少しの間、殺気が残っていたが、闇紛れるように消え、二人は息を吐き出す。ようやく、ちゃんとした呼吸ができそうだ。


「大丈夫か、孫兵」
「…すみまっ……ん…!」
「吐くか?」
「いえ…っ…。こ、れも………勉強、です…」
「無理はするな。あれは俺でもきつい…」


虎徹が去ったあと、力が抜けて廊下に座りこむ孫兵の背中を八左ヱ門が優しく擦ってあげる。
脂汗を流しながらゆっくりと呼吸を正し、バクバクとうるさい心臓を落ちつかせる孫兵。
六年生だから強いことは知っていた。だけど、自分とのあまりの力量差にただただ恐怖するだけ。そこに悔しさなどない。圧倒的すぎる。
それと同時に、自分も六年生になったら強くなれるんだろうか。と不安になった。


「ま、えも…あのような感じで…?」
「いや…。前はもっと落ち着いていたよ」


優しい声で背中を擦りながら話しかけていた八左ヱ門だったが、その言葉を言ったあと、手を止めた。
視線をあげると、今まで見たことない悔しそうな顔で歯をくいしばって月を眺めていた。


「あーあ…」


徐々に落ちつきだした呼吸と気持ちで八左ヱ門を見上げて、「そうか」と心の中で呟く。
自分は三年生だ。だから虎徹に勝てないのは当たり前だし、勝とうとも思わない。経験の差があまりにも違いすぎる。
しかし、五年生の八左ヱ門は違う。一年しか違わない経験の差をまた突きつけられたのだ。
まるで、「お前が頑張ろうが、俺には勝てない」とでも言われたように、八左ヱ門は悔しがっている。
八左ヱ門自身も虎徹に勝とうと思ってない。八左ヱ門の中で虎徹は絶対的な強さを誇っているし、勝てるわけがないと思っている。
だけど、心のどこかで「いつか勝てるんじゃないか」と思っている自分がいた。
だから悔しそうな顔を浮かべ、拳を握りしめている。
矛盾する八左ヱ門の心。それを目の当たりにした孫兵。
二人の間には長いような沈黙が走ったが、八左ヱ門が気持ちを切り替えて孫兵の手を掴み、立たせる。


「いいか、虎徹先輩は殺気にあてられやすい。んで、好戦的だ」
「……はい」
「だからああなった先輩に出会わないようにしろ」
「難しい、ですね…」
「まぁな。大丈夫だと思うけど、今日のことはしっかり覚えとけよ」
「解りました」


最後に孫兵の頭をグシャグシャと撫で、八左ヱ門が先に長屋へと帰って行った。
虎徹にポンと叩かれ、八左ヱ門にグシャグシャと撫でられた箇所に自分の手を乗せ、目を閉じる。


「いつか二人の先輩の背中を守れるようになりたい…」


自分もあの二人のように強くなりたいと、孫兵は静かに決意するのだった。







TOPへ |

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -