侵食する 「酷いと思いません!?ちょっと肩がぶつかっただけで、何でそこまで言われないといけないのよ!」 「お、落ち着けって…。ほら、ドーナッツこぼしてるから…」 八左ヱ門の目の前に座るのは昔、近所に住んでいた幼馴染の名前。 妹みたいな存在で、昔から八左ヱ門が大学に行くまで、ずっと一緒だった身近な存在。 名前も八左ヱ門に懐いていたし、八左ヱ門も名前を可愛がっていた。 八左ヱ門が一人暮らしを始めて、会う回数は減ったが、こうやって時間が合えば外で会うようにしている。 というのも、名前が愚痴りたいため。八左ヱ門も面倒見がいいので名前の愚痴に付き合っている。 ドーナッツの食べかすがついた名前の口に手を伸ばして拭いてあげても、名前は恥ずかしがることなく興奮気味に愚痴を吐き出し続けている。 最初は苦笑気味だった八左ヱ門だが、名前の愚痴を聞いていくと、次第に険しくなっていった。 「席が隣なだけなのに……」 吐き出すだけ吐き出したあと、食べかけのドーナッツを持ったまま、しょぼんと肩を落とす。 名前のクラスで席替えが行われたらしい。それはいいのだが、名前の隣に学校で少し格好いいと有名な男の子と隣同士になったという。 相手の男の子は気さくで、名前にも話しかけてきて、名前も楽しく会話している。 それが気に食わない、女の子たちがいる。その子たちから地味な嫌がらせを受けたと最初は怒っていたのに、吐き出せば吐き出すだけ気分が落ち込んでしまった。 落ち込む名前を見て、八左ヱ門まで落ち込んでしまった。 可愛い妹をどうにか元気にしてあげたい。笑っててほしい。守ってあげたい。 「名前、俺にできることは少ないかもしれねぇが、俺は名前の味方だからな」 「……ありがとう、竹谷お兄ちゃん…」 「その呼び方懐かしいな。そうそう、妹は兄を頼ればいいんだ!」 「じゃあお兄ちゃん、ここ奢ってくれる?」 「いつも奢ってやってんだろ」 「えへへー!」 ようやく見せてくれた笑顔に、八左ヱ門もホッと胸をなでおろした。 そのあとは名前の学校生活を聞いたり、八左ヱ門自身のことを話したり…。 どうでもいいことで笑って、怒って、拗ねて…。 夜遅くなる前にお店を出て、名前を家まで送ってあげた。 「とは言ったものの…。あいつ大丈夫かな…。名前ああ見えてメンタル弱ぇからなぁもう…」 名前を送った帰り道、八左ヱ門は一人で悶々と色んなことを考えていた。いや、悩んでいた。 いくら名前が高校生とは言え、八左ヱ門の中では幼いまま。 守ってあげたい。と思って、自分にできることを考えた。 「できるだけメールや電話をしてやるかー!少しでも会ってやれば安心するだろ!そうだ、学校に行って俺が彼氏だって言えば………あ、いや。それは名前が迷惑だろうし、嫌がるだろ…。それに、彼氏がいるのに…とかって言われたら……。しょうがねぇ、メールと電話だけであいつをフォローしてやろう!」 我ながらいい考えだ!と夜道をニヤニヤしながら帰宅した。 それから、八左ヱ門はできる限りメールをしてあげた。 名前は「いいよ、過保護だなぁ」と言っていたけど、嬉しそうな声色だったから大丈夫。嫌がってない。 たまに返信が遅いと心配になったけど、絶対に返信をくれた。 名前のあんな顔は見たくない。泣いてほしくない。泣くなら自分の前だけにして、甘えてほしい。 「名前まだかー?」 今日は時間ができたから母校でもあり、名前が通う高校にやってきた。 一応メールもしているから、「なんで来たの?」と怒られることはない。 校門でそわそわしながら待っていると、制服姿の名前を見つけ、手を大きく振る。まるで、ご主人様を見つけた犬のようだった。 だけど、名前の顔を見て手を振るのを止めた。名前の様子がおかしい。 「………どうした…?何かあったか?」 「ふふー!あのね、告白されちゃった!で、付き合うことになりましたー!」 見たことのない名前の表情。こんな顔、知らない。 困惑してうまく喋れなかったが、名前の発言に言葉を完全に失う。 名前が何かを喋っていたけど、耳に入ってこない。その変わり、自分の呼吸音や心臓音しか聞こえない。 「隣の席の子じゃないよ。その子の友達で、隣のクラスの子なんだけど………あの、竹谷先輩聞いてます?」 「…え?あ…悪い。ちょっと……ビックリしてた」 「何でですかー!」 「だって……お前に…彼氏なんてできるわけ…ないと思ってたから…」 「できるもん!ということで、お祝いに何か奢ってくださーい!」 「…おう」 頷いたものの、やっぱり素直に喜べなかった。 歩く力も入らず、若干ふらつきながら名前といつも通うお店へ向かう。名前は浮かれているのか八左ヱ門の様子に気づいていない。 名前の彼氏になった男が気になる。 どんな男だろうか。そいつは名前を幸せにしてあげることができるんだろうか。泣かせることはないだろうか。名前が実は料理が苦手ということをバカにしないだろうか。しっかり見えて、実はかなりの甘えん坊だということを知っているんだろうか。これは知られたくない。 気になって、気になって……。 名前とは会話しているものの、脳みそに入らないし、何を言っているか自分でも解らない。 ともかく男が気になる。早くどんな奴か知りたい。名前に相応しくない男だったら絶対に別れさせてやる。 それだけはしっかり胸に刻んで、今日も名前を送ってあげた。 「んだよこいつ…。名前に絶対ぇ釣り合わねぇって!」 名前が告白されてから、すぐに相手の男を調べた。 自分の友人関係の広さがこんなところで役に立つとは…。 ともかく、男が名前に手を出す前に調べて、こっそり別れさそうとした。 「女に手をあげるとか…、浮気当たり前とか…。名前を泣かせる奴は俺が許さねぇ!名前は鈍感だから…俺が守ってあげないと…。俺がしてやんねぇと…」 それからは早かった。 後輩に頼んで名前の彼氏と会うことができた。 高校時代、先輩たちのせいもあって、それなりに有名だった八左ヱ門。勿論、喧嘩の意味で。 彼氏はすんなりと「別れます」と言ってくれて助かった。暴力は振るいたくない。 しかし、弱すぎる。睨めば震えて、提案したら二つ返事で「別れます」。 もし自分が悪い人間だったら、名前は酷いことになっていただろう。戦わず大事な彼女を差し出すなんて男の風上にもおけない。 「別れさせてよかったな…。名前には悪いけど……」 名前を守るためだ。 割り切ることにして、携帯を開くと案の定「振られた!」というメールが受信していた。 そのメールにフッと口元を緩ませたあと、「飯奢ってやると」と返信を送ると、一分も待たないうちに「行く」と届いて、また笑った。 名前はまだ幼い。純粋だから穢れてほしくもない。ずっとそのままでいてほしいと思うのは、なんだか娘を持つ父親の心情だ。 しかも名前は人懐っこいから、色んな人間が彼女に近づく。それも気になる。 名前を守るために、名前をずっと見ていたい。守っていたい。メールと電話だと情報が足りない。 後輩からも情報を得ているけど、足りない。もっと欲しい。ちゃんと守りたい。 「…よく見ると名前って可愛いよなぁ…」 名前のことばかり考える毎日。 携帯のフォルダに保存している名前の写真をぼんやりと部屋で見つめながらボソリと呟く。 フォルダーには笑顔だけじゃなく、自分とのツーショットも入っていたが、たまに横顔や後姿、視線がこっちを向いてないのもあった。 古いものは笑顔が多いものばかりなのに、最近のはほとんど隠し撮り。 「昔のままだし…。あ、でも可愛さは増した!やっべー…今度現像しよー」 写真を見ながらだらしのない笑顔をこぼし、携帯を握りしめて自分の気持ちを自覚した。 名前が好きだ。でもそれ以上に守りたいという気持ちが強い。好きだから恋人になりたいけど、それより早く保護をしたい。 携帯から目を離し、自身の部屋を眺める。 「………ここで飼ったら…ちょっと狭いかな…」 自分の目の届く範囲にいたら安心だ。ここなら安全。自分も名前を守っているし、名前に汚いものを見せなくてすむ。 何より、自分だけを見てもらえる。それが凄く嬉しくてたまらない。 「あー…名前に会いてー…」 そう思うと気持ちはもう走っていた。 新規メールを作り、名前にメールを送る。内容は、「明日会えないか」。 返信を待っている間、貧乏揺すりが止まらなかった。早く欲しい。早く返信がほしい。早く。 「何で返信遅いんだよっ…!この時間なら家だろ…。風呂はもう少し遅いし…!早く返信くれよ!」 次第にイライラしてきて、眉間にしわを増やしていった。 今度は電話をかけ、出るのを待つが、やはり出ない。 さらに苛立ちが増して、名前の自宅に直接行ってやろうと思った瞬間、ようやく聞きたかった名前の声が聞けた。 『竹谷お兄ちゃ「何で出なかったんだよ!」 名前の声を聞いてほっとしたが、感情が先走ってしまい、怒鳴ってしまった。 電話越しの名前は理解できていないようで、八左ヱ門の質問に答えられなかった。 「―――っあ…、悪い!ごめんな、大きな声出して!えっと……いつもは早いのに今日は遅いから心配になって…」 『え?あぁ、お風呂入ってたの。竹谷おに…先輩は心配性だなぁ。私もう高校生だよ?』 「風呂?でもお前、風呂はいっつも遅いじゃん。何で今日に限って早いんだ?」 『……何で知ってるの?わ、私言ったっけ…。恥ずかしー…』 「ははっ!お前のことなら何でも知ってるって!で、何で今日に限って早く入ったんだ?」 『…うん?んー……特に理由はないけど…』 「そっか。あ、話変わるけど、明日会えない?」 『明日?明日は友達と遊びに行くから会えないですー…。ごめんなさい、先輩』 「友達って誰?どいつ?男?それとも女?もしかして、元彼?そんなことねぇよな、あれから目を見ることもなくなったんだし、向こうもお前を見ようとしないもんな」 『……えっと…。あはは…先輩、なんだか本当に過保護ですね。私はもう大丈夫だよ?確かに愚痴ばっかり言ってるけど…そんなに弱くないです』 「お前は弱いだろ?だから俺が守ってやんねぇと…。それより明日遊びに行く友達って誰?俺の知ってる奴か?」 『竹谷先輩の知らない子だよ…。女の子。あの、ちょっとお母さんに呼ばれてるから…。ごめんなさい、おやすみなさい』 「名前!」 ブツッと一方的に切られ、コール音が耳に響く。 折角名前と電話できたのに…。いや、それより明日名前が遊ぶ相手が気になる。 女の子って言っていたけど、あの言い方だと信じられない。自分に隠れて誰か他の男と付き合ってる?いや、そんなはずはない。名前の行動はできる限り監視している。 「誰だよ…。誰だよそいつ…!俺の知らねぇ女の子はいねぇよ、全部知ってる。名前の交友関係は全部把握してるから知ってる。全部、全部全部全部知ってるッ!あ、もしかしてあいつか?名前に好意持ってるあの男!名前が優しいから甘えてずっと一緒にいやがって…!名前は鈍感だから気づいてないし、ヘタレだからって安心していたのに!何で名前なんだよ!名前に手を出すなよ!名前を汚すな!名前は俺のだぞ!ふざけんなクソ!」 ブツブツと最初は小さな声を呟いていたのに、次第に声が大きくなっていく。 握りしめていた携帯をもう一度開き、名前に電話をかける。 だけどやっぱり出ない。ちらりと時計を見ると、まだ名前が寝る時間ではない。 「―――名前!?」 → → → → ( TOPへ △ | ▽ ) |