恋愛事情 「よし、潮江先輩が地下から出た。行くぞ」 『了解』 拷問部屋がある地下の扉から文次郎が出て、井戸へと向かうのを草場の影から見張っていた。 名前をおぶり直し、素早く、バレないように地下へと走る八左ヱ門。 裸足のおかげもあり、足音立てることなく一番下へと辿り着いた二人は、拷問部屋の独特の雰囲気と空気に口を閉ざす。 何度もここへ来たことはあるが慣れない。 「七松先輩」 しかし、早くしなければ文次郎が帰って来てしまう。そうなれば名前も自分も罰則だ。 何も感じないフリをして、牢屋の中で正座したまま俯いてる小平太に声をかけるも、彼は動かなかった。 もしかして死んでるのでは?と血の気が引く。それもそうだ。身体中、何かで叩かれた跡が無数あり、床や壁に血が飛んでいるのだから。 「帰れ」 また口を閉ざし、名前を担いだまま突っ立っていると、俯いたままの小平太が口を開いて、二人を拒絶した。 耳の悪い名前にも聞こえ、「あ…」と声をもらしたが、すぐに喉が痛み、咳き込む。 八左ヱ門がおろして、背中を擦ってあげると、徐々に落ち着きを取り戻す。 文次郎と長次に殴られ、叩かれ、蹴られても、表情一つ変えなかった小平太だが、名前の咳を聞いた途端、眉間にシワを寄せて歯を食いしばる。それは泣きそうな表情だった。 「すみません。名字がどうしても七「帰れと言ってるだろう。規則違反だ」 拷問を受けながらも、小平太は反省していた。 大したことない理由で子供みたいに嫉妬して、怒って、殴った。しかも、本気で。 名前が自分に勝てないからと言って、一方的に相手を痛めつけるのは、自分でも許されないことだ。 『ごめんなさい』 「帰れ。(違う、そんなこと言いたいんじゃない)」 『ごめんなさい』 「早くしろ!(声が聞きたい。顔が見たい。すまなかったと詫びたい)」 「―――ご、……ん……っさい…!」 「竹谷ッ!」 「…名字、行くぞ。じき潮江先輩も戻る」 絞り出した謝罪の声は、とてもじゃないが聞けなかった。 痛みを耐え、咳を堪え、無理やり出す声は酷く荒れて、名前の声とは思えない。 一度も顔をあげることなく二人を追い出し、少しだけ地下に沈黙が走って、フッと口元を緩めた。 「すまんな文次郎。あれの罰は私が受ける」 二人と入れ替えで降りて来たのは、今晩の担当である文次郎。 八左ヱ門と名前が隠れてたなんて最初から気づいていた。 腕を組んでいた片方の手で後頭部をかいて床に座り、 「鼠だろ」 「…」 「鼠だ」 コツンと壁に頭を軽くぶつけて呟いた。 「それに、今のお前にはあっちのほうがききそうだったからな」 「……意地の悪い」 「いくら殴ったり蹴ったりしてもきかねぇお前が悪い」 地下室から長屋へ戻って来た二人は言葉を交すことなく、布団の上に寝転んでいた。 八左ヱ門は名前になんて声をかけたらいいか解らないし、名前は声が出せないので喋れない。 沈黙が続いたが、八左ヱ門が起き上がり名前の布団へと近づく。 全く聞こえないわけではないので、名前が首をそちらに向けると、八左ヱ門は近くに座った。 「七松先輩は今、罰則中だからああ言ったんだ。大丈夫。罰が終わったらいつもの七松先輩に戻るよ」 『感謝』 「…お前は悪くねぇよ。今回はちょっと言葉が足りなかっただけだ」 『感謝』 「…―――泣くなよ?」 『寝る』 ありがとう。としか言わない名前。 目は包帯が巻かれているので、涙を流しているか解らなかったが、何年も同室で、一緒にいれば解る。 バカでアホで自分と同じく猪突猛進。だけど素直で繊細でお人よしの親友。 早く完治してほしいと思うし、元気に笑ってほしいと思う八左ヱ門は、名前に布団をかけ、頭をぽんぽんと撫でてあげてから、自分も布団に潜り込む。 「(明日か明後日には七松先輩に会える。名前が会う前に俺が先に会って……)」 尊敬する先輩と、親友の間を取り持とうと考えるが、きっと余計なお世話だと三郎や兵助に言われてしまう。 仙蔵や伊作にも「本人たちの問題だから手を出すな」と言われそうだ。 名前に聞こえないよう重たい息を吐いて、無理やり目を瞑って眠りについた。 翌日、通常より早い時間に起きた八左ヱ門は名前のお世話をしていた。 包帯を新しいものに変え、ご飯と薬を持ってきて食べさせる。 「どうだ、目は。大丈夫か?」 『光り』 「ああ、眩しいだろうよ。でも見えるほうがいいだろ?」 『いらない。痛い』 「徐々に慣らしていけってよ」 『痛い』 「あー…。じゃあもう一日しとくか?」 目の包帯を取ると、名前はすぐに眉をしかめた。 久しぶりに浴びる朝日に目の奥がズキズキと痛むらしく、手で影を作って首を横に振る。 本人が辛いというなら、八左ヱ門はそれに従う。 包帯を巻き直して、後ろでしっかりと結ぶと矢羽音で『痛い』と怒られた。 丁寧にしているつもりが、雑だったらしい。 「喉はまだ無理か?」 「………あ……っ…!」 「辛いなら無理に出すなって善法寺先輩が言ってただろ」 「い、や……。これぐらいなら…」 「無理はすんなっつーの」 「矢羽音、面倒…。うまく、伝わ、らない…し」 「俺らの暗号、簡単すぎるからな」 薬やご飯を片付け、笑いながら会話していると、名前の表情に笑顔が浮かんできた。 腫れも引いてきているし、夜も静かに寝るようになった。 自分もそれなりに治癒力は高いほうだが、他人の回復力を見ると感心してしまう。 もしかしたら無理をしているかもしれないが、これぐらいなら大丈夫だろうと立ち上がった。 「今日も暇だけど寝とけよ。俺はもう行くぞ」 「う、ん。竹谷、の、分…もっ、………っ寝てやる…」 「この野郎…!昼飯覚えてろよな!」 パンッ!とわざとらしく音を立てて戸を閉め、見送った名前の表情はすぐに暗くなった。 静かすぎる部屋。考えたくないことばかり考えてしまい、憂鬱になる。 小平太に拒絶されたのが思った以上に精神的に辛い。 謝れば許してくれるかも。と思っていたが、甘かった。 布団に寝転び、悶々とこれからどうすればいいか悩み、時々昨晩のことを思い出しては後悔に打ちひしがれる。 だが、考えることも悩むことも苦手な名前は、現実を逃避するように、眠りに落ちるのだった。 「―――」 授業が始まり、賑やかだった学園が静まる時間帯。 寝息を立てる名前に一つの影が差した。戸を開けたのは、規則を破り、罰則を受けた小平太。 制服を着ていたが、身体にはいくつか傷があり、顔も腫れていた。 それでも、名前に比べればマシなほうで、名前を見た小平太は表情を歪める。 一歩中に入って戸を閉めると、名前が「ん…」と微かに動く。 寝て、回復するのが名前の今の仕事。だから睡眠時は警戒を解くようにしているのが、無意識のうちに反応してしまう。 横向きに動くと咳込み、元の体勢に戻る。身体の中が痛むんだろうと、小平太は一歩ずつ近づいて、隣に腰を下ろす。 「名字…」 朝なので、名前の様子がよく見える。 委員会や鍛錬でボロボロになることはあるが……。 と、小平太も自分がしたことを悔いていた。 やったものは仕方ないと、割り切っていたが、やはり本人を目の前にすると、なんて声をかけていいか解らない。 だからと言って、タカ丸とのことを許したわけではない。反省しているのは、殴ったことのみ。 「お前が……名前が斎藤と一緒にいるのが気に食わんのだ…。何故わからん…」 ちゃんと伝えた。ハッキリ、ド直球に伝えた。なのに伝わらなかった。 無意識に殴った右頬に手を伸ばしていると、名前が起きたのが気配で解って、手を止める。 まだ、なんて声をかけるか決めていない。 「竹谷…?も、…ご飯、か?」 「……」 「あのさ、ちょっと、聞いてよ…」 起きることも、動くこともせず、名前はガラガラ声で喋り出した。 竹谷じゃないと伝えるべきか悩んだが、黙る選択肢を選んで、手を膝の上に戻す。 「私、もう、ダメかも、しれない…。絶対に七松先輩に、嫌われてしまった…。何であんな、こと、を言ったのか解らない。い、わなければよかったって、ず、と後悔してる。どうやったら七松先輩は許してくれるだろうかっ……。もう…っ嫌われたから遅いかな、無理かな…。こんなことに、なる、ならっ…もっとちゃんと好きだって言えば、よかった…!でもこうやって女々しく泣いてる自分が嫌いだ…。七松先輩はこんな女が嫌いだから余計嫌われてしまう…っ。やだ、もう嫌われたくない、泣きたくない、一緒にいたいっ!ごめんなさい、七松先輩…ッ」 喉が痛むのに必死に喋る名前。感情が高ぶって、包帯を涙で濡らしながらも不安を全て伝える。 八左ヱ門だと思っている小平太本人に。 「……」 いつだって名前は自分を慕ってくれてた。いくら我儘を言ったり、振り回したり、理不尽なことを言っても、名前は笑って(たまに泣いたり)許してくれるし、付き合ってくれる。 本気で泣いてる姿なんて見たことなかった。泣く女じゃないと思っていたし、そう鍛えてきたから。 「そうやって名前ちゃんは「そう」だと押し付けないで!」 タカ丸に言われた言葉を思い出し、口を開けたまま言葉を引っ込める。 「(………ああ、そっか…)」 解っていたけど、名前がただの女の子なのだと初めて気づいた。 いつの間にか自分が本当の名前を抑えつけていたのだ。 そして、自分の好みに必死に近づこうと頑張っている名前に気づいて、心が軽くなった。 タカ丸と一緒にいたり、他の人間に頼ったりするのはやっぱりイライラするけど、名前の心はいつだって自分の横にいると思うと、フッと消えてなくなる。 「名前」 「ごめん、たけ、や…。泣くなんてみっともなー…」 「まだ耳は聞こえんのか?」 「まだちょっと…。なんか声、かわ……た?」 「私の声も解らんか?」 「…………な、な…?」 「おう!」 八左ヱ門だと思っていた人間が、まさか小平太だとは思わず、名前は驚きのあまり硬直した。 が、小平太が声をかけて肩を触ると、「ごめんなさい!」と大声で謝罪してしまい、喉を痛めて咳き込む。 「なにしてるんだお前は」 「すみまっ……っごほ!うえ…」 「まぁいい。そのままで聞け」 「あ、はい…。(つか今さっきの聞かれ…!?)」 「私な、名前が好きだぞ。ちゃんと愛してる。きっと、お前が私に飽きない限り、私はお前を手放さんと思う」 目が見えないのに、自分も顔に傷を作っているのに、小平太は笑って名前の頭を撫でる。 いつもは雑で力加減なんてしないのに、今日はとても優しい。 「強いし、素直だし、努力するし」 「あ、あの…?」 「何より、女子だ」 「……私は、…女、ですよ…?」 「おお。だが、今日解った!」 「(今まで何だと思ってたんだ!?)」 男みたいな奴かと思ったら、今まで出会ったきた女の子より、女の子らしくてもっと好きになった。 そう伝えた小平太は満足そうに笑って、名前の頭を撫で続けた。 名前はハテナマークを浮かべ、困惑しつつも素直に撫でられ続けている。 「とりあえず治せ。それからだ!」 「何がそれからか解りませんが、はぁ…頑張ります…。それより七松先輩は大丈夫ですか?」 「私は平気だ!拷問実習ではいつだって満点だぞ!」 「それは……(凄い…)」 「お前はそうやっていつも私の心配をしてくれるんだな!」 「は?え、……ええっと…」 「名前が私のことを好いてるのが今回でよく解った!」 「ハッ!?ちょ、なんすかそれ!あんまりそう言うことは声に出さないで下さいよ…っ」 起き上がろうとするのを小平太が止め、ニコニコと笑ったまま名前を褒め続け、名前は言葉にならない悲鳴をあげる。 その部屋の外では、六年生が五年長屋から離れて行き、五年生は笑いながら教室へと戻って行くのだった。 ( TOPへ △ | ▽ ) |