夢/とある女房の至福 | ナノ

弱点の段


「団蔵、腰が入ってないぞ!」
「くっそぉ…!」
「まだまだだな!おりゃ!」
「うわああああ!」
「左吉、今度はお前だ。全力でこい!」
「はいッ!」


山場を乗り越えた会計委員会は久しぶりの休息を送っていた。
上級生は今日の帳簿をつけ、下級生たちは算盤の練習に励んでいる。
それも終わると文次郎が団蔵の背中に周り、手を支えて文字の練習を手伝い、武蔵が左吉の勉強に付き合ってあげた。
予算会議前になると忙しいが、それ以外はゆっくりとした時間が流れる。
だが、ほのぼのとした時間を過ごすのが性に合わない文次郎は、下級生たちを連れ部屋の前にある中庭へと降りる。
団蔵や左吉、左門と力相撲をしたり、組手に付き合ったり。ともかく身体を動かす。
委員会とは関係ないことまで行うのだが、ギンギンに忍者している文次郎なら仕方ない。
武蔵と三木ヱ門は湯呑みを持ったまま、文次郎に立ち向かっていく下級生たちを温かい目で見守っていた。


「わぁ!」
「団蔵も左吉もまだまだだな。潮江先輩、今度は僕が相手です!」
「左門か。前より強くなったんだろうな?」


もはや、父親が腕白な子供たちと遊んでいる状態だ。
それでも文次郎は楽しそうに笑っており、投げられた団蔵や左吉もすぐに復活して「頑張れ神埼先輩!」と仲良く応援していた。
左門は文次郎に正面からぶつかり、力強く押すと文次郎の足がズズズと少しだけ下がる。
日頃迷子で爆走しているから脚力には自信があった。
「今日こそ勝てる!」と左門が笑うのだが、文次郎が腹筋に力を込めるとピタリと動きが止まる。


「ふぬぬ…!」
「ハハハ!俺に勝とうなんてまだ早いわ!」


左門の腰を掴んで、ベリッと引き離してからケガをしないように優しく投げ捨てる。
転げた左門に団蔵と左吉が寄り添い、二人が文次郎を睨む。


「鍛錬が足らんぞ鍛錬が!」
「くっそー…!今度は三人一緒にお願いします!」
「よかろう、来い!」
「足引っ張るなよ団蔵!」
「左吉こそ!」
「行くぞお前ら!」


三人揃って文次郎に突進すると、文次郎は楽しそうに笑みを浮かべた。


「元気ですね…」
「三木ヱ門も参加したらどうだい?」
「僕は結構です。サチコとお茶を飲んでるほうが楽しいですし」


その光景をずっと見ていた三木ヱ門は呆れた顔でボソリと呟く。
隣で正座してお茶を飲んでいる武蔵が微笑み、参加するよう言うのだが、三木ヱ門は渋い顔しかしなかった。
武蔵とは反対の隣に置かれている三木ヱ門の愛する火器、サチコを優しく撫でる。


「こうして見ると潮江先輩ってお父さんみたいですね」
「それは頼りになるという意味として取っていいかい?」
「そうですね。厳しい父親と、優しい母親って感じがします」
「…その母親というのは、私のこと?」
「失言でしたら謝ります」
「いや、構わないよ。では三木ヱ門は面倒見のいい長男だな」
「僕なんて…」


謙遜する三木ヱ門だったが、先輩から褒められるのは素直に嬉しく、顔が緩んでいた。
二人の目の前では文次郎が三人まとめて抱きあげ、近くにあった池へと投げ捨てていた。
「あーあ」と武蔵が呆れ、湯呑みを置いて部屋へと戻る。
三木ヱ門は文次郎たちに近づき、池に落ちた下級生を救出した。
投げ捨てた文次郎は勝ち誇ったように笑い、「俺の勝ちだな!」と大人気なく三人を見下ろし、縁側に戻って腰を落とした。


「潮江先輩、お疲れ様です。ですが下級生を池に投げないで下さい」
「バカタレ、今は鍛錬中だぞ。それに俺もよく投げられていた」
「あなたと一緒にしないで下さい。お茶です」
「ああ、すまんな」


下級生相手とは言え、三人も相手にすれば文次郎だって汗をかく。
手ぬぐいを渡しながら小言を言うが、他人にも自分にも厳しい文次郎は反省することはない。
寧ろまだ足りないようで、昔先輩にやられたことを喋り出す。
武蔵は「そうですか」と相槌を打ちながら隣に座り、再び湯呑みを持った。
ずぶ濡れた三人にも手ぬぐいを渡し、温かいお茶を淹れてあげる。
三木ヱ門は文句を言いながらも下級生たちの世話をし、濡れた制服を脱がして縁側廊下に置いて干す。
今日はいつもに比べて温かいからすぐに乾くだろう。
上半身裸になった下級生三人は、どうしたら文次郎に勝てるのか内緒の会議を始めた。内緒と言っても目の前で話しているから内容は筒抜けだ。
三木ヱ門もそれに加わり、上級生ならではの知恵を貸してあげる。


「今年の一年生もたくましいですね」
「そうじゃねぇと会計委員は務まらんからな。武蔵、俺は少し帳簿を見てるから任せた」
「解りました」


肩に手ぬぐいをかけ、部屋に戻って少しでも予算を削れるところがないか帳簿と睨めっこを始めた文次郎。
武蔵も手伝おうと思ったが、四人の微笑ましい光景を見ていると「もう少し…」と思い、なかなか腰があがらなかった。


「武蔵先輩、潮江先輩の弱点とか知ってますか!?」


下級生で一番元気いっぱいで、積極的に動き回る団蔵が武蔵に駆け寄り、ズイッと身体を乗り出して聞いてきた。


「団蔵、勝ちたいとは言え、弱点を聞くなんて卑怯ではないか?」
「え…?で、でも忍者はどんな手を使ってでも勝たないと…」


正確には、「どんな手を使ってでも情報を聞きだし、そして届けないといけない」。日頃文次郎が下級生たちに言っている言葉だ。
武蔵の言葉に戸惑っている団蔵だったが、武蔵が頭を撫でてあげると「へ?」と気の抜ける声をもらした。


「そうだね、そのとおりだよ。ごめんごめん、ちょっとからかっただけなんだ」
「よ、よかったぁ…!で、武蔵先輩!潮江先輩の弱点は!?」
「残念だけど私は知らないよ。力になれなくて申し訳ない」
「そっかー…」


文次郎は最上級生だ。絶対に弱点なんて見せることはない。しかも五年生相手に見せるなんてありえない。
しょんぼりして会議の輪に戻っていく団蔵を見送ると、後ろから気配を感じた。
振り返ることなく、「何の御用でしょうか?」と聞くと、帳簿を渡された。


「もっと削れるところあるか?」
「そうですね、少し目を通してみます」


来年は武蔵が会計委員長になるだろう。
その為に文次郎は大事な仕事を武蔵にやらせることがある。
自分でギリギリまで削った帳簿を武蔵に渡し、後ろに座ってふっと息をつく。
徹夜には慣れているが、こういったのんびりした時間を送っていると、その疲れがどっと出てしまう。
今ここで寝てしまえば下級生たちにみっともない姿を見せてしまうが、瞼が次第に重くなってきた。
手首で目を擦るも、眠気が飛ぶことなく、とうとう意識を手放してしまった。


「もっと頑張れば―――本当にお疲れ様です」


自分なりに考え、削れる部分を提案した矢先、背中に温かいものを感じた。
軽くではあるが、文次郎が腕を組んだまま武蔵の背中に寄りかかって寝ている。
寝息と体温だけでどんな様子になっているか解った武蔵は嬉しそうに笑って、帳簿を閉じた。


「武蔵先輩も会議に参加してくださーい!」
「助言を頂けないでしょうか」
「猪突猛進ではダメだと田村先輩に言われてしまいました!」


会議中の三人が大声を出し武蔵に話しかけ、呆れ顔をした三木ヱ門も武蔵を見るも、すぐに笑って三人を無理やり立たせた。


「おいお前ら、これから鍛錬に出かけるぞ。食堂まで匍匐前進だ!」
「えー、田村先輩いきなり何言ってるんですか?」
「うるさい。いいから僕の言うこと聞け!」


三木ヱ門は、三人の首根っこを掴んでその場から離れていく。
残ったのは縁側に座っている武蔵と、武蔵に寄りかかって寝ている文次郎のみ。


「委員会の子たちの前だと無意識に無防備になるのが弱点だなんて言いませんよ」


だからご安心下さい。と呟く武蔵だったが、文次郎の耳には届くことはなかった。



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