夢/とある女房の至福 | ナノ

夫婦喧嘩の段


その日の会計委員会の部屋は、珍しく重たい雰囲気に包まれていた。
下級生である団蔵、左吉、左門もその異様な雰囲気を肌で感じとり、余計なことを喋らないよう大人しく算盤を弾いている。
四年生の三木ヱ門は怯える下級生たちに優しく声をかけたり、重たい雰囲気を作り出している上級生、文次郎と武蔵に声をかけ続ける。
三木ヱ門の言葉にはちゃんと返答する二人。会計委員のメンバーに怒っているのではないと解ったのだが、殺気がピリピリと伝わってくる。
何故、二人は怒っているのだろうか。
文次郎も、武蔵も。この部屋に入る前から怒っていた。
きっと授業中に何かあったんだと予想して、三木ヱ門はお茶を淹れるために腰を浮かせた。
いつもだったら武蔵が用意するのだが、彼は今周りに気を使うことができない状態だ。


「三木ヱ門ッ!委員会中にどこへ行く!」


すると文次郎が殺気とともに睨んできて、三木ヱ門の身体がビクリと飛び跳ねた。
一年生二人はあまりに恐怖に涙目になりながら耐え忍ぶ。


「お、お茶を淹れてこようと…」
「お茶なら武蔵に淹れさせればいいだろう!」
「武蔵先輩は今集中されているようなので私が…」


そう言って目だけを武蔵に動かすと、武蔵は姿勢正しく算盤を弾き、サラサラと筆を走らせていた。
周囲に当たりたくないから仕事に集中しているのだと、三木ヱ門は思う。だからあまり話しかけたくなかった。
なのに、文次郎は「武蔵ッ!」と怒りを込めた声で名前を呼ぶ。
瞬間、武蔵の眉間にはさらにシワが寄り、「何でしょう」と冷たい声が返ってきた。しかし、目線だけは帳簿に向いたまま。
その態度が気に食わなかった文次郎はバンッ!と机を叩いて立ち上がり、武蔵に近づく。


「何だその態度は!」
「なんのお話でしょうか」


今にも掴みかかりそうな文次郎。武蔵は引くことなく、そして筆を止めることなく答える。
さらに重苦しい空気がのしかかり、さすがの三木ヱ門も二人から離れ、下級生たちを庇う。
既に下級生たちは筆を置いて寄り添っていた。


「茶を淹れるのはお前の役目だろうが!」
「役目?あれは私が好きでやっていただけで、役目ではありません」
「「これからも私がお茶を淹れます」と言ったのはどこのどいつだ!」
「言いましたよ。言いましたが、私は今手が離せません。気づいたものがすればいいと思います。私しかお茶を淹れてはいけないという規則があるわけでもあるまい」
「俺が言いたいのは、後輩に気を使わせるな!ということだ」
「気を使わせる?今の状況のほうが彼らに気を使わせていると思いますが?それでなくとも潮江先輩は勘違いされやすい方なのですから」
「ッ!」


絶対に自分を見ようとせず、淡々と喋る武蔵の胸倉を掴み、無理やり立たせる。
筆が畳の上に落ちて黒く汚す。
さすがにまずい雰囲気になり、三木ヱ門が二人の間に入ろうとするも遅く、文次郎が武蔵の顔を思いっきり殴った。
壁に吹っ飛ばされる武蔵に、泣き出しそうになる一年二人。
三木ヱ門が文次郎に近づき、「潮江先輩、落ちついて下さい!」と声をかけ、左門が吹っ飛ばされた武蔵に近づいて「大丈夫ですか?」と手を差しのばす。


「どけ三木ヱ門!」
「どきません!」
「武蔵先輩っ…」
「すまない、左門。大丈夫だから、離れて。これぐらいで怒ってしまうなんて…」
「何だとッ!?」
「私は、そんな方を目標としてきたわけではありません」


興奮している文次郎と、静かに殺気を放つ武蔵。
今にも二人が武器を取り出し、殺し合いを始めようとする空気に、団蔵と左吉の緊張の糸が切れた。


「うわあああああ!」
「っひ…!…ッ…く…!」


団蔵は盛大に泣きだし、左吉は声を押し殺しながら涙をこぼした。
武蔵の先ほどの言葉に、「そんなに気に食わんなら出て行け!」と言おうとしたが、泣きだした二人を見てグッと言葉を喉の奥に引っ込めた。
三木ヱ門を押しのけ、ドシドシと怒りがこもった足取りで文次郎が部屋から出て行く。
ここで武蔵が出て行ってしまったら、さらに二人は泣きだすだろう。怒って、手を出したのは自分なのだから。
二人の泣き声にいつもの冷静さを取り戻した文次郎はそのまま井戸へと向かって行った。


「……すまない、皆…」


残った武蔵も先ほどの怒りは消え失せ、泣いている二人の隣に座って優しく抱き締める。
二人とも武蔵に抱きつき、小さな手でギュッと武蔵の背中を握りしめる。
三木ヱ門が武蔵の治療をしようと救急箱を持って来たのだが、武蔵は顔を横に振って断った。


「もう泣かないでくれ、団蔵、左吉」
「だ、ッ、だって…武蔵先輩がっ…!」
「もう大丈夫だよ。仲直りするから…。左吉も、ね?」
「ほんとう、ですか…?」


涙で汚れた二人の顔を持っていた手のぐいで綺麗にしたあと、いつものように優しい笑みを浮かべると二人ともようやく泣きやんでくれた。


「左門も三木ヱ門も本当にすまない」
「いえ僕は…」
「私も…。あの、潮江先輩に…」
「ああ、解ってるよ。さすがに言いすぎた…。ちゃんと謝ってくる。あれはどう見て私が悪いからな」


あとは任せた。というように二人の頭をポンッと叩いて、武蔵も部屋をあとにして井戸へと向かった。
なんとなく、文次郎が井戸に向かったと思った。
井戸に向かいながら殴られた場所に手を添えるも、痛みはすでに消えかかっていた。いくら怒っていても、手加減してくれたのだと解り、武蔵は申し訳なさそうに目を瞑る。


「―――潮江先輩…」


案の定、文次郎は井戸にいた。
上半身を脱ぎ、井戸から汲んだ水を頭からかぶっている途中で、桶を置いたあと「何だ」と素っ気なく答える。
ある程度まで近づき、武蔵は静かに頭を下げた。


「忍びでありながら、感情を抑えることができず、先輩に当たってしまいました。大変申し訳ありません」


武蔵は忍びであると同時に武士でもある。
両方とも冷静さが必要で、自分の感情をコントロールしなくてはならないはずなのに、できなかった。
自分の悪かった場所、心にもないことを言って傷つけてしまったこと、下級生に気を使わせてしまったこと…。
全てを述べたあと、また謝罪すると、文次郎は大きく溜息を吐いてこちらを振り返った。


「それを言うなら俺もだろうが…」


照れ臭そうに首に手をまわし、ポリポリとかきながら小さな声で謝る。
そこでようやく頭をあげ、武蔵は笑って首を振った。


「いえ、未熟な私が悪かったのです」
「んなことねぇよ。大体、先輩というものは後輩を注意し、導いてやるもんなのに、感情任せに怒っちまった…。本当にすまん」
「潮江先輩…。……私はもう大丈夫です。なので、今度は下級生に謝ろうと思います」
「だな。しゃあねぇ、今日の委員会はこれぐらいにしとくか」
「はいっ。私はお茶を淹れてきますね」
「なら前に買ってきた饅頭を出すか」


脱いだ服を肩にかけ、廊下へとあがる文次郎。
武蔵も続いてあがり、文次郎とは反対の方向へと歩き出す。


「武蔵」
「はい、何でしょうか」
「とびっきりうまい茶を頼む」


ちゃんと淹れろよ?
そう言うように笑って、武蔵も自信満々に笑顔で「はい!」と答えた。





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