「………」
あの後、おれは逃げるようにシゲルの家を後にした。あれは、誰がどう見たって、浮気だ。女。おれの、知らない女。シゲルの隣で然も当然のように笑うその女が、憎たらしくて仕方無い。そこは、おれの場所なのに!
「………」
なんで、なんでシゲル。約束したじゃんか。おれだけを見てくれるんじゃ、なかったのかよ!?
「………」
真坂、まだ女がいるんじゃ。
疑いだしたら止まらなかった。だけど、二股だとか三股だとか、そんなことはこの際どうでもいい。あいつは浮気している。それは、事実なのだから。
「………」
浮気は、良くないよ、シゲル。約束したのに。やくそく、したのに、どうしておれだけを見てくれないの。酷い、酷い、酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷い酷いひどいひどいひどいひどいひどひどいヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイヒドイ
「ひどいよ、しげる」
ぷつん、通信遮断を知らせる無機質な機械音が、仄暗い室内に響き渡る。
何時もならば寂しげに感じるそれが全く気にならないのは、きっと明後日と云う『特別』が在るからなんだろう。ついつい緩んでしまう頬もそのままに、おれは握っていた携帯電話を写真立てが飾ってある棚の脇に置いて、机に向かった。
勉強と云うものが大の苦手である俺にとって、机と云うものの存在意義が甚だ疑問だったのだが、それも要らぬ心配だったようだ、と今になって思う。
始めこそ、絶対使うことなんてないのに、そう思っていた。実際、俺は外で遊び回ってばかりで、自室と云うものを全く使用しなかった。例え使ったとしても、精々、着替えと就寝くらい。
そんなおれが今では毎日のように存在意義を見出せなかったものに向かっているのだから、成長とは恐ろしいものだ。
ひとり小さく苦笑を漏らしながら、引き出しから愛用のペン(ピカチュウが付いている黄色いシャーペンで、ずっと使っているお気に入りのやつ)と、ノートを取り出す。本当はきちんとしたやつの方がいいんだろうけど、如何せん買うのが恥ずかしいし、もうずっとこれを使っているから今更変えるのも何だか勿体無い。そんなわけで今日もまた、この面白みの欠片もないノートにペンを走らせるのだった。
それがおれの、いつもの日課。
毎日まいにち欠かさずにやっている、日課。
嗚呼、待ち遠しくて堪らない。焦がれて焦がれて、ちっとも眠れないくらい。
大丈夫、浮気してたって、おれはシゲルが大好きだから。愛してるから。
その、ちょっと気取った声も、細いのに逞しい体躯も、骨ばった男らしい指も、柔らかな紅茶色の綺麗な髪も、勿論、幼さの残るあどけない寝顔も。心だってそう。全部、ぜんぶ愛してる。おれは、シゲルの全てを愛してるんだ、本当だよ。シゲルはおれのものだし、おれはシゲルのものだから。
だから、ねぇ、シゲル。
「まってて、ね」
くすり、漏れた嗤い声は何処か歪んでいて、不気味に室内に響き渡った。