ざわつく教室にいても、彼の存在だけは確かに認知している。それはいつものこと。
朝から甘い匂いの漂うクラスがより一層それを強くしたのは、昼休みに現れた黄色い彼のせいだろう。少し離れた場所でうんざり顔をしている青峰君には気づく事もなく、黄瀬君は無駄に爽やかな笑顔を此方に向けた。
「ね、黒子っち!こっちの食べてみる?」
「結構です」
「いっぱいあるんで遠慮しなくて良いんスよ?」
「……」
彼に悪気がない事は重々理解しているつもりだけどたまにイラっとするのは最早条件反射的なものかもしれないと最近になって思うようになった。
半ば無意識に彼の手元にある小さな紙袋を取ろうとしたら、素早く避けられてしまう。
「これはダメ!黒子っちがくれたんじゃないスか!!」
「すみません。黄瀬君には無用かと思って」
「視覚で満足するまで味わってから後で大事に食べるんス!」
「……黄瀬君、ちょっと気持ち悪いです」
「ええええ?!何でっスか!」
嘆く彼を横目にため息をつく。
赤司君の「テツヤ、勿論僕達にチョコをくれるんだろう?」という圧力発言により何故かキセキの皆にチョコを持ってくることになった今年のバレンタイン。もう黄瀬君をはじめ、赤司君達には渡している。
でも、唯一。
青峰君だけにはまだ渡せていなかった。
理由は至極単純。彼は以前、「甘すぎるもんはあんまり好きじゃねーわ」と言っていたから。
事実今日もクラスまでわざわざ渡しに来ている女の子達からもまだ一度も受け取っている様子はない。同じ教室内にいるにも関わらず、タイミングが掴めないままもう昼休みだなんて。
チラリと窓側の席に視線を送る。
「……っ」
深い青の両眼が僅かにこっちを見ていたような気がして、咄嗟に黄瀬君へと視線を逃がした。目を反らす理由なんて何も無い筈なのに。可笑しな話だ。
「ね、これ中は何なんスか?」
「え?ああ……チョコです」
「いや、それは分かってるけど」
「開けてみたら分かりますよ」
「う、家に帰ってからとかの方がよくない…?」
何というか、本当に、黄瀬君はたまにやたら女子力高いのはどうにかならないんでしょうか。
ボクの醸し出す空気に気づいたのかさっきまで可愛く小首を傾げていた黄瀬君は何かを決意したように紙袋の封を解き始めた。
「黒子っちがそこまで言うなら…!いま、ここで、食べるっス!!」
「いえボクは何も言ってません」
「……ッお邪魔します!!!!!」
「……真顔で何言ってるんですかキミ…」
開封作業に謎の掛け声を出す彼に白い目を向けるけど気づく様子もなく。昨日、母親の監修のもと何とか作り上げ(母選抜の)箱に納められた小振りのトリュフが顔を覗かせる。
自分で言うのもあれなんですが、なかなかの出来だと思います。少なくとも中学男子が作ったにしては。
複雑な思いで眺めていたら喜色満面な黄瀬君がそのチョコをひとつ摘まんだ。
「わ!トリュフ!何かフツーに美味しそうっスね」
「相変わらず失礼極まりないですね、キミ」
「ええ?!誉めてるつもりだったんだけど!」
「じゃあいただきますっ」と黄瀬君の薄い唇がちょうど開いた時。
不意にボクらの上に影が落ちた。
と思った次の瞬間には、黄瀬君の手からトリュフは消えていた。
「…!」
「あああああ青峰っちぃぃぃぃぃぃ!!?」
「……あん?」
「ちょっ、それっ、オレのっスよぉぉぉぉ!!!」
「あーわり、もう食べたわ」
振り向いた先で青峰君が悪戯っ子のように目を細めるから。ボクはまた、視線を落とす。
「ていうか青峰っち、甘いもの苦手じゃなかったんスか!」
「あー…まぁ、つかこれ、うまいな」
「……っ」
ふわりと空気が揺れて、青峰君が笑ったのが分かる。
嬉しい。
無意識のうちに、そう思っている自分がいた。
そっと鞄に触れる。
「青峰く……」
「青峰っち!ヒドイっスよ!!それは黒子っちがオレの為に用意してくれた世界にひとつだけのチョコだったのに!!」
「あ?テツが作ったのこれ?」
「あ、そうです、けど」
「じゃ、オレが食べて正解じゃねーか」
「「は?」」
意図せず、黄瀬君と声が重なった。
顔を上げれば、まるで太陽のような眩しい笑顔。
「だって今日は、好きな奴からチョコをもらう日なんだろ?」
ああ、
鞄の中のチョコは。
どうやらムダにならずに済みそうです。
(テツがいつまでたっても渡しに来ないからオレから来たとは言わない)
(黄瀬君以外のキセキの皆にも渡したことは、黙っておこう)