そして、わたしたちはおなじ轍をあるく

曙と共に終わって始まる


 全て解決した。脅迫状の『シスイの秘密』は出鱈目であったし、差し出し人も判明したし、その差し出し人はウォロが撃退してくれた。ルカリオという恐ろしいほど強いポケモンと、それを従えていたいつもと違う非情な雰囲気のウォロに怖れは残るが、今はいつもの穏やかなウォロに戻っている。だから大丈夫だと安心してシスイはウォロと並んで歩いていた。時々、ルカリオやポケモン勝負のことを聞いてみようかと魔が差すが、今のこの幸せを崩したくなくてぐっと言葉を飲み込んだ。

 暁の空の下に佇むコトブキムラの門が見えてきた。よく目を凝らすと門の近くに人が1人立っている。近くになるにつれてその僅かに曲がった背格好から若い人ではないと察し、足早に近寄るとその人がムベだとはっきりと認識できた。

「シスイ! ウォロ!」

 こちらが話しかけるよりも先にムベが帰ってくる2人に気づいた。そして、シスイの姿を早く見たいと言わんばかりに駆け寄った。

「ムベさん! あれ、お休みになってたのでは……?」
「バカもの、お前の危機におちおち寝ておられるか! ……デンボクは休ませたがな」

 聞けばデンボク団長も心配で門の下で待っていたらしいが、気づいたら船を漕ぎ始めていたので自室に戻して休ませたらしい。

「そ、それで、脅迫状の件はどうじゃったんじゃ?」
「はい。ウォロさんが全て解決してくださいました」
「ウォロが……全て解決……」

 ようやくウォロに視線を移したムベ。その先には、いつもの飄々とした笑顔でシスイの横にいるウォロがいた。

「そうか……ウォロ、お前が……」
「この位朝飯前ですよ」

 胡散臭さが拭いきれないのは気になるが、シスイがそう言うなら信じる他はない。実際、シスイもウォロも外傷は1つもなさそうであり、何よりも久しぶりに見せたシスイの爛漫な笑顔を見れば一目瞭然なのだ。

「ムベさん、ご心配おかけしてごめんなさい」
「いや、えぇんじゃ。お前が無事ならそれで……。ウォロよ」
「はいはい、なんでしょう?」
「お前さんにシスイの護衛を任せて正解じゃった。初めは護衛を名乗り出た真意がわからんかったが……いや今もわからんが、こうしてシスイが無事なのは紛れもなくウォロのおかげじゃ。本当に感謝する」
「真意なんてとんでもない! いつもお世話になっているムベさんとシスイさんへの恩返しですよ。ね? シスイさん」
「は、はい……っ」

 かつてシスイの心を蝕んでいたのは、自分のせいでコトブキムラの人たちを不安にさせて時間を奪っていることの罪悪感。それを払拭してくれたのが、ウォロの言う『恩返し』だった。それがシスイの護衛を引き受けた真意なのかはウォロのみぞ知るところだが、シスイが無事であることがこの事件の最善の終わり方だ。シスイ個人にとっては、数日間ウォロと一緒に過ごせた多幸感の上に、ウォロとシスイだけの『秘密』が約束されたのだ。秘密を共有するのは2人が特別な関係であることの証明であると、シスイの恋心はますます膨らんでいくのだった。

「さぁさぁ皆さん早めに床につきましょう。明日は団長に事の顛末を報告しに行くのでしょう? それまではばっちりお守りしますのでご安心くださいね」
「はい、ありがとうございます……」

 立ち話もそこそこに、3人はイモヅル亭へ帰っていった。ムベはそのまま1階の自室へ戻り、シスイはウォロと一緒に2階の自室へと向かう。昨日と一昨日と同じようにウォロは部屋の前で待機する。

「十分に眠れないと思いますが、それでもなるべく寝るように努めてくださいね」
「は、はい……」

 この襖を閉めると、ウォロに護衛してもらう約束の日々が終わってしまう。この数日間、ウォロと一緒に過ごせて幸せだった。不安と恐怖はあったものの、それを幸せで上塗りしてくれたのがウォロだった。この先、同じようにずっと一緒に過ごせる日が来るかどうかの保証はどこにもない。明日からまた、ウォロを想い待ち焦がれる日々が始まるのだ。

 惜しい。襖を閉めるのが甚だしく惜しい。このままずっと一緒にいたい。だが、シスイにはシスイの生活があるように、ウォロにはウォロの生活がある。それに、これ以上自分のせいでウォロを振り回したくないのも本意だ。

 それなら、今この時に自分の気持ちを伝えるのがいいのではないかと、一世一代の決心がシスイを過ぎった。ウォロのことが好きだから、これからもずっと一緒にいたいです、と。

「……ジブンもわかりますよ。この日々が終わってしまうことの口惜しさが」
「えっ……?」

 襖をなかなか閉められない理由を見透かされていたように、ウォロが先に口を開いた。

「不謹慎ですがここ数日間、ジブンは凄く楽しかったですよ。毎食美味しいものが食べられましたし、誰かと一緒にいるというのも悪くありませんでした。それがシスイさんだとなおさらです」
「ウォロさん……それって……」
「まぁ……深い意味はないですよ? 仮にも一緒に紅蓮の湿地まで出かけた仲ですし、ね。イチョウ商会はまだコトブキムラを拠点にするそうですので、これから先に全然会えなくなる、なんてことはないですから。それに……イモモチの約束だってまだ果たせてないでしょう?」
「あ、そ、そうですよね……っ」

 ウォロの言う通り、まだ世界で1番美味しいイモモチをご馳走できていないのだ。この数日間はそれどころではなかったのですっかり失念していた。それを思い出したら、これからもまだ会えるという希望の光がシスイの心に差し込んできた。ちょうど夜が明けて白んでくる今の空のように。

「楽しみにしていますよシスイさん。だから、今はこれでおしまいです。また明日からいつもの生活に戻りましょう」
「……はい。そうですね」

 そう、ウォロに美味しいイモモチをご馳走できるように腕を磨かなければならないのだ。イチョウ商会がコトブキムラを去る前に約束を果たし、その暁に自分の気持ちも一緒に伝える──新たな楽しみと夢がシスイの中で鮮やかに芽吹いた。

「ウォロさん」
「はい」
「あの、その……本当に、ありがとうございましたっ」
「……シスイさんのためなら、お易い御用ですよ」

 『シスイさんのためなら』という台詞はシスイを浮かれさせるには十分だった。ウォロにとって自分が特別な存在であると、彼の口から答えが出てきたことも同然だからだ。

「おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」

 パタン、と、静かに襖が閉じた。ウォロと過ごしたこの日々が静かに終わる。それでも襖から離れられないのは、名残惜しい気持ちがどうしても隠せないからだ。いつか必ずウォロにこの大きな恩を返そうと、甘やかで優しい気持ちが溢れる胸に両手を当てた。

(……なぜジブンは、あんなことを……)

 同じく襖から動かないウォロは、呆然と立ちすくむだけであった。


* * * * *


 翌朝、数日ぶりに団長室にギンガ団の錚々たる面々が揃った。シスイに脅迫状が届いたと報告した会と全く同じ面子だ。事の顛末をウォロから聞くと、皆それぞれ安堵の気持ちを声と仕草で表した。

「まさか野盗三姉妹の仕業だったとは」
「うーん、なんで野盗三姉妹はシスイさんを狙ったんだろうなぁ」
「確かに気になるな。ウォロ殿、シスイ、その件で三姉妹から何か聞いていないのか?」
「えっ! あ、えっ、えっと……」

 その理由は聞いている。ウォロと一緒に紅蓮の湿地を仲良く歩いていたシスイを人質にして、イチョウ商会の商品を貢がせるために脅迫状を寄越されたのだと。だが、それはシスイの口から言っていいものなのかと、隣にいるウォロにそっと視線を移した。恥ずかしい、というのも理由だが、イチョウ商会に関わることは商会の一員であるウォロが話した方が筋が通る。

「それはシスイさんの余りの美しさに三姉妹の長が嫉妬してしまったからですよ!」
「えっ?」
「は?」

 ゆゆしさの欠片もない理由に、団長室にいるウォロ以外の全員の目が点になった。当人であるシスイも開いた口が塞がらない。

「以前、湿地をジブンと歩いてるときにシスイさんを見たのでしょうねぇ……その美しさの理由を知りたくて、でも上手い呼び出し方がわからず『秘密を暴く』なんて方便を使ったのですよ! でも、素直な三姉妹だったので穏便に事を済ませたら大人しく引き下がってくれました! ねっシスイさん!」
「えぇっと……は、はい……っ」

 その溌剌とした笑顔で聞かれたら、否定することなどできなかった。それどころか、真の理由が実はそれであったと錯覚してしまいそうだ。

「う、うむ……理由は本人たちしか知らないことであろう……なんとも信じ難いものだが、穏便に済んだのなら万事解決、だな……」
「そうです! 穏便に万事解決ですよ!」

 なぜこんな嘘を吐いたのかはウォロにしか知り得ないことだが、シスイはその理由がなんとなくわかる。事件が解決したところにさらに問題を投げ込んでしまえば、新たな火種ができてしまい、せっかく戻りかけた日常が引っ込んでしまう。そこでウォロが先のような機知に富んだ理由を投げ込めば、皆が拍子抜けして事件は終結を迎えることができる。日常が戻ってくるのだ。野盗三姉妹も、ウォロとウォロが率いる非情なまでに強いポケモンがいるとわかれば襲ってくることはないだろう。ギンガ団に、コトブキムラに余計な心配をさせたくないという、 ウォロの優しさだろうとシスイだけは気づいていた。

 ウォロはシスイの視線に気がつくと、しーっと人差し指を鼻に当てた。また2人だけの秘密が生まれたのだと、シスイの頬が恋色に染まる。だが、ウォロが先程自分のことを「美しい」と言ってくれたことをふっと思い出し、恥ずかしさで全身があっという間に沸騰しそうだった。場を終わらせるための方便というのはわかっているが、好きな人に嘘でも褒められると舞い上がってしまう。

 変にざわつく団長室の中心で、シスイの頬だけでなく心までもが、ウォロへの想いでまた恋色に染まるのだった。


back
- ナノ -