「おい」
「…ん」
「何考えてやがる」
「…明日のお弁当のおかず」
冷たい風が頬を撫でる夕暮れ時、あたしは初めて景吾に嘘をついた。
「景吾は?」
「いろいろ、だな」
「そっか、いろいろ、か」
きっと景吾も嘘をついた。
どうやって切り出せばいいのかわからなくて、無意味で分り切った嘘の言葉を返したりなんかして。
「俺に出来ないことなんて、ないと思ってた」
「うん、ほんとにすごいよね。テニス部長で、生徒会長で、会社経営もして。」
たった一度、クラスが一緒になって、席が隣になって、そうやって知り合って。たぶん私たちが出会ったのは奇跡なんだ。
けれどそれは、とても苦しい、奇跡。
「今は、全てが疎ましい」
瞳には赤い夕日を映しているのに、彼はどこか違うものを見ているようだった。景吾のそんな様子を見るのは、初めてではなかった。
この時期、先生たちの口からしきりに聞く『進路』という言葉が、景吾の様子を変えていくように思えた。
「跡部なんか捨「駄目だよ」
「それを最後まで言ったら、私は 」
泣きそうな顔を見られたくなくて、私は背を向けた。私だけを見てほしい、彼だけを見るていたい。そんな簡単なことすら、私たちには許されないのだ。
「…おまえといると、俺は俺自身でいられる」
「うん、そんな景吾が好きだった」
「過去形か?」
「そう、しなくちゃ」
好きだ、愛してる。
端正な笑顔で何度も、何度も、くれた言葉。貰った以上に私は景吾に返せていたのかな?
一度くれたものは、最後まで欲しかったよ、手放したくなかった、全部全部、私だけのものにしたかった。
意を決して振り向くと、彼は真っすぐに私だけを見ていた。そしておそるおそる、けれど強く私を抱き締めた。
「このまま、二人だけで逃げたい」
耳元でそんな風に囁かれたら、頷きたくなってしまう。私は肯定の言葉を飲み込み、代わりにその鍛えられた胸板にそっと触れた。
それだけで十分だった、もう、戻れない。
「私たちは、結局子どもだった。」
私たちは社会を中途半端に知ってしまった。どれだけ大人ぶってみても、こんな結末を選ぶことしかできなくて、それがまだ子供なのだということを知らしめた。
「全て断ちきれる勇気があったら」
「じゃぁ、なんだ!俺はその勇気をかけるに値しないってのか」
「違う!」
ぽろり、と出た言葉に、景吾は声を荒げた。どんなに心ない言葉をかけられても、さらりと受け流してしまう彼がこんなに余裕がないくらいに追い詰められていたのだ。気づいてあげられなかった。けれど、余裕がない私も、ただ声を荒げた。
「…違う、…違うよ」
否定したいのに、ちゃんと言葉で伝えたいのに、出たのは涙と言葉にならない嗚咽だけだった。景吾は、悪いとだけ低く呟くとずっと私の頭を撫で続けてくれた。
景吾も、私も頭のどこかで分かっていたのかもしれない。幸せだった学生生活に、終わりが来ることを。
数日後には、私たちが別れたという話を知らない人はいなかった。
女友達にも、ずっと応援してくれていた侑士くんにも散々理由を聞かれたが、私は話すことはなかった。
たぶん景吾…、跡部くんも同じように誰にも話さないのだろう。
そして、二度と交わることはない。
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(だから、そっと鍵をかけたの)