空から雪が降り出すなり、駆けだしたあかりはまるで犬みたいだ。ほら、何かの歌にもあっただろ、犬は外で走り出すって。 「瑛くーん、見て見て! 雪だよー」 赤いタータンチェックのマフラーをしっかり巻いて、手元には手編み風ミトン。イヤーマフまで付けて、そのせいか、余計に何かの小動物めいて見える。しっかり防寒していても、あかりの鼻先も頬も赤く染まっていて、やっぱり、当然寒そうだった。 「……見りゃ分かるよ。つーか、往来ではしゃぐな」 危ないだろ、という台詞を投げる前に、あかりは少し目を丸くして天を仰いで指し示して見せた。 「だって、ほら、雪だよ! しかも初雪!」 この小動物には、今年初めて降る雪に全く感動していない俺の感性が信じられないらしい。分かってない。俺だって、ちょっとは感動してるし、気分が浮き立たなくもないけど、それよりも兎に角寒くてどうしようもない。首元のマフラーに鼻先を埋めるようにして先を急ぐことに専念するだけで精いっぱいだ。 こっちの心情を全く斟酌しないボンヤリはボンヤリと空を仰いで夢見がちなことを呟いている。どうでもいいけど、ちゃんと前見て歩けよな、と思う。 「積もらないかなあ……」 「そんなに降る訳ないだろ。どうせ、すぐにやむ」 「瑛くんの現実主義者ー!」 「いいことだろ。地に足をつけてしっかり前を向いて歩いて行くんだ、俺は」 立ち止まって上を向いて空を見つめていたボンヤリの隣りを通り過ぎがてら、ふと、思いついてポケットから手を出した。一瞬迷って、結局、軽くつむじにチョップをしてやった。結局、いつものやり取りを選んだ。 「ぼさっとすんな。早く帰るぞ」 「痛っ」 そんなに強くチョップした訳じゃない。でも、条件反射なのか頭の天辺に手を当てたあかりは、一瞬抗議するような目を俺に向けて、それから目を見開いて声を上げた。 「瑛くん、手袋してないの?」 事もなげに、手袋ごしに剥き出しの俺の手を取って言う。黒目がちな目がしげしげと俺の手を見つめている。 「寒くないの?」 「寒いよ」 だから離せ、と言いかけたら、ぎゅ、と手を握られた。 「何を……」 ……してんだ、このボンヤリは。 言いかけて絶句してたら、あかりは事もなげににっこり笑って寄越した。 「瑛くんが寒くないように、あっためたげる」 そう宣言すると、ミトンに包まれた小っぽけな手で、俺の手を包むように、もう一度、ぎゅっと握った。 「………………」 「珊瑚礁のバリスタさんの手が霜焼けになっちゃったら、タイヘンだ」 あかりはそんなことを言って、得意げな顔をしている。握られた自分の手を見つめる。……あかりの小さな手には、俺の手は随分余る。それでも、包み込もうとしてるのか、それとも、本気で温めようとしてるのか、何度も、ぎゅ、ぎゅ、と握り返してくる。剥き出しの肌に、毛糸特有のチクチクした感触がこそばゆい。 バカだなあ、と思う。 おまえの手じゃあ、俺の手はカバー出来ないだろうに。そもそもの話、おまえは全然温かくないだろうに。それより、これって本当に温かいのか? ポケットに手を突っ込んでいた方が余程温かいんじゃないか? でも、そうはしなかった。俺のがよっぽどバカだ。 「反対の手が寒くなったら言ってね? 変わりばんこに温めたげるから」 音もなく降る雪が、触れるなり溶けてあかりの頬を光らせていた。何の裏表もなさそうな笑顔に向けて、頷きを返した。 「うん……」 どこか納得がいかない部分を残しながら、手を繋がれて、並んで歩き出す。 雪はきっと積もらないだろう。いかにも水っぽくて、積もりそうな雪じゃない。ただ、今は降る雪がこの距離を作りだしてる。そう思うと、少し、惜しい気がしなくもない。 「温かいココアが飲みたいなあ」 「それはもしかして、さりげない要求のつもりなのか?」 「……バレた?」 「バレバレだよ」 「あったかいココアが飲みたいなあ……」 「…………いいよ。ただし、店についたら、ちゃんと働けよ?」 「うん!」 隣りを歩くあかりの頬が赤い。理由は寒いから。それ以上の意味なんて、無いんだろう。こいつの場合。だって、こんなに易々と距離を縮められるんだから。俺とは違って。 俺が迷いに迷って、結局踏み出すことも出来なかった一歩を、あかりは軽々と飛び越えてしまう。今だってそうだ。帰り道の間中、ポケットに手を突っこんだまま、手を繋ぐ理由ばかり考えてた俺に対して、あかりは思わぬ変化球で、本当に易々と俺の願いを叶えてしまう。嬉しいし、羨ましいけど、どこか納得がいかない。だってほら、こういうのはやっぱり自分から言い出したいじゃないか。ちゃんと言葉に出して、はっきりと口にして。へ理屈をこねなきゃ、好きな子の手さえ握れないなんて、やっぱり恥かしいし、情けないし、さ。 2012.01.21 <-- --> |