瑛くんの唇と頬っぺたの中間点あたりにパンくずがついていた。お昼ごはん用の超熟カレーパン。瑛くんは全然気がついていないのか、涼しい顔でパックの牛乳を飲んでいる。瑛くんは学校の皆の前では完璧な王子様を演じているけど、時々とっても無防備だ。今がそう。少し微笑ましくなって、くすり、と笑う。そんなわたしの顔を横目に怪訝そうに眺めて、瑛くんは「何だよ」という。何でもない、という意味を込めて小さく頭を振る。それから手を伸ばした。 「とってあげるね」 瑛くんは“何のことだ”という風に片目を眇めたけど、近づくわたしの手を確認して、驚いたように半身を引いた。 「な、なんだよ!?」 そんなに焦らなくたっていいのに。 すっかり警戒されてしまったみたい。自分の口元を指先で突きながら教えてあげた。 「パンくず、ついてるよ」 「うそ、どこ?」 慌てたように口元をこすっているけど、反対側の頬っぺただった。鏡じゃないんだから反対だよ、とやっぱり微笑ましくなってしまう。 「こっちだよ」 手を伸ばして、頑固にくっついていたパンくずを払ってあげた。パンくずを取るのに気を取られていたらしい瑛くんは無防備になすがままだ。少しだけ、指先と瑛くんの頬っぺたが掠めるように触れた。 瑛くんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。それから眉間に力を込めると「おまえなあ……」と息をついた。顔を背けてぼそぼそと言う。 「自分でやれるから……」 「だって反対側だったから」 「言えば分かるよ、そんなの」 背けた顔の頬の高い部分が真っ赤に染まっていた。もしかして、もしかしなくとも、照れてる、のかな? 瑛くんには申し訳ないけど、ちょっと可愛いなあ、と思ってしまった。無防備すぎる表情を隠すように、しばらくの間、瑛くんはこっちを向いてくれなかった。 ○ 「…………無防備すぎ」 放課後。 日直の仕事を終えて、教室の窓から中庭に目をやったら、例の場所に見慣れた茶色い髪が見えた。……またか、と思ってしまう。ときどき、疲れがピークに達すると、まるで小動物が冬眠するみたいに中庭で休んでいる。危ないからやめろって言ってるのに、聞かないんだ、あのボンヤリは。文句を言ってやりたくなって、荷物を持って中庭へ急いだ。 そうして、いつもの木の下で眠りこけているボンヤリの姿を見つけた。木に背中を預けるようにして、うつらうつらと船を漕いでる。全く、いい気なものだ。……人の気もしらないで。 「…………」 あかりは起きる気配がない。声をかけても揺らしても、てこでも起きる気配がない。こんな場所で熟睡出来るって、おまえ本当にいい神経してるなと思う。もちろん褒めてない。 まあ、中庭でうたた寝してしまう気持ちは分からなくもない。つい寝ちゃうよな。気持ちいい風が吹くし、ここ。でも全然起きないのはどうかと思う。いくらなんでも無防備すぎる。 「……あかり」 こんな場所で熟睡してて、悪いヤツに見つかったらどうすんだか。危ない目に遭ってからじゃ遅いんだ。起きたら説教してやろうと思う。また手をかけて肩を揺らした。「あかり」、名前を呼んで揺さぶっても、微かに眉を顰めて声を洩らすだけだ。目を覚まさない。なあ、本当に危ないんだって。悪いヤツが悪いことを考えないとも限らないんだから。こんな、無防備な顔で眠ってなんかいて……悪いヤツが、悪い気を起こすかもしれないだろ? 「………………てる、くん?」 少しくらいいいかな、なんて、悪い気を起しかけて、顔を上向けさせた途端、これだ。 まあ、そうだよな、と納得しつつ、堪らない気分になる。顔を上向けさせるために髪に添えていた手とか、どう考えても誤魔化しようがない。実際、あかりも不思議そうに俺を見つめる。固まったまま、苦し紛れに言っていた。 「ね、寝ぐせ、な!」 「寝ぐせ?」 「そう、寝ぐせ、ついてたから、直してやろうかな〜〜〜、なんて……」 言ってて苦しくなってきた。全く無防備で無垢な黒目がちな目が二つ、見上げてくる。その視線が苦しい。 「……そっか」 「え?」 「ありがとう、瑛くん」 明らかにバレバレな嘘にも気付かないで、にっこりと笑顔でお礼を言ったりとか。 いくらなんでも、と思う。 でも……。 「うん、まあ、仕方なく、な?」 「うん、ありがとう」 そのままあかりの頭を撫でた。あかりは「直った?」なんて素直に聞いてくる。 「ああ、うん、もうちょっと……」 どさくさに紛れて頭を撫でながら、つくづく、目の前の生き物のことが心配になった。 こいつ、こんなに無防備でこの先大丈夫なのかな……。 何だか、堪らない気分になって呟いていた。 「おまえのことは俺が面倒みてやるからな……」 「?」 寝起きで頭が働かないのか、あかりは半分寝ぼけ眼できょとんとした顔をしている。うん、気付かないでほしいと思う。まだ、という話。 2012.05.04 *無防備バカップルたち。 <-- --> |