あなたとわたしがゲキテキな変化を遂げる 冬 #2
「海野」とわたしは言った。
「海野あかり」
少し考えて、「です」と付け加える。何となく。まるで小学生の自己紹介のような気分。
――海野あかり
わたしの名前。
名前を教えろと言われたから答えた。どうして今更と思わなくもない。さっきもふと思ったけど、もしかして新手のいやがらせだろうか。けど、そうだとしてもやっぱりこう思ってしまう。――どうして?
改めて自己紹介をしたわたしに、果たして目の前の佐伯くんは言ってのけた。例の“優等生スマイル”で。
「ごめん。やっぱり知らないみたいだ」
これが新手のいやがらせじゃないとしたら、一体何だろう。まさか記憶喪失? そんな荒唐無稽な展開はご免こうむりたい。
わたしは、明らかに顔見知りのはずなのに、空とぼけし続ける佐伯くんに向け断固抗議するつもりだった。これくらいでは食い下がらない。だってもう、うんざりするくらい後悔した。手遅れになってから気づくとか、じたばたするのはもうイヤだった。
「どうして!?」
大きな声で言うと、「いや、どうしても何も、知らないものは知らないんだ」と少しムッとした顔で言った。
――あ、と思う。
じっと見つめてくるわたしを警戒したように佐伯くんが少し後ろにのけ反る。
「な、なんだよ……」
「やっと、いつもの佐伯くんらしくなった」
「……は?」
いつもの佐伯くん。学校のみんなの前では優等生モードだったけど、わたしの前では違った。ちょっとぶっきらぼうで、天の邪鬼で……そういう、いつもの佐伯くん。あの冬の日以来、ずっと見ていなかった“いつもの”佐伯くんの顔。
すっかりうれしくなってしまって、笑いかける。佐伯くんの警戒の色が濃くなる。けど、こういう表情は見たことがある。だから多分、心底敬遠されてる訳じゃない……と、思う。佐伯くんが本当に何かを拒絶しているときの顔とは少し違う、今の表情。だからまだ、今は取り付く島があるはず。わたしは食い下がった。
「ね、佐伯くん」
「なんだよ、ついて来んな」
「一緒に帰らない?」
「………………………何でだよ」
「何ででも。途中まで方向が一緒なんだから一緒に帰ろうよ」
「何でおまえが俺の帰り道の方向を知ってるんだ」
「……今更じゃない? そんなこと」
「今更じゃない。全然、今更じゃない。…………ったく、何なんだ、おまえ」
佐伯くんはぼやくように言った。ううん、正真正銘ぼやいていた。でもそこに深刻そうな色はなくて、むしろどこか気の抜けたようなところがあった。呆れてぼやいてるけど、どこか気を許されているような…………そういう姿を見てわたしはすっかり安心してしまった。あの日、わたしに背を向けた佐伯くんの姿が、ずっと目蓋から離れなかった。
――佐伯くんが目の前にいる。ここにいる。そばにいるんだ。
「佐伯くん、佐伯くん」
「…………何」
先を歩き始めている佐伯くんの背中に向かって言う。不機嫌そうな、ぶっきらぼうな声で返答が返る。
「優等生モード、取れちゃってるね?」
「………………」
びしり、と佐伯くんの背中が強張った。――ああ、分かりやすいなあ。ぎしぎしという音がしそうなぎこちない動作で佐伯くんが振り返った。その顔には優等生モードの笑顔がはりついている、一応。
「…………なんのことかな?」
――佐伯くん、声、裏返ってるよ。
そういうことは指摘しないでおくことにした。さすがに少しかわいそうになってきたので。代わりに別の一言を返す。
「今更だよ、佐伯くん」
――今更、“優等生モード”に戻ってもバレバレだよ佐伯くん。
言外にそういうことを込めて言ってみる。思わず、と言った風に立ち止まってしまった佐伯くんに追いついて、顔を覗きこむ。口を開け絶句している顔をじっと見上げていると、根負けしたのか、気まずそうに目を逸らされてしまった。これまで、にらめっこで佐伯くんに負けたことはない。それは今回も例外ではなく。
「何なんだ、おまえ……」
視線を横方向にずらしたまま、ため息と一緒にぼやく佐伯くん。その一言に対しても、わたしの返答は変わらない。さっきと寸分変わらない台詞を繰り返した。
「今更だよ、佐伯くん」
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2011.02.21
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