食べちゃダメ


据え膳食わぬは男の恥っていうけど、いいのかな、と思ってしまう。食べないと恥なのか? というか、食べていいのか? 多分さ、いや、多分じゃなく……、

「ダメだろう、コレは…………」

思わずベッドの上に突っ伏したくなる頭を理性の力で押しとどめる。
そのベッドの上には、あかり。制服姿のままでベッドに横になって無防備極まりない姿で眠りこけてる。
ちなみに今、俺たちがいる場所は珊瑚礁の二階、俺の部屋で、つまり必然的にあかりが横たわって身を預けているのは俺のベッド…………ということに、なる。やましいことはまだ(そう、まだ)何一つしていないというのに、何だろう、このヤバいことをしている気分は。

以下、言い訳タイム。
珊瑚礁の定休日。珍しく放課後に空き時間が出来たから、とあかりと一緒に帰った。そこで話題は間近に控えた期末テストに移り、あかりの成績のまずさを思い知らされた俺は、この迂闊者をスパルタで特訓してやることに決めた。何故って、期末で酷い成績を取って赤点オールなんてことになったら、補習が待ち構えているわけで、補習がある間、貴重な珊瑚礁の人手が欠員してしまう訳で、それは珊瑚礁にとって少なからず痛手になってしまう訳で、そういうことは避けたい訳で。つまり、そういうことだ。
カピバラ女がバイトを休むのが気に食わない、とか、若ちゃんと二人きりで毎日補習にジェラってるとか、放課後一緒に過ごす理由欲しさで勉強に付き合ってやる、とか、そういう浮ついた理由では決してない。

……で、どうなったって、まあ、初めは真面目に勉強を見ていた。ちょうど一区切りついたところで、休憩がてらコーヒーを淹れてやることにした。あかりも頭を使って疲れたみたいだし。
そうして二人分の珊瑚礁ブレンドを用意して自分の部屋に戻ってみれば、見慣れたペパーミントグリーン色のシーツの上でグースカ寝こけている女が待っていた訳で。

――マジか、こいつ。

コーヒー二杯淹れるのにそんなに時間はかからない。その間にうっかり居眠りしてしまう、とかなら、まだ分かる。なぜ人のベッドの上で堂々と寝てる。しかも、同じクラスの男子の部屋のベッドで。よほどの天然か、あるいは、俺のことを男として意識してないかのどちらかだ。じわじわと怒りがこみ上げる。幾らなんでも無防備すぎるだろう、こいつ。

コーヒーカップを乗せたお盆を持ちながら、後ろ手にドアを閉める。ついでに鍵を閉めそうになって、思いとどまる。鍵はいらない……てか、鍵かけて何をするつもりだ一体。
教科書とノート、筆記用具……勉強道具を広げたままの机に二人分のコーヒーを置く。大丈夫、ここには少しも疚しい雰囲気なんてない。ここにいるのは放課後、一緒にテスト勉強をする二人。全く以って健全な男女交際。さっきまでの日常の名残を残す机の上を瞼に焼き付け、せわしなく騒ぎたてる本能にストップをかける。

「あかり、起きろって」

肩を揺さぶるか迷って、声だけかける。少し声を大きくして、もう一回。……起きる気配がない。あんなに短い間に深い眠りに入れるってすごいよな。逆に感心してしまう。

ペパーミント色のチェック柄のシーツ。見慣れたはずの自分のベッドなのに、その上にあかりが寝ているというだけで、どうしようもなく、非現実的だ。……なんで、眠れるのかな、こいつ。俺なら出来ない。好きな子の部屋で眠りこけるなんて、多分無理だ。だって、部屋にいるだけであらぬ想像とか期待ではちきれそうになるだろうから。ドキドキして仕方ないだろうから。だから、それって、つまりさ、

――こいつ、俺のことどうでもいいのかな……

って、そう思ってしまう訳で。
何か、怒るよりも、悔しい。もっと言えば、空しい。胸が痛い。

「……うぅん」

あかりが寝がえりを打った。やけに甘ったるい寝ぼけた声。横向きに寝てたのが、今度は仰向けになって、あらわになった白い喉元がひどく目に毒。珊瑚みたいに赤い唇が半開きになっていて見とれてしまう。まるで花に吸い寄せられる虫みたいな気持ちになった。キスしてみたい。すごく。

ベッドに腰掛ける。重みでベッドが揺れる。上に寝転がっているあかりの体もベッドの振動と一緒にかすかに浮き沈みする。振動で起きるかと思ったけど、あかりは目を覚まさなかった。あかりの顔のすぐ横に左手をつく。呑気な顔で眠りこけている顔。無防備な寝顔だ。色気の欠片もない。でも、あどけなくて、かわいいと言えなくもない。

「あかり」

名前を呼んでみる。ほとんど懇願する想いで。

「なあ、起きろよ……」

起きてくれないと、多分、バカなことをしてしまう。きっと、おまえは何とも思っていない。けど、こっちはそうじゃないんだ。おまえの何気ない行動を勝手に解釈して、きっとバカなことをしてしまう。そんなことをして、おまえから嫌われてしまうのだけはイヤだから、だから、理性を保てるうちに起きてくれないか。

「…………ん」

あかりがもう一度寝がえりを打った。頬に髪がかぶさる。少し邪魔そうだ。払うだけ……と思って、注意深く指であかりの頬にかぶさる髪を払ってやる。柔らかい髪の感触に驚く。やっぱり自分のとは全然感触が違う。さっきまで髪に隠れていた白い頬。これも、多分触れば柔らかい。悪戯心が疼いて指先でつついてみる。ふに、と指先が白い頬に沈む。柔らかい。何を食べたらこんなに柔らかくなるんだろうと思うほど柔らかい。「んん……」ふにふにと指先で突いていたら、むずがるように不満げな声を洩らした。さて、その声。寝声すら今は扇情的に聞こえる始末。「……ごめん」指を離す。
「ごめんな」
浅く皺を刻む眉間にかかる髪を指先で払う。そのまま手を頬に添える。赤い唇に吸い寄せられるように顔を寄せた。近づいたら、甘い香りがした。あかりの睫毛の先が微かに震える。

「……さえきくん?」

まるで花が開くようにゆるゆると睫毛を持ち上げて、舌足らずな声で俺の名前を呼んだ。俄かに正気に戻って、距離を取った。悲鳴を上げるのは何とか耐えた。
あかりは何度か瞬きを繰り返して、ボンヤリした声で言った。

「わたし、寝ちゃってた?」

悔し紛れに乱暴に言い捨ててしまう。

「ああ、グースカとよく寝てたよ!」

据え膳食わぬは……とか、よく言うけどこんなのあんまりだと思う。おあずけを食らった気分、なんて、とても言う資格はない(だって、こんなのは寝込みを襲うのと同じだ)けど、それでも待ったをかけられた気分。――食べてもいいですか? 食べちゃダメです。苦々しい気分。分かってるよ、食べちゃダメだってことは。それが、まだ、というただし書き付きのものなのか、これからも変わらずずっと、という意味なのかは置いておくとして、とりあえず今はまだダメなんだろう。
まだ起きぬけのボンヤリとした目で俺を見上げるあかりに、机に置いたままのコーヒーを示して言う。まだかろうじて湯気を立てている。

「コーヒー淹れたから、飲めよ」
「うん、ありがとう……」
「コーヒー飲んだら、続きな」
「続き?」
「勉強の。何のためにここに来たか忘れたのかよ」
「え〜」
「誰のために勉強に付き合ってると思ってんだ、おまえは」

ほら、起きろ、と促すとようやくベッドから起きた。

「寝るつもりはなかったのになあ」とあかりは首を傾げている。
「よく言うよ。人のベッドで熟睡しておいて。あんな短時間でよく眠れるよな」
「うーん……」

冷めかけたコーヒーに口をつけながらあかりはやっぱり首を傾げている。何がそんなに納得がいかないんだか。

「ちょっと疲れて横になったつもりだったんだけど……」
「その割に熟睡だったけどな」
「なんか、安心しちゃって」
「……は?」
「ベッドから佐伯くんの匂いがしたから」

それでよく眠れたのかな、とあかりは首を傾げているけど、知るものか。自分で淹れたコーヒーに口をつけながら思った。こんなボンヤリの迂闊者でも食べちゃダメですか。もちろん、ダメです。誰とも知れない返答が頭の中で返る。どことなく、担任の声に似ている気がしなくもない。ぬるくなったコーヒーと一緒にため息を飲み下した。



2011.03.05

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