あなたとわたしがゲキテキな変化を遂げる 冬 #1


(*ちょっと変わった設定なのでご注意です)
(*そこはかとなくSFちっくといえなくもない)




一目見た途端、分かった。否応なく分かった。直感的に分かってしまった。

――こいつはとんでもないボンヤリの天然だって。





校門を出て、いつも通り急ぎ足で帰る。教室から校門までたどり着くのも一騒動だ。いつものことながら。
『一緒に帰ろう』だとか『どこかに寄らない』とかいう誘いをやんわりと断り、それでも止みそうにない誘いの声から何とか抜け出し、海沿いの道を急いでいる。
ワイワイガヤガヤとまとわりつく声から自由になって清々した気分で歩いていたら、呼ばれた。名前を。大声で。それはもう、デカイ声で。

「佐伯くん!」

あーもう何だよ、しつこいなあ、という台詞は何とか飲み込んだ。うっかりこぼしてしまいそうになったものの、飲み込んだ。本当に何なんだ。ようやく撒いたと思ったのに!
優等生用の笑顔を急ごしらえして振り返った。忌々しい気分は胸の内に抑え込んで。

「やあ、何かな?」

振り向いた先には、同じ学校の制服を着た女が立っていた。見覚えはない。肩に届くか届かないかくらいのこげ茶の髪が海から吹く風に揺られている。前髪の下、黒目がちな瞳が瞬きもしないで、こっちを凝視している。

――誰だ。全く見覚えがない。

例えば、一緒に帰る約束をしたとか。それはないはずだ。成り行き上、昼休みを一緒に過ごす約束はしても、一緒に帰る約束はしたことがない。珊瑚礁のことがバレてしまうから、そういう約束はしていない。
あるいはよほど、ぼーっとしていたときとかに、碌に話も聞かないでOKと言ってしまったとか。確かにこのところ忙しかった。でも、そうだとしても、あり得ない失態だ。

――どうやって、誤魔化す?

頭の中を占めることはそれだけだった。ぐるぐると考え込んでいたら、目の前の生徒の方が先に動いた。

「佐伯くん、どうして、ここにいるの?」

当惑しきりといった様子でそいつは言った。

「どうしてって、いや、それは……」

まずい流れだ。
寄り道にしたって遠回りだし、海を見たかったから、とか言ったりしたら「一緒に行こうかな」なんて厄介な展開にならないとも限らない。どうしたらうまく誤魔化せるんだ?
そうして、たどたどしく、そいつは言った。

「佐伯くん、このあいだ、実家に帰るって言ってたよね?」

――実家? 何のことだ。というか、なんでこいつはそんな事情を知ってるんだ?

「もしかして、戻ってきてくれたの?」

ちょっと待て。何で、泣きそうになってるんだ、こいつ。
往来で泣きそうな女子と二人というのは、ものすごく外聞の悪い絵だ。慌ててなだめる。

「君、大丈夫? 落ち着いて……」

そんな台詞も、言った甲斐なくそいつの頬を滴が滑り落ちた。本格的に泣いてしまった。泣きたいのはこっちだったものの(どんどん時間ロスだ)一応、ハンカチを差し出す。差し出されたハンカチを受け取りもしないで、そいつはじっとハンカチを見つめたまま黙っている。

「……佐伯くんが優しい。うさんくさい」
「は?」

そいつはきょろきょろとあたりを見回した。

「佐伯くん、ねえ、他に誰もいないよ? そんな風に話す必要ないよ?」

笑った頬が引きつりそうだ。

「ねえ君、何を言ってるのかな?」
「それ。“君”って。変だよ、さっきから。どうしたの? もしかして新手の嫌がらせ?」

――ひどいよ……と言っているが、何の事だかさっぱりだ。
こらえ切れなくなって、目を閉じる。こめかみを指で押さえる。
「佐伯くん?」とそいつが俺の名前を呼ぶ。呼びなれた調子で、ものすごく無防備に。確かに俺は佐伯だが、俺のことをそんな風に身近な人間みたいに何度も名前を呼ぶおまえは一体誰だ。
繰り返すが、全く見覚えがない。例え同じ高校の制服を着ていても、見覚えがない。普段よく集まってくる集団の中にも、こいつみたいなのはいなかった。こいつみたいに、珍しい、妙な感じの奴なんて――、

目を開ける。そいつはボンヤリとしたとぼけた生き物みたいに不思議そうにこっちを見上げていて、こんなシチュエーションじゃなきゃ、危うく吹きだしていたかもしれない。
けれど、何度も妙な質問をされていたから、この場で吹きだすのは無理だ。というか、誰の前でも吹きだすのは無理だ、俺の場合。特に同じ学校の生徒の前では。問題は、目の前の女がそういう事情をまるで把握してるように話しかけてくることだった。もう一度言う。――誰だ、おまえ。

伏せていた目蓋を上げる。急に黙り込んだ俺を訝しげに見つめる女。小首を傾げていて、余計に小動物めいて見える。その顔に向けて優等生用の笑顔を向ける。

誰なのか分からない女の目はまだ、さっきこぼした涙で濡れてキラキラと光りを放っている。危うく『綺麗だな』なんて思ったりはしていない。断じて思っていない。こんな妙な女にそんな感想は抱かない。抱くものか。抱いて堪るものか。

それでも、その大きな瞳から涙がこぼれるのを見るのは胸が痛むことだった。特に理由なんてない。たぶん。こんなことに理由なんてある訳がない。

「悪いけど」と考えかけたことを断ち切るみたいにして言った。

「君の名前、思い出せないみたいだ」
「……えっ?」

心底驚いたような声。次いで、

「どうして?」

と言った。いや、どうしてって、何でそんな反応。

「だから、どうしても何も、覚えがないものは仕方ないよ。だから、教えてくれないかな、君の名前」
「そんな……」

そいつはすごく悲しそうな顔をして目を伏せた。ややあって顔を上げて、濡れた目のままでまっすぐに見つめてくる。

「忘れちゃったの?」
「忘れたもなにも、会うのも初めてだと思うけど。……でも、そうだな、もし忘れているとしたら、ごめん。謝るよ」

そう言うと、そいつは何度か瞬きをした。残った滴が睫毛の先について珠のように光る。……綺麗だとは思わない。何度も言うようだけど。

「……やっぱり、新手の嫌がらせ?」
「え?」
「何でもない」

そう言って頭を振る。こげ茶の髪が白い頬の周りでふわふわと揺れる。そうして、まるで何かの決心をつけるみたいに息をひとつついて、黒目がちな目で真っ直ぐに見つめてくる。


「あかり」とそいつは言った。


「海野あかり」




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[title by にやり様]2011.02.19

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