あとで食べよう
一年目のホワイトデーに「はやくしまうように」と言って手渡された瑛くんからのバレンタインのお返しはクッキーの詰め合わせだった。
バターの香りの香ばしいオーソドックスなものからココア生地にパリパリのココナッツを混ぜ込んだもの、プチプチとしたゴマの食感が面白くておいしいクッキー……見た目も味も変化に富んで楽しくておいしいクッキー詰め合わせ。
お店で買ったものなのかなと思ったけど、製造元の表示もないし、瑛くんはお菓子作りが得意だから、もしかしてもしかすると瑛くんの手作り。おいしいなあ瑛くんすごいなあと唸りながらおいしくクッキーを頂いたのが、ちょうど一年前のこと。
そうして今年も屋上で「先月のお返し」と言って瑛くんから小ぶりな小箱を手渡された。淡い水色のリボンで飾られた小さな白いケースは、ラッピングも素敵。
「ありがとう」と言って受け取ると、瑛くんは「じゃあな」と言って踵を返そうとした。ホワイトデーの瑛くんはとても忙しいのだ。ひと月前のバレンタインに、たくさんの女の子たちからチョコレートをもらっていた瑛くんは、律儀にもみんなにお返しを用意しているらしく、さっきもお返しを渡す女の子達からもみくちゃにされていた。そこから抜け出して、今はわざわざ二人きりになってお返しを手渡してくれた。――瑛くん、忙しいのに。この特別扱いだけでも、瑛くんの気持ちが分かるようで嬉しかったけど、「待って」と瑛くんの袖を掴んだ。ずっと考えていることがあったから。
「何だよ?」
そう言って背中を向けたまま、首だけ振り向いた瑛くんに提案した。
「これ、あとで一緒に食べない?」
「……は?」
瑛くんの顔はまるで鳩が豆鉄砲を食らった表情にそっくりだったと思う。
○
「これ、あとで一緒に食べない?」
「……は?」
黒目がちな大きな瞳が袖を掴んだまま見上げてくる。不意打ちだったから、多分その大きな目にうつっているのは鳩が豆鉄砲を食らったような顔に違いないだろう……けど、知るものか。そもそも豆鉄砲を食らった鳩の顔なんて見たこともないのだし。
言えたのは辛うじて一言だけ。
「何でだよ」
「だって、瑛くんもそう言ったでしょ」
「何を」
「先月、バレンタインのとき。『あとでこれ、一緒に食べよう』って」
「あー……」
言った。確かに言った。バレンタインにあかりからもらった手作りチョコの出来があんまり良くて。それから、嬉しくて。そういうことを確かに言ったし、実際に放課後そうした。
「いいよ、それはおまえ用なんだから。あとで一人で食べなさい」
「やだ!」
「やだって……お子様か!」
「だって一人占めより、一緒に食べたいよ。……ダメ?」
軽く小首を傾げた『ダメ?』に、プラス上目遣い。……これ、無自覚でやってるんだよな? 全く、これだから天然はこわい。
「…………いいけど」
「やったー」
「放課後、少しだけな? 今日、バイトある日だろ」
「うん! 珊瑚礁のアルバイトに遅れちゃ大変だ」
「その通り。……じゃ、放課後な?」
「うん」
そうして放課後、だ。例によって屋上に上がって、二人きりでフェンスに寄りかかって肩を並べている。
「わあ、ホワイトチョコケーキだ」
箱を開けてあかりは顔をほころばせている。箱を渡したときも嬉しそうにしてたけど、こうして直接喜んでいる顔を見られたのは、良かったかも知れない。
「もしかして、手作り?」
「……まあな」
「瑛くんは、お菓子作りプロ並みだ」
「バカ言ってないで、早く食べろ」
「うん、頂きまーす」
あかりは昼の弁当用のフォーク(「ちゃんと洗ったんだよ!」と豪語していた)をケーキに差し込んだ。なめらかなホワイトチョコに切れ目が入って、中の生地が覗く。一口食べてあかりは声を上げた。
「おいしい!」
「当然だ」
「そこは自信満々なんだね」
「まあな」
それなりに試行錯誤したし。デザインとか、どんなケーキが好きかな、とか、どんなのなら喜ぶかな、とか、それなりに。
あかりがケーキにフォークを差し込む。良かった。喜んでる。喜んでもらえたら良い、そう思いながら作ったから、だからもうこの顔が見られたから気が済んでいるんだけど……。
「はい、あーんv」
「…………」
気が済んで、いるんだけど、あかりは無邪気な笑顔でフォークを差し出してくる。
「…………何のつもりだ」
「何って、おすそわけ、だよ」
きょとんとした顔でそんな返答。
「……いい。いらない」
「一緒に食べようって言ったのに」
いかにもしょんぼりといった表情と声でそんなことを言う。
「いや、言ったけど……でもそれ、間接キ……じゃん……」
「えっ? なあに、よく聞こえなかった」
聞かれたくないから、聞こえにくいように言ったんだよ!
差し出されたままの一口サイズのケーキとフォーク、その延長線上のボンヤリの顔をにらみつける。手を伸ばして、きょとんとした顔の無防備な額に軽くデコピンしてやった。
「痛っ!」
ひるんだ拍子に、危なっかしい手元のフォークに乗っかったケーキを摘まんで口に放り込んだ。これくらいなら、ギリギリセーフだと思う。
「あっ! 手づかみ!」
あかりの非難めいた声が上がる。……つか、そこかよ、とツッコミたい。口の中のものを咀嚼して飲み込む。
「……うん、うまい。流石、俺」
「うん、おいしいよね!」
途端、顔を輝かせてそんなことを言い出す。……無自覚、なんだよな。ああもう。
「早く食べちゃえよ。バイト、遅れる」
「うん、そうだね」
あかりは素直にフォークを動かしてケーキを食べ始めた。一口食べて「おいしいなあ」とわざわざ口に出して言うあかりの唇の横ら辺に、ケーキの欠片がぺっとりとくっついていた。
食べるのが下手なのか、お子様なのか。そんな状態のまま、顔を上げて「瑛くんももう少し食べない?」なんて、至極真面目な顔で聞いてくる。絵に描いたような食いしん坊万歳っぷりがおかしくて、ちょっと噴き出しそうになった。
「瑛くん?」
「何でもない」
かぶりを振って、一瞬だけ頭に浮かんだバカみたいなことを頭から追い払う。手を伸ばしてあかりのやわらかそうな頬にくっついているケーキの欠片を摘まんで取ってやった。
「俺はこれでいい」
「え?」
「ついてた。ほっぺたに」
「えっ」
ケーキの欠片を口の中に放り込む。あかりの「言ってよぉ!」という抗議の声を無視して指先をなめる。……一瞬だけ、直接なめとってやろうかと思ったけど、やめた。そんなのはちょっとまだ度を超している。
指先からなめとったケーキの欠片はひどく甘く感じた。気持ちに行為が追いつくまで、どれくらい時間がかかるだろう。お子様モード全開なこいつに通じるまで、どれくらいかかるだろう。何より、俺の心の準備が出来るまで、どれくらいかかるのかな。
女々しすぎるぐだぐだを飲み込んであかりに向き直って、もう一度「早く食べちゃえよ」とだけ口にした。
2013.03.14
*このあと珊瑚礁でもホワイトデーのお返しがあるんだと思います。
*あと、卒業後のデレ瑛くんなら躊躇なく直接なめとると思いますデレ瑛ばんじゃい。
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