i have a dream.


とても幸せな夢を見たよ。
ふわふわして、あたたかくて良い匂いがして、そうして甘い、おいしそうな夢だったよ。





「ねえお母さん、この格好変じゃない?」

部屋の鏡の前で何度も確認して、それでもまだ不安で階段を下りて台所にいるお母さんに声をかけた。
お父さん用にコーヒー(珊瑚礁とは違ってお手軽インスタントだ)を、自分用に紅茶(これも簡単ティーパック)を淹れていたお母さんが振り向いて「あら、素敵じゃない」と言ってくれる。わたしはというと、お母さんの反応があんまり早かったのと、あっさり過ぎる気がしてまだ不安をぬぐえないでいる。

「……本当?」

今日のためにアルバイト代をつぎ込んで買った振り袖。前もってお店のバーゲンの日をちゃんとチェックして、カードの割引も駆使して、50パーセントオフでようやく手に入れた晴れ着、だ。

「本当、本当」とお母さんは朗らかに頷いてくれる。……本当、かなあ。振り袖なんて、それこそ七五三のときに着て以来な気がする。慣れない格好で何だか少し落ち着かない。

一応、髪の毛も今日はアップにして来須で買ったお花のかんざしもさしてみた。目の端で赤い小さな花がゆらゆらと揺れてる。髪飾りや着物の華やかさに負けないように、顔にも少しお化粧をしている。全部が全部、慣れないことばかりで不安だ。この格好、待ち合わせをしている瑛くんは、どう思うかなあ。

コーヒーを注いだマグカップをテーブルについて新聞を読んでいるお父さんの前に置きながら、お母さんが言う。

「本当よ。似合ってる。ね、お父さん」
「ん? あ、ああ……」

ずっと新聞紙で顔を隠してしまっていたお父さんが、お母さんに声をかけられて、ようやく顔を上げてくれた。窓から光りが射し込んで、お父さんのメガネを光らせる。メガネのガラス越しにお父さんが目を眩しげに細める。もごもごと小さめな声でお父さんが言った。

「……そうだな。似合ってる」
「ほら、お父さんもこう言ってるでしょ? あ、あなたもお茶飲む?」
「……口紅取れちゃうから良い……」

普段口数の少ないお父さんも(一応)褒めてくれた……けど、涙ぐましい努力をしている娘に同情してただ気を遣ってくれただけなのかもしれない気がして素直に受け取れない。
すごすごと部屋に戻ろうとしていたら、お母さんが自分用のお茶をキッチン台に置いてわたしの前に立った。

「顔をよく見せてくれる?」
「う、うん……」
「お化粧、したのね」
「うん……」
「髪の毛もセットしたのね」
「うん」
「着物も素敵よ」
「……本当?」
「本当本当。最初はね、ベージュにブラウンなんて随分地味なのを選んだ気がしたけど……」
「じ、地味?」

青ざめるわたしに、お母さんがふっと目を細めて付け加える。

「でも、髪の色によく似合ってる」

ベージュにブラウンの花柄の着物。お母さんが言ったとおり、わたしも地味な気が最初はした。でも自分の髪の色に合う気がしたし、それに……。

「きっと佐伯くんも気に入るんじゃない」

頷きながらお母さんが言った途端、ばりばり、と新聞をめくる音が響いた。見ると、眉間に深く一本皺を寄せたお父さんが難しげな顔をしながら新聞を読んでいる。窓から射す光のせいでメガネがやっぱり光っていた。
お父さんが思い出したように、脇に置かれたコーヒーに口をつける。ブラウンとベージュは、コーヒーの色。わたしのイメージする、珊瑚礁と……それから瑛くんの色、だ。

――きっと佐伯くんも気に入るんじゃない。

お母さんの台詞を反芻する。本当、かな。瑛くんも気に入ってくれるかな。

そのときピンポーンとチャイムが鳴った。わたしは途端に慌ててしまう。ど、どうしよう。もしかして瑛くんかな……!

お母さんが肩をぽんぽんと叩く。

「大丈夫、自信持っていってらっしゃい」

そう言って背中を押してくれる。わたしも息を落ち着けて、「うん、行ってきます」と二人に言う。お母さんが頷き、お父さんが窓からの光にメガネを光らせながら、新聞から顔を上げず、でも「いってらっしゃい」と言って送り出してくれる。ひとつ、息をついて、玄関へ向かった。

――この着物、気に入ってくれるといいな。







振り袖に、髪のセット、お化粧……初詣に行く前に気力を使い果たしてしまった気がしていたけど、瑛くんから一言、晴れ着を「好き」と言ってもらっただけで、すっかり緊張がほぐれてしまった。我ながら現金なことだなあ、と少し思う。

「そういえば……」

おみくじも引いて、破魔矢も買えたけど、“商売繁盛”の祈願を忘れてしまったという瑛くんと、もう一度人込みに戻った帰り道、瑛くんが何かを思い出したように言った。

「初夢、見た?」
「初夢?」

うん、と頷いて瑛くんが続ける。

「俺さ、見れなかったんだ。さっき参拝客が初夢の話してるの聞いて思い出したんだけど」
「初夢、かあ。一姫、二太郎、三なすび……だっけ」
「一富士、二鷹、三なすびだろ。最後しか合ってないじゃん」
「そうだっけ?」

そうだよ、という呆れたように瑛くんの声を聞き流しつつ、今朝見た夢のことを思い出す。夕べは、お隣の遊くんを送り届けて、それから、少しドキドキしながら寝たんだった。初詣には晴れ着を着ていこうとこっそり思っていたから。それから、去年みたいに瑛くんとまた初詣したいな、と思っていたので。そうして夢を見た。ふわふわして、あたたかくて良い匂いがして、甘い、おいしそうな夢。何だか、とても幸せな気持ちになる夢だった。

「初夢、見たよ」
「どんな?」
「おいしそうな夢」

隣で瑛くんが呆れてものが言えないような顔になった。

「……おまえなあ。……いや違う。食いしん坊万歳に聞いた俺がバカだった……」
「ひ、ひどい言い方しないでよ! 本当の話だよ?」
「はいはい」
「もう!」

――本当の話なのになあ。
夢の内容を思い出す。もう随分うろ覚えだけど、覚えていること……。ふわふわと感じた良い匂いは、香ばしいコーヒーのもので、あたたかいと思ったのは、良い匂いと一緒に漂うコーヒーの湯気だったと思う。それから甘いおいしいものは、ケーキ。ふわふわに泡立てた生クリームを添えたシフォンケーキ……そうだ、これは珊瑚礁のケーキセットだ。

「コーヒーとね、ケーキの夢だったよ」
「はいはい、食いしん坊万歳」
「多分ね、珊瑚礁のケーキセットの夢だったと思う」

人込みではぐれないようにと繋いだままだった瑛くんの手が、ぴくりと揺れた。

「良い匂いがして、おいしそうで、何だかとても素敵な夢だったよ」

ぼんやりと残る夢の余韻を思い出しながら瑛くんに笑いかける。瑛くんは、ぼうっとして、それこそ夢を見る人みたいな目をしていたけど、ふと我に返ったように目を何度か瞬きさせた。

「それが、おまえの初夢?」
「うん」
「うちのコーヒーとケーキの夢、か……」
「うん」
「そっか……」

うん、悪くないな、と呟く瑛くんはなぜだかニヤニヤ顔をしている。……もしかして、瑛くんも同じ夢が見たいのかな? まだ初夢を見てないらしいし。……珊瑚礁のコーヒーとケーキの夢。うん、確かにおいしそうで良い夢だったな、と思う。

「瑛くんも同じ夢が見られるといいね?」
「え?」

瑛くんがビックリしたように目を丸くさせる。少し慌てているように見えた。言葉が足りなかったのかな、と付け加える。

「コーヒーとケーキの夢」
「ああ、そっちか…………何だ……」
「?」

心なしか肩を落としているように見える瑛くんが、仕切り直すように顔を上げるた。何だか晴れ晴れとしたような顔をしていた。

「……そうだな。同じ夢が見れるといいな」
「うん、見れると良いね」
「……ま、夢を夢で終わらせる気はないし、な」
「?」

まるで自分自身に言い聞かせるように呟く瑛くんの台詞の意味がつかめなくて首を傾げたわたしを見て、瑛くんが目を細める。

「いつか叶えたい、な」

朝の明るい光が、瑛くんの色素の薄い瞳と、日に焼けた肌を光らせていた。何だかとても眩いものを目にしたような気がしたのと、見つめ合っているのが少し気恥ずかしい気がして、瞬きを繰り返してしまった。瑛くんが面白いものを見たように笑う。

「マヌケな顔、してる」
「ひどい!」

声を上げたら、瑛くんがおかしそうに声を上げて笑った。――ひどいなあ、もう。頬を膨らませながら、けれど、隣の瑛くんが楽しそうに笑っているので、本当は、そんなに悪い気持ちじゃない。

ふわふわ、あたたかいような幸せなような、少し、くすぐったいような、夢を見て感じた気持ちが戻ってくる。ふわふわと輪郭が曖昧で儚い夢を手放したくなくて、繋いだ手にそっと力を込めた。そうしてもう一度、さっき祈ったばかりの願い事が叶いますようにと心の中でだけ呟いてみる。





2013.01.01
*あなたの夢が叶いますように。
*あけましておめでとうございます。

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