ピンクチョコレート


「瑛くん、お疲れ様」
「ああ、お疲れ」

バイト上がりに普段通りのやり取りを交わしながら、常と違ったのは、相手の少女が挨拶を交わしてからも何か言いたげにしていたせいだ。
佐伯が違和感を覚えて少女の顔を見ると、一瞬肩を揺らして目を逸らした。……これは何か企んでいる。長く一緒にいるにつれて得た経験則にしたがって彼は口を開いた。

「何、企んでるんだよ」
「た、企んでないよ!?」

嘘だ。軽く声が裏返っていた。この場合、十中八九、悪い予感は外れていない。黙って見下ろしていたら、根負けしたのか、少女はため息をつくと後ろ手に隠していたものを差し出した。

「……チョコ?」

真っ白なレースペーパーの上に、ちょこんと一粒ハート型のチョコが乗っていた。

「……うん、そう、かな」

少女の歯切れは悪い。もしかして、という予感と一緒に訊ねた。

「手作り?」
「……うん」

こうなってくると形勢逆転だった。さっきの少女のよりも余程うろたえながら彼は視線を逸らした。逸らした顔の頬の辺りに少女の視線を感じる。何か言いたげな様子で逡巡していた少女が、おそるおそるという風に口を開いた。

「瑛くん、食べてくれる?」

視線を移すと、例によって上目づかいプラス、軽く小首を傾げて見上げる少女と目が合った。そのまま頷いてしまうのは何だか無性に気恥かしかったので、悔し紛れに憎まれ口が口をついて出た。

「……しょーがない。毒見してやる」
「もう!」

少女が頬を膨らませてむくれて見せた。その芝居がかった仕草のお陰で気が楽になった。しばらく見つめ合って二人揃って吹き出した。差し出されたままのレースペーパーからハート型のチョコを摘まみだして、そういえば、と訊ねた。

「おまえはもう食べたのか?」
「え? う、ううん」
「じゃあ、半分な」
「えっ」

ぱきん、とチョコを半分に割って差し出した。半分に割られたチョコを気難しげな表情で見つめて、少女は唸った。

「半分こ……」
「何か不満あるのか?」
「ハートチョコを半分こ……」
「何だよ?」
「何でもない」

少女はふるふると首を横に振った。諦めたような仕草だった。

「瑛くんって結構大雑把なところがあるよね……」
「?」

何だか知らないけど、ものすごく失礼なことを言われた気がする。いや、間違いなくそうだと思う。少女の小さな手の細い指先がハートチョコの片割れを、そっと摘まんだ。

「半分こ、もらうね」
「ああ、うん……」

半分に割ったチョコを持ち上げて、口に運びかけて視線に気がついた。痛いほど見つめられている。少女がチョコを口に運ぶ様子はない。気色ばんだ様子で少年は声を上げた。

「……何だよ」
「え? おいしいといいな〜と思って……」
「本当に毒見役だったのかよ……」
「う、ううん! そういう訳じゃなくて!」

ぶんぶんと頭を振っているものの、説得力はまるでなかった。諦めたようにため息をついて、彼はチョコを口に運んだ。

「……おいしい?」
「まあ、普通にチョコだな」
「良かった……」
「そんなに自信なかったのかよ……」
「そ、そういう訳じゃないけど!」

今日何度目かの首を横に振る形の否定。先に抱いた印象と一緒で、全然説得力がない。

「大丈夫、ちゃんとチョコの味してる」
「そっかぁ」

少女は安心したように頷いている。そこまで自信のないものを毒見させられたのかと少年は改めて驚いていた。
顔を上げると、改まった様子で訊ねられた。

「瑛くん、何か変わったところ、ない?」
「変わったとこ?」
「うん。ドキドキしたり、とか」
「何言ってんだ」
「ない?」
「ないよ」

少女は「おかしいなあ」と首を捻っている。少女のつむじの辺りに「おかしいのは、おまえだ」と軽くチョップをくわえてやる。「痛っ」と悲鳴を上げた少女に、「チョコ、食べないと溶けるぞ」と教えてやった。

「……あ、うん」

どこか神妙な様子で頷いた少女が片割れのチョコをかじった時にようやく『半分に割れたハートチョコ』の意味に気がついて、少しだけ、後悔した。





ビーカーに注がれたコーヒーを手のひらで温めながら、少女は肩を落としていた。少女の向かいで、自分用のビーカーにコーヒーを注ぎながら少女の担任は口を開いた。

「つまり……」
「ええ」
「効果がなかった」
「そうなんです」

少女はすっかり肩を落としている。そんな少女の様子を尻目に、若王子はビーカーに注いだコーヒーを西日に透かしてみせた。中の液体が琥珀色に透ける。耐熱容器を通して、実験台の上に、キラキラとした光の道筋が落ちる。ビーカーを揺らして、光線を変えながら、彼はその光を美しいと感じた。

「海野さん」
「……はい」
「人は恋をすると瞳孔が開きやすくなる。これは前にも言ったね」
「はい」

その話の延長線上で、少女は気になる少年にチョコを持って行ったのだ。ちなみにただのチョコではない。

「恋をすると、瞳孔が開きやすくなって、相手がキラキラして見えるんですよね?」
「その通り。あれは、それと似た状態を人工的に作り出す代物でした」

つまり、惚れ薬。

「佐伯くんは、いつもと変わりがなかったんですよね?」
「ええ」

また少女が肩を落とす。

「あのね、海野さん」
「はい」
「既に瞳孔が開いている人のことは変えられませんよ」
「え?」

ぱちぱちと何度か瞬きを繰り返して、やがて、言葉の意味を正確に理解したのか、少女の顔が夕日よりも真っ赤に染まった。

「あ、あの、若王子先生……」
「はいはい」
「……し、失礼します……!」
「うん、気をつけて」

窓から射す西日よりも顔を赤く染めた少女を見送って、息をついた。

「青春ですねぇ」





当の少女はと言えば、混乱に陥っていた。
困惑して、校則違反なのも失念して廊下を走る少女は角を曲がったところで何かとぶつかった。

「きゃっ」
「わっ」

受けた衝撃の反動で後ろに倒れそうになったところを、背中に手を当てられて支えられた。見上げると、今一番会いたくない相手だった。

「て、瑛くん……」
「何だ、おまえか」

窓から射す西日のせいか、佐伯の姿が、少女にはやたらとキラキラして見えた。始末に負えないことに、そうやって見えるのは、何も今に始まったことじゃない。けれど、そう見えてしまう意味が全く変わってしまったので、もう平気ではいられなかった。

あの日、チョコレートの片方を食べた少女も、何も変化がなかった。

チョコをあげた少年の様子が変わらなかった理由を教えられた上、自分が今だ自覚さえしていなかった好意まで思い知らされてしまった少女は、頬を茜色に染めて俯いた。――全く、ちょっとしたイタズラ心から始めたことだったのに、何というしっぺ返しだろう。




2012.09.23
*若ちゃん先生の扱いが酷くてすみません…(&突っ込みどころありすぎてすみません…)

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