人魚の思い出


「そういえば、そろそろマスターさんのお誕生日だね」

海沿いの道を並んで歩く帰り道。アルバイト先の喫茶珊瑚礁へ急ぎながら交わしていた世間話の延長線上で、そういえば、と口にしていた。どことなく呆れた調子で佐伯くんが言う。

「おまえな……そういう情報、どこから仕入れてくるんだよ」
「うんあのね、お隣の遊くんがいろいろ……ううん! 何でもない!」
「お隣の……ああ、あの小学生の……あいつ、俺だけじゃなくてじいさんまで……」
「佐伯くん、遊くんのこと知ってるの?」
「……まあ、ちょっと。おまえさ、お隣で仲良いなら注意してやれよ。あんま人のこと詮索するといいことないって」
「うん、そうだよね……」

――佐伯くんは優しいなあ。きっと遊くんのことを心配して言ってくれているんだよね……。うん、遊くんにはたくさんアドバイスをもらって助けてもらっていたけど、気をつけなくちゃ。わたしがお姉さんなんだから、しっかりしなくちゃ、ね。

「いろいろ詮索されて学校のヤツとかにバレたら敵わないし……」
「……」

――うん、佐伯くんは優しい、なあ……? わたしの視線に気づいたのか、佐伯くんは誤魔化すようにひとつ咳払いをした。そうして仕切り直すように言った。

「そろそろじいさんの誕生日だな?」
「うん、そうだね。ね、毎年二人でお祝いしてるの?」
「ん? まあな」

そこで佐伯くんはおかしそうに目を細めた。まるで思い出し笑いをしてるみたいな表情だった。笑いの余韻が残る声で教えてくれた。

「……ガキの頃さ、この時期って、まだ夏休みだしお盆休みのすぐ後だろ。家族とこっちに来ててさ。親父とお袋は仕事で先に帰ったんだけど、俺だけ残ることが多かったんだ」
「そうだったんだね……」
「こっちにいても、同い年くらいの友達なんていなかったけど、毎日楽しかったよ。すぐ目の前が海だから毎日のように潜ってた」
「楽しい夏休みだね」
「まあな。……懐かしいな。あの頃はまだばあちゃんも生きてた」
「…………」

佐伯くんは目を海側に向けた。日暮れの遅いこの時期、まだ海はオレンジ色に染まっていなかったけど、太陽の照り返しに海面がキラキラと輝いてとても眩しい。佐伯くんは微笑んでいたけど、どこか寂しいような、懐かしい思い出を思いを馳せているような目で海を見つめていた。……おばあさんのこと、思い出しているのかな。

佐伯くんのおばあさんのことは少しだけ、前に佐伯くんから教えてもらったことがある。何でも、自分は人魚だったと子どもの頃の佐伯くんに言ってしまうくらい悪戯心にあふれた人だったみたい。きっと素敵な人だったんだろうなあと思う。だって、佐伯くんのおばあちゃんで、マスターさんの奥さんなんだもの。

「じいさんの誕生日に、俺、初めてケーキを焼いたんだ」
「小さい頃?」
「そう、ガキの頃。おまえん家のお隣より小さかった。……で、失敗した」
「あらら……。佐伯くんでも失敗するんだね」
「ま、ガキだったからな。オーブンのタイマーを間違えたんだろうな。スポンジが真っ黒に焦げて、ひどい出来だった。失敗したケーキの前で途方に暮れてたら、ばあちゃんがやってきてさ。それで……大笑いされた」
「お、大笑い?」
「うん、爆笑してた」

うんうん、と佐伯くんは頷きながら言う。わたしは何だか、わたしの中の佐伯くんのおばあさん像が一新されて戸惑いを隠せない。

「で、めちゃくちゃ笑ったあと、『大丈夫だよ』って言われた。そこからは魔法みたいだったな。焦げた部分を削って、スポンジの無事だった部分を使って飾り付けを手伝ってくれた。元々どうするつもりだったんだって聞いてくれて……完成したケーキは失敗したなんて思えない見た目になってたよ。そのときばあちゃんが言ってたな。『ちょっとくらい失敗したって、投げ出さなけりゃ、何とでもなるんだよ』って」
「……素敵なおばあさんだね」
「……うん」

イメージは一新されたけど、やっぱり佐伯くんのおばあさん、素敵な人だったんだな……。佐伯くん、おばあさんのこと、大好きだったんだろうな。おばあさんとの思い出を語る目が優しいんだもん。

「今年もマスターさんにケーキ、焼くの?」
「ああ、焼くよ」
「……あのね、わたしも一緒に作っていい?」

佐伯くんのお菓子作りの腕は今やプロ級だから、わたしなんか手伝いにもならない気がするけど。わたしもマスターさんのお誕生日をお祝いしたい。
わたしの突然な申し出に、佐伯くんは一瞬驚いたように眉を上げたけど、すぐに口元をほころばせた。

「いいよ。ただし……」
「ただし?」
「飾り付けのアイディアはおまえに任せた」
「えっ!?」

ビックリして声をあげてしまう。

「期待してるから、おまえのデザイン」
「…………」

どことなく挑戦的な目で佐伯くんはわたしを見下ろす。まさか、こんな大役を任せられてしまうとは思わなかった。飾り付けのデザインって……それは責任重大だ……。
黙り込んだわたしに、佐伯くんは挑戦的に言う。

「もしかして、出来ないとか思ってるのか?」
「で、出来る! やります!」
「よく出来ました。いいデザイン期待してる」

――よーし、頑張るぞ! 取りあえず、マスターさんはどんなケーキが好きなのかな。そういうリサーチも大切だよね。

「よーし、わたし頑張るね」
「頑張れ頑張れ」
「上手く出来なかったら、ごめんね!」
「外堀埋めんの、早すぎだろ……」
「だって自信ないもの。……でも、佐伯くんのおばあさんも言ってるしね、『ちょっと位失敗しても、投げ出さなけりゃ、何とでもなる』って。だからわたしも、自信はないけど、頑張るよ!」
「…………」

佐伯くんが眩しげに目を細めた。さっき、おばあさんの思い出を話しているときに海側へ向けたときと同じような目でわたしを見つめた。眩しげなような、思い出を懐かしむような目。佐伯くんの淡い髪が柔らかいオレンジ色に染まっていて、ふと、振り返った。海の水平線の向こう側が、ほんのりとオレンジ色に染まり始めていた。日が暮れかけているんだ。大変だ。

「早く珊瑚礁に行かなくちゃ!」

腕時計を確認する。いつもならもう、珊瑚礁に着いている時間だった。早く行って、開店の準備を手伝わないと。わたしの声に、佐伯くんは夢から覚めた人みたいに目を何度か瞬きさせた。

「そ、そうだな。じいさんに一人に準備させる訳にはいかない」

気を取り直したように、佐伯くんは急ぎ足に歩き始める。

「急ぐぞ」
「うん!」

道路側を歩く佐伯くんの後に続く。無意識なのか意識的なのか分からないけど、一緒に帰る時、いつも必ず佐伯くんは道路側を歩く。普段ぶっきらぼうな佐伯くんだけど、本当は優しいんだ。きっと素敵なおじいさんとおばあさんの影響も強いんだろうなと思う。マスターさんのお誕生日に思いを馳せながら、夕日の色に染まりかけている海沿いの道を佐伯くんと急いだ。




2012.08.18
*(一日すぎちゃいましたが)マスター、お誕生日おめでとうございました……! マスターを取り巻く世界が、マスターさんごと大好きです……!

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