くすぐったい、ね


「あーもう!」

その日のあかりは朝から様子がおかしかった。何がおかしいって、人のことをくすぐってくるんだ。それはもう執拗に何度も何度も繰り返ししつこく。イタズラなんて、そんなかわいらしいものじゃない。これはもう嫌がらせだ。間違いない。

朝、待ち合わせに少し遅れたことを怒っているのかと最初は思った。でもそういう訳じゃなくて、今日はとにかく人のことをくすぐる、そう心に決めているみたいだった。一体何のつもりだと問いただしたい。

もう日も暮れかけな夕方の帰り道、いつも通り家まで送っていく間にもあかりはしつこくしぶとくくすぐってくる。虎視眈眈と隙を狙って仕掛けてくる。

堪りかねて声を上げたら、それはそれはもう楽しそうにニヤニヤと笑うし。……ダメだ。流石にムカムカしてきた。何度も“弱いんだ”って言ってるのに、こいつときたら……。

「瑛りんのくすぐったがりv」
「ウルサイ」
「ふふっ!」

人の気を知ってか知らずか(多分、知らないんだろうな、このカピバラは……)あかりは上機嫌で、さっきからニヤニヤ笑っている。

「……そんなに楽しいか?」
「え?」
「人がくすぐったがって苦しんでいる姿を見るのが、そんなに楽しいのか?」
「うん、楽しい〜」

二つ返事でそんな答えが返ってきた。しかもへにゃりと屈託なく笑いながら。……ああ、そう。あーそう。流石にムカっと来た。堪忍袋の緒が切れた。おまえがそのつもりなら……いいだろう。受けて立ってやる。

――一体何にだ、と思わなくもない。

でも、気がついたらあかりの手を取って先を歩き出していた。

「て、瑛りん?」

あかりの慌てたような声が背中にぶつかる。でも止まる気なんかさらさらなかった。人気のない路地に連れ込んで立ち止まった。塀を背にして向かい合う。見上げる黒目がちな瞳が街灯に照らされてきらきらと光る。いつの間にか、もう日が暮れてしまっていた。

「……あのな、あかり」
「う、うん?」
「俺、何回も言ったよな?」
「うん?」
「くすぐったいから、やめろって」
「うんうん」
「でも、おまえはゼッタイやめなかったよな」
「うん」
「なあ、なんで?」
「それは…………」

最初おびえたような色をしていたあかりの目に思案の色が混じる。今日一日ずっと楽しげに、というか悪ふざけに夢中な子どもみたいに輝いていた目の色に少しだけ真面目な光が宿る。あかりの返答を待つ。答えの内容次第で情状酌量の余地もある……と思う。

「瑛りんが嫌がってる姿が面白すぎて……」

――はい、決定。おしおき決定な。

「分かった……」
「うん、瑛りんの反応が楽しいから、つい……」

まだ何か減らず口を言ってこようとする天然ボンヤリにチョップしてやりたい衝動を抑え込んで言葉を被せた。今はチョップじゃない、チョップじゃなく……。

「俺もくすぐってやる」
「えっ」

くすぐってやる。それで、たっぷり反省するといい。今日みたいな迂闊な真似をする気が二度と起きないくらい反省させてやりたい。でなきゃ、こっちの身が持たない。その……色んな意味で。
こう見えて、ずっと我慢してたんだ。今日も……これまでだって、ずっと。あかりがいつもツンツンベタベタと触ってくるから、勘違いしそうになって、つい俺まで迂闊なことをしそうになった。けど、いつも我慢してた。でも、その我慢も限界だ。
あかりが慌てたように声を上げる。

「ま、待って……!」
「ウルサイ。何回も言っただろ。“それ以上やったらやり返す”って」
「でも……」
「何だよ。人のことは散々くすぐっておいて、自分がやられるのはイヤなのかよ?」
「それはそうだよ!」
「ふん、口ほどにもない」
「!」

すると、うろたえていた黒目がムッとしたような色に変わった。

「……そんなこと、ないもん」

俺も人のこと言えないけど、あかりも案外負けず嫌いだ。
小動物っぽい目を強めて、背筋を伸ばしたかと思うと軽く両腕を広げてこんなことを言ってきた。

「さ、どこからでもどうぞ?」
「……オーケー」

売り言葉に買い言葉。誘いこまれるように手を伸ばした。頭の片隅で“いいのかな”と思わない気持ちもない訳じゃなかった。でも、ここまで来たら今更止められなかった。あかりが気の強そうな目で見上げている。

……それにしても、どこをくすぐったらいいんだろう。定番は脇の下とかだよな。実際、あかりが狙ってくるのも大体その辺りだったし。でもあかりが俺の脇をくすぐるのと、俺があかりの脇をくすぐるのじゃ勝手が違う。……脇は……まずいだろう……その、色々と。手が滑ったりしたら大変な事になるし……。そういうことをごちゃごちゃと考えていたら、あかりが「やっぱりやめる?」なんて聞いてきた。その口調が人のことを小バカにしたようで、また癪に障った。

脇は却下。なら……、自分の経験に照らしあわせて、腹部に手を伸ばした。

「……あっ!」

――何、今の声。

思わず伸ばした手を引っ込めた。

「………………」
「………………」

あかりは口元を押さえて驚いたような顔をしている。その顔が少し面白くて、思わず笑ってしまった。

「おまえだって、くすぐったがりじゃん」
「そ! そんなことないもん!」
「だって、今、声上げただろ」
「今のはたまたまだもん! 他の場所ならくすぐったくないもん!」
「他の場所……って……」

――どこだよ、って思う。

あかりは挑発的な目で『さあ、どうぞ』という風に見上げてくる。人の気も知らないで、この小動物は……。

ここでやめても良かった。こらしめることには成功したと思うし、意趣返しも出来た。ほとんど気は済んでいた。でも……。

「……他の場所なら、平気だもん…………」

あかりが性懲りもなく減らず口を叩いてくるから。

「……じゃあ、他の場所な?」
「う、うん…………」

また手を伸ばしてしまった。分かってる。こんなの理由にも言い訳にもならない。最初の理由は頭から飛んで、別の種類の興味感心で頭がいっぱいだった。さっきあかりが上げた声をまた聞いてみたかった。

手を伸ばす。あかりは強がっていたけど近づいた途端、一瞬、びくりと肩をすくませた。でも目は逸らそうとしなかった。罪悪感が無い訳じゃなかった。けれど、それ以上に好奇心に頭が支配されていた。

手を伸ばして、あかりの白いのど元を指先でくすぐった。今度は声は上がらなかった。でも本当はくすぐったいのか、唇を噛みしめて声を出さないように耐えているみたいだった。……そういう風にされると、余計に煽られるから、どうしようもない。触れるか触れないかの距離で指先を動かしてのど元をくすぐる。あかりの小さな顎が震える。瞼をぎゅ、と閉じて耐えている。結構しぶとい。頬の高い部分が紅潮している。指先に汗ばんだ皮膚の感触があった。身を捩るように逃げようとするのを指先で追いかけた。頭の芯が熱い。
そうして指先が耳たぶをかすめた時だった。

「…………ひゃっ!?」

一際大きくあかりの肩が震えた。さっきよりも余程甘ったるい声だった。首筋や背筋がぞくぞくするような。
遮るように人の胸元に手を当ててあかりが声を上げる。

「……や、ダメ!」
「……ここ、くすぐったいの?」

言いながら指先で耳たぶを撫で上げた。あかりの手が胸元をきつく掴んだ。

「やぁっ…………」
「くすぐったいんだ」

挑発するように言ってやったら、顔を真っ赤にしながら睨んできた。目が潤んで街灯の光を受けていつもよりも輝いて見えた。

「……そんなことない!」
「ホントに?」

いつもは髪に隠れている、白い耳たぶの先が淡い赤に染まっていた。悪戯心が湧いて、淡い色に誘われるようにそこに噛みついていた。あかりが一際甲高い声を上げた。
耳に響いたあかりの声に驚いて、思わず顔を見た。頬も目尻も赤く染まっている。眉間に皺を寄せて、きつく睨まれた。細めた目の睫毛の先に涙の玉が出来ていた。……ダメだ。歯止めが効かなくなりそうだ。

「あかり…………」

あかりの瞳に目を奪われて、油断した瞬間だった。脇に腕を指し込まれて、思いっきりくすぐられた。

「わはっ!?」

隙をついてあかりは塀と俺の間から逃げ出した。十分に距離を取って、はあはあと肩で息をしながら、耳元を手で押さえて、こっちを睨んでいる。小動物が毛を逆立てて威嚇してるような表情だ。

「瑛りん、反則だよっ!」
「反則って、おまえこそ……」
「わたしのは仕返しだもん! な、舐めるなんて、反則だよ! ズルはダメ!」
「…………」

あかりがまくしたててくる抗議を聞きながら、段々頭の中が冷えていった。……何、してんだ、俺!
あかりを少しこらしめるつもりだったのに……いつの間にか、目的がすり替わっていた。あのまま、先に進んでいたら、と思うと、今になってようやく、肝が冷えた。

「…………ごめん。やり過ぎた」

素直に謝った。あかりは気勢が削がれたように呆気に取られたような顔で何度か瞬きを繰り返した。
しばらくして、おそるおそる、という風に、こっちの間合いに寄ってきた。黒目がちな目が様子を伺うように見上げてくる。

「……わたしも、ごめんね。くすぐられるのって、結構辛いんだね」
「ようやく分かったか……」
「うん……ごめんね?」
「……分かったなら、いいよ」
「でも、さっきのは反則だよ」
「うん、ごめん……」

もう一度謝った。確かに、さっきのはやり過ぎた。あかりが、にこりと顔を微笑ませる。……あんなことをしたのに、こんな風に微笑みかけられるなんて、奇跡みたいに思える。

「帰ろっか」
「そうだな」

人気のない路地から抜け出す。どちらともなく、隣りを並んで歩きながら、あかりがため息をつく。

「くすぐるのはNG、かあ」
「……おまえ、ホントは反省してないの?」
「反省してるよ。だから、残念なんだよ。もうくすぐっちゃダメなのかなあって」
「だから何で、そんなにこだわるんだよ」
「だって、スキンシップの一つだもん」

悪びれずにそんなことを言う。……俺、もしかして試されてるのか? でもさっきみたいに、熱に浮かされて歯止めが利かなくなるのはダメだ。大体、この小動物がどこまで自覚的に物を言っているのか、分かったもんじゃない。

ため息をつきながら、手を伸ばした。

「スキンシップなら、さ」
「え?」
「ほら」

手を差し出す。手を取るかどうかはあかりの自由だ。
あかりはきょとんとした顔で差し出された手を見つめている。
しばらくして、不意に口元をほころばせたかと思うと、小さな白い手を差し出した手に、ちょこんとのせてきた。微かな感触を確かめるように、そっと手を握った。

「……これだって、スキンシップ、だろ?」
「うん、そうだね」

あかりは何だかやたらと嬉しそうにニヤニヤと笑っている。何だか、まるでくすぐられているようにこそばゆい。でも、悪い気はしない。くすぐられるより、よほど、こっちの方が良いと思う。

どこかくすぐられているような感覚を残したまま、繋いだ手が外れないように力を込めた。手の下で、まるで応えるようにあかりが手を握り返してくる。……ダメだ、やっぱりくすぐったい。でも、手を離したいとは思わなかった。

あかりの家まであともう少し。歩いているうちに、あっという間についてしまうだろう。そうしたら、この手も離さなきゃいけない。でも、離したくない。いつまでも繋いでいたい、そんなどうしようもないことを考えていた。







2012.04.18
*スキンシップ過多なバカップルさんたち。くすぐったいね。

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