#Interlude 2-a


あかりさんの姿が見えないの、と水島さんが言った。言葉の意味が取れなかった訳ではないけれど、ずり落ちかけたメガネを指先で定位置に戻しながら、私は問い返していた。

「それは、どういう意味ですか」

慌ただしい一日のほんのひととき、エアポケットのように空いた静かな時間だった。水島さんはその柳眉を心配げにひそめ、すらりと伸びた睫毛を伏せた。伏せた睫毛の先から真っ直ぐに引いた延長線上に当の海野さんの席がある。そこに席の主の姿はなく、彼女の姿が見えないだけで、それはとても寂しい光景のように感じられた。彼女はそういう人なのだ。私達の大切なお友達で、姿が見えなければ、風景一つが色あせて寂しい。

水島さんと私、彼女。クラスメイトという以外に、ほとんど何の共通点もなかった私達だったけれど、彼女が鎹の役割を果たす形で不思議と繋がりが出来あがった。彼女の周りは、そんな風な繋がりで賑やかだ。実に多様な個性あふれる面々が彼女の交友関係を賑やかにしている。
「チョビちゃんも勿論、その顔ぶれの一人だと思うわ」とにっこり笑って水島さんが一言添えたこともあったけど、今は不問に付したい。でも、一言だけ。――どういう意味ですか、それは。

彼女の席に視線と睫毛の先を固定したまま、水島さんは「言葉通りの意味よ」と言った。

「あかりさんの姿が、見えないの」

先と全く同じ台詞だ。それなら、と水島さんの言葉を吟味しつつ返答した。

「どこかへ出かけているのかもしれませんよ」

いつも何かと忙しくしている彼女のこと、今日この瞬間も、ここではないどこか別の場所で忙しくしているのではないだろうか。そう、今日この日だからこそ。

私の返答を受けて、目を伏せたまま水島さんは何度か頷いた。

「それはそうかもしれないわね」

けれどすぐに、今度は首を何度か静かに横に振って、先の言葉を否定してしまう。黒い、艶やかな長い髪が肩口から流れて、さらさらと揺れ落ちる。

「でも、そういうことじゃないの」

もう一度ずり落ち書けたメガネを押し上げながら訊いた。もしかすると留め金部分のネジがゆるんでしまっているのかもしれない。それなら、直さなければ。

「……どういうことですか?」

再度、水島さんは同じ台詞を繰り返した。

「あかりさんの姿が見えないの」

彼女の不在を告げる三度目の言葉だった。
長い睫毛の奥の、黒蜜のように艶やかな瞳が暗く翳っていた。光の射さない暗がりで道を探すように途方に暮れた目を、水島さんはしていた。この人が、このような目をするのは、はっきり言って珍しい。
分からない。ただ他の場所にいるだけのことではなくて、何か、もっと大変なことが起こっているのかもしれない。ここにいないだけじゃなく、もっと、深刻に大変な何か――。

本格的に心配になってきた私に気がついたのか、水島さんは不意に表情を和らげた。

「ごめんなさい。不安にさせちゃったわね」
「水島さん、何かとても大変なことが起きているのですか?」
「ううん、違うの」

水島さんは否定しながら、また目を彼女の席に向けた。

「確証は全然無いの。ただ、そうね………………心配なの」
「“心配”、ですか?」
「……とても落ち込んでいたから」

主語の抜け落ちた、テストではきっと欠点扱いを受ける返答だった。けれど、水島さんが誰を指しているのか、何を言いたいのか、意味を取ることが出来た。私も知っていたから。彼女のことを、よく見ていたから。同じく友達として、とても心配だったから。

持ち主の姿が見えない机の上に、水島さんはそっと指先を触れさせた。

「どこに行ってしまったのかしら……」

ぽつり、ここにはいない誰か――彼女に訊ねるように小さく呟いた水島さんの台詞は、まるで空白のように静まり返った教室の空気に紛れて消えた。廊下の奥から喧騒が近づいてくる。じきにこの場所も、いつもの賑やかな場所に姿を変えるだろう。けれどそこに私達の探し人の姿はあるのだろうか。嫌な胸騒ぎを覚えながら、私は不在の彼女に向けて、水島さんと同じ台詞を問いかけていた。――海野さん、あなたは一体どこへ行ってしまったのですか。問いかけても、空んぽの机と、机の脇にかけられた彼女のカバンが返事をしてくれることは無かったけれど、問いかけずにはいられなかった。だって、心配なんです。私も含めて、みんな、心配なんですから。だから、早く帰ってきて下さい。ね?



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2012.02.11
*幕間の会話。
*水島さんと小野田さん。

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