あなたとわたしがゲキテキな変化を遂げる 冬 #11


わざとじゃないし、絶対わざとじゃないし、わざとしてたまるか、あんなこと……さっき見てしまったものを思い出して頭に血が上った。いや、ヤメロ思いだすな!

本当に、わざとじゃない。

いつまで経っても下りてこないから、洗面所を覗いたらいなくて、じゃあ、こっちか、と休憩室を覗いたら、あんなことになった訳で……何で着替えてるんだよ。そもそももっと早くテキパキと行動をしてだな…………分かってる。ノックの一つもしない俺が悪い。言い訳のしようなんて無い。

とにかく、あれは事故だ。だから、あまり意識するな、と自分に言い聞かせる。あれは事故だ。そういえば、つい昨日も同じようなことを言い聞かせていたような。自分にも、あいつにも。

昨日、海野を送っているときに事故でキスをしてしまった。偶然にしたって出来過ぎだと思う。思い出した途端、また頭に血が上った。だから、考えるな! あれもこれも全部事故だ!

一人で悶々としてたら、階段を下りてくる遠慮がちな足音が聞こえた。ひとつ深呼吸をして腹をくくって、振り返った。

「佐伯くん、おはよう」
「…………おはよう」

階段のふもとで落ち着かなさそうに立っていた海野に挨拶を返したら、少しだけ微笑んだ。安心したような笑顔。相変わらず、表情が外に出やすい印象。

「……朝食、あるから、早く食べろよ」
「……うん、ありがとう」

海野がテーブルにつく。マグにコーヒーを注いで出してやる。海野はテーブルに並んだ皿をまじまじと見つめている。

「何だよ?」
「……佐伯くんは、きっといい奥さんになれるね」

飲みかけたコーヒーを吹き出しそうになった。……何を、バカなことを、大真面目に言ってるんだ、コイツは。

「……全然嬉しくないし。大体、なんで“奥さん”なんだよ」
「だって、朝は何だかんだ言って起こしてくれて、顔を洗って下りてきたら、おいしそうな朝ごはんまで作ってくれてて……いわゆる理想の奥さん像じゃないかなあ?」
「おまえ結構、考えが古いな」
「そうかなあ……」
「いいから、早く食べろ」
「うん」

オムレツを一口食べた海野がビックリしたように呟いた。

「卵がふわふわだ……」
「そうか。うまいか?」
「うん!」

――そうか、うまいか。よかったな。さっきまでの凹んでた顔がウソみたいに明るくなってる。……単純だな。釣られたようにこっちの顔まで笑いそうになっている。しばらくのあいだ食器がこすれあう音が続いた。

「今日はこれから、家に帰るのか?」
「う、うん」
「じゃあ、早い方がいいよな。鍵、無いんだろ?」
「うん……」

昨日、業者の人に頼んで開けてもらうって言ってたけど、それなら早い方がいいだろうし。平日で、学校だってある日だ。こいつがはね学の生徒だというのを、一応信じるとして、ぐずぐずしてたら遅刻するだろう。

それにしても、と思う。

「自分の家を間違えるって、凄いよな」

昨日のことを思い出して、改めて呆れてしまう。送って行った時、海野に案内された家には“空き家物件”の看板が立っていた。いくらなんでも自分の家を間違えるって、酷くないか。そもそも、鍵を失くしたっていうのも、凄い話だけど……。

「うん、そうだね……」

やけにしんみりした調子で海野は頷いた。マグに残ったコーヒーを飲み干すと「ごちそうさまでした」と言った。
食器をまとめながら「後片づけはさせてね」というのを制して言った。

「いいから。それより、早く帰った方がいいだろ」
「でも……」
「もたもたしてたら遅刻するだろ。俺もおまえも」
「………………」
「それに、ボンヤリなおまえに任せたら、倍時間がかかりそうだし」

からかうつもりで言ったら、「もう」と頬を膨らませた。

「そんなにボンヤリじゃないもん」
「どうだか。ホントにいいから」

席を立って、海野の手の中の食器を持った。それをシンクに運ぶと、テーブルに残っていた皿をまとめて海野がカルガモのヒナみたいに後からついてきた。

「だから、いいから……」
「は、運ぶだけ!」
「…………好きにしろよ」

ため息をついたら、嬉しそうに笑った。何なんだ、これ。ペースが狂う。
シンクに使った食器を置くと、海野は「……じゃあ、そろそろ行くね」と言った。

「ああ、うん……」

玄関に向かう海野の背中を見送る。ドアを開けると、かららん、と耳慣れたカウベルの音が響いた。ドア越しに朝のやけに眩しい光が射しこんで、一瞬、海野の姿が見えなくなった。まるでそのまま白い光に溶け込んでしまいそうだった。

「……待てよ!」

行きかけた海野が振り返る。逆光で表情が見えない。確かここにあったよな……とカウンターの辺り、細々としたものを入れている小さなカゴや引出を開けて中を探る。……あった。それを手に持って、玄関先の海野のところへ向かった。

「これ、持っとけ」
「これって……」

差し出した薄っぺらいをカードを受け取って、海野が目の前にかざした。

「“テレフォンカード”?」
「それ以外の何に見えるんだよ」

呆れて言うと、ふるふると頭を振って海野が言った。

「ううん、懐かしくて……」
「まあ、最近はあまり見ないよな」
「うん、そうだね」
「無一文なんだろ。どこかに電話をかける時、使えよ。あ、あと……」

もう一度カウンターに引き返して、マッチをひとつ取って戻った。

「ウチの電話番号が載ってるから」

店のマッチ。差し出すと、海野は手のひらを上向けた。その手のひらにマッチを落とし込む。海野は開いた手を握ると、握った手を口元に持っていった。

「……ありがとう」
「……まあ、一応な」
「うん。でも、たくさん、ありがとう」

すぐ近くにいるせいだと思う。今度は逆光で表情が見えない、なんてことは無かった。

「じゃあね」と言って海野はドアをくぐった。閉まるドアを確かめながら、息をついた。さっき、一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、ドアをくぐった途端、消えてしまうように見えた。そんなこと、あるはずがないのに。
流しに戻ると、使ったばかりの二人分の食器が残っている。食器がいつの間にか、一人分に減っている、なんてことは無い。そんなことはある訳が無い。目の前にいた人間が急に消えてしまうなんてことは、あるはずが無いじゃないか。でも、さっきは、そう思えてしまった。白い光の中に溶け込んで消えてしまいそうに見えた。

「アホらしい……」

息を吐いて、食器を洗い始めた。





後片づけと、ゴミ出し、店の仕込みを済ませて、学校へ行く支度をしていたら、じいちゃんが店にやってきた。
カウンターに荷物を置きながら、じいちゃんは「すっかり春だな」と言って目を細めた。

「朝から良い陽気だよ」

釣られたように、窓の外に目を向けた。じいちゃんが言った通り、朝からよく晴れている。昼には随分と暖かくなるかもしれない。じいちゃんは窓際の席のカーテンを引くと、窓を少し開けた。海風と波の音が店の中を通っていく。

……あの席に、座ってたんだよな、と昨日のことをボンヤリと思い出した。妙な女だ、あまり関わり合いになりたくない、と思っていたのに、何故か、思い出してしまった。これじゃあ、まるで気にかけてるみたいじゃないか。

振り向きがてら、じいちゃんが「そういえば」と言った。

「あの子は、もう帰ったのかい?」
「ああ、うん……」

まさか一晩泊めたとは言えなくて、簡単に返事をした。

「帰ったよ、もう」
「そうかい」

じいちゃんは海を見つめて目を細めると、踵を返してカウンターに戻った。窓際の席と、窓の向こうの海を見つめながら、あいつは無事に家に帰れただろうか、と、少しだけ、気になってしまった。本当に、少しだけ。
ふわふわと、誰も座っていない席で白いカーテンだけが風に揺られている。



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2012.02.03
*瑛くんほだされはじめるの巻。
※2/4少し加筆修正しました。

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