あなたとわたしがゲキテキな変化を遂げる 冬 #9


いきなり自分の頬を思い切りつねった上、本気で涙目になっているコイツはやっぱり相当ヘンテコな生き物だと思う。

「おい」

声をかけたら、びくりと肩が跳ねた。見上げる黒目が濡れているせいで、余計に何かの動物めいて見える。まるで怯えている小動物か何かみたいだ。

聞きたいことは山ほどあった。
だけど、取りあえず……。

「名前、何だっけ」
「……そこから?」

相手は前のめりにつんのめったけど、まさにそこからなんだよ、と思う。どこか意気消沈した様子で「……海野あかり、だよ」と言った。……海野あかり、海野あかり。頭の中で反芻する。――やっぱりそうだ。確信した。

「聞き覚えが無い」
「……そんなあ!」

海野は声を上げた。「夕方にも教えたじゃない!」と抗議してくるのを「そうじゃなくて」と遮る。悪いけど、そういう話じゃない。

「俺にはおまえの名前に聞き覚えが無いし、顔だって見覚えが無い」
「そんな……」
「でもおまえは俺のことを知ってるし、顔みしりだと思ってるんだよな」
「うん」

こくこく、と海野は何度か頷いた。膝にかけたタオルケットを、ぎゅう、と握って真剣な顔をしている。ウソを言ってる顔には見えなかった。思ったことがすぐ面に出るヤツなんだと思う。出会って数時間しか経っていないけど、そういう印象。店の中や帰り道の途中、何度か一人で百面相しているのも見かけた。

だからこそ、おかしいと思う。

「断言したって良い。俺はお前に見覚えが無い」
「そ、そんなあ!」

海野は眉を下げて情けない声を出した。本気で悲しんでるような顔だ。ちょっと突けば泣きだしそうにも見える。やっぱり、ウソをついてる顔には見えない。
でも、俺だって本当のことを言ってる。俺は今日初めて海野の姿を見た。はね学の制服を着た、海野あかりっていう生徒を。つまり、コイツを。

「最初はストーカーかと思った」
「……ストーカーじゃないよ!」
「だろうな。おまえみたいにそそっかしくて、騒がしいヤツにストーカーなんて器用な真似、出来そうにないし」
「……否定されたのにうれしくない」
「褒めてもいないからな」
「………………」

はね学だって、それなりに生徒数は多い。それでも入学してからそろそろ一ヶ月。一度も姿を見かけないなんてことがあるとも思えない。故意に身を隠してでもいない限り。でも、その線は薄いと思う。こいつにストーカーなんて、器用な真似、ゼッタイ出来ない。
それでいて、見覚えが無い、というものおかしな話だ。だって……。

「…………おまえみたいに、妙なヤツ、忘れるわけないんだけどな」

放課後、海沿いの道でデカイ声で呼びとめられた時のことを思い出す。あのときは面倒くさいヤツに掴まったと思った。今はあの時とはまた違う意味で、面倒くさいことに巻き込まれていると思う。……まあ、どっちにしたって、面倒くさいことには変わりない。

「佐伯くん…………」

名前を呼ばれて我に返った。海野は何故か頬を赤らめてボンヤリした顔をして、こっちを見つめていた。黒目がちな目が潤んでる。ヘンな目で見つめられていたら、妙に気恥かしくなった。咳払いを一つして誤魔化す。

「と、とにかく、だ!」

目の前の、ソファに座って、まだタオルケットに体半分がくるまれている女は、海野あかり、という名前らしい。俺と同じ高校の制服を着ていて、俺のことを知っているし、俺も海野のことを知っていると言い張る。でも、俺は知らない。今日初めて見た。こんな妙な毛色の、珍しいヤツ。こんなのが集団の中で目立たないとは思えない。

「おまえ、何者だ」

海野は、ぱちくり、と大きく瞬きをした。

「な、何者も何も、わたしはわたしだよ。海野あかり。佐伯くんと同じ学校の生徒で……」
「そこからが、おかしいんだよ」
「えっ」
「おまえ本当にはね学の生徒か?」
「生徒だよ! ひどいよ! 学生証だって……あれ?」

海野はきょろきょろと辺りを探った。

「どうした?」
「えっと、わたしのカバン……は……」
「持って無かっただろ、最初っから」
「あれっ?」

大丈夫か、こいつ……。

頭を抱えて「どうしよう……」と呻いているボンヤリを横目に時計で時間を確認した。そろそろ、九時。遅い時間だ。

「なあ、家の人に電話しなくていいのか?」
「えっ?」
「あんまり遅くなると家の人だって心配するだろ」
「それは……」

立ちあがって、ボンヤリを促す。

「携帯持って無いなら、店の電話、貸してやるから。それでかけろよ」
「………………」

ボンヤリはソファの上で固まっている。

「おい、何、ボーっとして……」
「あ、あのね!」

海野はいきなり立ち上がると、戸口にいる俺のところまで小走りで駆け寄った。妙に力の入った目で見上げられる。

「な、何だよ……」
「お願いっ!」

いきなり頭を下げたかと思うと、海野は早口でまくしたてた。

「一晩だけここに泊めて下さいお願いします!」
「…………は?」

直角45度で頭を下げているせいで、どんな顔をしてるのか見えなかった。言われた台詞を頭の中で反芻する。――一晩だけ、泊めろって? 何言ってんだ、こいつ。静まり返った部屋の中で、時計の針の音だけ、妙に耳に響いた。



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2012.01.30
*続きますぞぉぉぉ!

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